藤原竜也、四十代で「異常」なピュアさ!広瀬アリスのほうがお姉さんのように見えるシーンも/『ゼンケツ』最終回
これほど荒唐無稽なドラマなのに、このエモさ。藤原竜也の芝居に圧倒され続ける『全領域異常解決室』(フジテレビ系 水よる10時~)がいよいよ最終回を迎える。
このドラマの特性は、地上波の放送直後にFODで次の回がすぐに見られることで、筆者は待ちきれず、第9話の放送後、続けて最終回を見てしまった。そして、どうしても藤原竜也について書いておきたくなったのである。
ここでは決定的なネタバレを避けながら、藤原竜也の芝居が最後まですばらしかったことについて書いていきたい。
◆藤原竜也と広瀬アリスの人間らしいシーンが胸に迫る
全領域異常解決室(全決 ゼンケツ)とは、神隠しや狐憑(きつねつ)きなど科学では解明できない超常現象や不可解な事件を解決する警察内で世界最古の捜査機関で、メンバーは全員・神だった。
彼らは古来から何度も転生を続け、人間を見守ってきたのだが、次第に人間の科学技術が進化し、神の力を凌駕(りょうが)しつつあった。そんな現代に、謎の神・ヒルコが現れ、神殺しと人間の「選別」を行いはじめる。要するにヒルコは新時代の神として、これまでの神と人間との関係に終止符を打とうとしているのだ。
この壮大な戦いの結末やヒルコの正体は最終回(12月18日放送)をぜひ楽しみに見ていただくとして、藤原竜也である。
藤原竜也が演じているドラマの主人公・興玉雅は、ゼンケツの室長代理で、その実体は興玉神という猿田彦大神のゆかりの神である。……と思いきや、それは仮の姿であった。
実は天石戸別神という、境界の門番的な存在で、外から侵入しようとする災厄を防いだり、あるいは現世にいる者を黄泉に送ったりする役割を持っている。興玉は正義と悪を見分ける力があるとされていたがそれは、ジャッジする能力者ということだったのであり、冷静で淡々としたキャラはこの役割ゆえだったのだろう。
ゼンケツの室長は、雨野小夢(広瀬アリス)で彼女は天宇受賣命(アメノウズメノミコト)。でも、ヒルコに狙われ、神の記憶を失ってしまった。人間として再びゼンケツに配属された小夢は興玉たちと行動していくうちにじょじょに神時代の記憶が蘇ってくる。
神としての彼女は輪廻するたびに猿田彦大神である芹田(迫田孝也)と夫婦になる宿命のようなものがあった。だが第9回で、興玉は豊玉姫命(とよたまひめのみこと〈福本莉子〉)から、小夢が好きなのではと指摘される。彼はさらりとはぐらかすのだが、最終回では興玉と小夢のエモい場面が……。
このときの藤原竜也の芝居は見どころである。ヒルコと神の戦いや人類は選別されてしまうのかという切迫した問題をさしおいて、興玉と小夢の人間らしい(神だけど)のシーンが胸に迫る。
◆四十代でこれほどのピュアさが出せることがまさに神技
藤原竜也といえば、『バトル・ロワイアル』『デスノート』等代表作を多く持つつ俳優で、モノマネタレントによくネタにされる主演映画『カイジ』の「キンキンに冷えてやがる」(労働のあとビールを大喜びで飲む場面)をはじめとした過剰すぎて笑いに転じてしまうパフォーマンスに定評がある『ゼンケツ』最終回のエモさも、過剰過ぎるほどエモい。
なにがすごいって、四十代でこれほどのピュアさが出せることがまさに神技なのである。四十代だって五十代だってピュアさはあるし、年齢は関係ないとはいえ、どこか渋みが滲(にじ)むもの。藤原に渋みがないということではなく、十代、二十代の一番搾り的なピュアさをいまだに出せるのが稀有(けう)であるということなのだ。
◆20年経過しても「異常」なほどピュアな雰囲気を発揮
若い頃、等身大の繊細な心の震えを武器に人気を獲得する俳優は少なくない。藤原も十代のとき、デビュー作である舞台「身毒丸」で等身大の少年らしさを存分に発揮していたし、二十代では「ロミオとジュリエット」(04年)で恋する少年をハツラツと演じていた。
とりわけ印象的なのは「ハムレット」(03年)で、本当は愛しているにもかかわらず邪険(じゃけん)に扱った恋人オフィーリアが亡くなり、その亡骸をそっと抱きしめ嘆く藤原の姿は名場面である。
本当ならオフィーリアの兄にかけるセリフ「おれはオフィーリアを愛していた」を亡骸に向けて語りかけたのは藤原の判断だったという。思わず目の前の恋人に言葉をかけてしまうというのがとてもいいなと筆者は思ったものだった。
このとき、「ハムレット」も「ロミジュリ」も、相手役は鈴木杏で、あれから20年経過したいま、「ゼンケツ」での相手役は、鈴木と同じ事務所の後輩の広瀬アリスである。鈴木よりもさらに年下の相手役とピュアな感情の交換を演じても、まったく違和感がない。むしろ、広瀬のほうがお姉さんのようにも見えるのだ。
最終回では、二十年前に見た『ハムレット』と同じような感動を覚えた。四十代になっても繊細な叙情的な透明感――一言でいえばピュアな雰囲気を発揮できるのはドラマ的にいえば「異常」(いい意味で)なほどである。
◆芝居になるとがらりと変わる。まったく化ける俳優
テレビドラマで藤原の繊細キャラと言ったら、ミステリードラマ『リバース』(TBS系)がある。そこではコーヒーをいれるのが好きな実直な人物で、そこでもピュアな面を発揮していたのは2017年のことで、あれから7年も経過しているのだ。
興玉がやたらと芹田にコーヒーのデリバリーを頼んでいたのは『リバース』のオマージュだったのかも?というのはさておき、藤原はこれまでピュアキャラ売りではなかった。
『ゼンケツ』の放送開始前に行われた試写での会見では、共演者のひとりユースケ・サンタマリアに「ちょっと彼酔っぱらってます、テキーラを飲んでました」と冗談を言われるほどお酒の強いイメージにもかかわらず、芝居になるとがらりと変わる。まったく化ける俳優なのである。
正直、言えば、顔のコンディションがこんなに安定しない俳優も珍しい。『ゼンケツ』を見ていてそう思ったのだが、各場面での肌状態が全然違って見えても、ここぞというときの芝居の勢いが勝ってしまう。第9回では、小日向文世演じるゼンケツの局長・宇喜之民生こと宇迦之御魂神との対決シーンがあり、そこでの痛みや苦しみの表現の臨場感は図抜(ずぬ)けていた。
『ゼンケツ』の荒唐無稽で奇想天外な話しはそれはそれでとても面白いが、好き嫌いは大きく分かれると思う。非現実を扱ったドラマに興味のない視聴者もいるだろう。そんなとき、藤原竜也の醸し出す人間の感情の普遍性が、荒唐無稽さを覆い隠してしまう。
最終回の興玉には、神とか人間とか関係なく、もらい泣きしてしまいそうだった。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami