星野源『紅白』選曲に賛否…「楽曲に罪はない」それでも批判が止まなかった“最大の理由”

 12月31日にNHKで放送される『紅白歌合戦』で「地獄でなぜ悪い」をギター弾き語りで歌うことになった星野源。

 選曲についてはNHK側から「熱い想いと共にオファーをいただいた」と自身の公式インスタグラムで明かし、「血が湧き上がるような感覚」とテンションが上がっているようですが、波紋を呼んでいます。

<※追記 12月26日、NHKは星野源の曲目を「ばらばら」に変更することを発表しました>

◆性加害疑惑の園子温監督の同名映画主題歌に疑問の声

 理由は、2022年に性加害疑惑が報じられた園子温監督の同名映画の主題歌であること。映画の公開と曲のリリースは報道以前の2013年でしたが、騒動の大きさから選曲に疑問を呈する声が少なくないのです。

 音楽プロデューサーで作詞家の松尾潔氏は自身のXで「源さんもNHKもどうか考え直してください」と訴えていました。

 また、旧ジャニーズ事務所の性加害問題に切り込んできたNHKなのに、どうしていわくつきになってしまった「地獄でなぜ悪い」をわざわざ選曲したのか、と理解に苦しむといった声もありました。

 一方で、曲そのものに罪はないという意見も多く見られます。これで曲を披露する機会が失われることあれば、行き過ぎたキャンセルカルチャーになってしまうのではないかとの懸念です。

◆不足しているのは、NHKと星野源による言葉

 筆者は、心情的にはやめたほうがいいと思うし、松尾潔氏の意見に共感します。

 これが星野源のライブであれば、事情を知ったファンとの関係性において納得できるでしょう。けれども、紅白はより社会のレンジが広いイベントです。そこで性加害疑惑の当事者に関係する楽曲を披露することは、どうしても音楽やエンタメ以外の意味を帯びてきてしまいます。「血が湧き上がるような」熱い思いがあるからといって、単純に正当化されるものではないのです。

 だからといって、選曲を変えろと声をあげるのも、少し違う。そうした声によって状況を変えることが当たり前になってしまうと、議論の場が失われるからです。批判する側、される側、どちらも“臭いものには蓋(ふた)”というお手軽な対応になりがちなのですね。

 つまり、今回の一件で不足しているのは、NHKと星野源、両者による言葉なのではないでしょうか。NHKも星野源も、園子温監督の一件を知らないはずはありません。一般視聴者の私達よりも、はるかに事情を把握していることでしょう。

 だとすれば、そうしたスキャンダルへの世間の受け止めが十分想像できるなかで、それでもなぜ「地獄でなぜ悪い」を歌うのかということを言葉を尽くして説明したらいいのではないかと思うのです。

 ソングライター、アーティストとしていまの星野源において曲が持つ意味。また2024年の締めくくりに選んだ理由を、音楽的な価値、歌詞の伝えるメッセージ、弾き語りの演奏形態にした意図などを通して、説明する。

 そういう具体的な言葉がどちらからも聞こえてこないから、ゴシップ的な視点からしか批判を集めていないのだと思います。

◆山下達郎はジャニーズについて「ご縁とご恩」と表明

 筆者は山下達郎と旧ジャニーズ事務所のことを思い出しました。山下達郎は、自身のラジオ番組で「ご縁とご恩」と、自らの態度を表明しました。自らの創作の根底には切っても切れない絆があるのだと宣言したのです。

 この発言は、いまもなお議論のわかれるところです。しかしながら、山下達郎は、立場を明らかにしました。

 自身のインスタグラムでNHKからの熱烈なオファーで「地獄でなぜ悪い」に決まったことを明かし、「血が湧き上がるような感覚」だと興奮してみせた星野源も、同じ様な状況にあるのだと思います。それが少なからず問題を生じさせる可能性のある曲だとしても、彼のキャリアにとって、特別な作品であることが発言からうかがえるからです。

 曲、歌詞、ビジュアル、発言を通じて築いた現代の多様性やリベラルなイメージ。下ネタだらけだったエッセイも、文庫化にあたり、当該箇所をすべて削除。時代の空気に敏感であることを示してきました。

 今回批判の声があがったのは、そんな星野源がなぜ性加害報道のあった人物と関わりのある曲を歌うのかと驚き、さらには失望する人たちが多くいたからなのです。それは決して過剰反応などではなく、まっとうな疑問だと言えます。数々のヒット曲があるにもかかわらず、なぜ、いまあえて「地獄でなぜ悪い」なのだろうか、と。

◆「血が湧き上がるような感覚」と対極の慎重かつ丁寧な言葉が必要

 

 その疑いを晴らせるものがあるとすれば、星野源の作家としての信念から生まれた言葉以外にはありません。どのように説明したところで、曲と園子温監督とのつながりがなくなるわけではないけれども、当代随一のミュージシャンが慎重かつ丁寧に言葉を選べば、人々は耳を傾けるはずです。

 しかし、残念ながら「血が湧き上がるような感覚」という表現は、その対極にあります。批判的な外部の声を最初からシャットアウトした表現だからです。

 星野源と彼を後押しするファンの勢いに任せたかっこいい言葉だけではなく、それ以外の大多数の他者に向けた実務的な言葉。

 それが、いまアーティスト、星野源に求められているのだと思います。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】

音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

2024/12/26 8:47

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