「星野仙一監督抜擢、イチロー招聘も本気だった」記者が語る渡辺恒雄氏の“巨人愛”
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが亡くなった。98歳だった。
渡辺さんは1950年に同社に入社。「100歳までは現役を続ける」と“終生一記者”を貫き、同社の主筆として書き続けた現役の記者でもあった。
「現場記者からグループトップに上り詰め、『世界一の発行部数にする』と豪語。1000万部を目標に掲げ、実際に1994年には1000万部を超えた。車のナンバーを『1000番』に変えるほどのこだわりようで、常に最前線で奮闘していました」(夕刊紙記者)
野球界にも大きな影響を与えた。フリーエージェント(FA)制の導入、2004年の近鉄とオリックスの合併による「球界再編騒動」など、その中心にはいつも渡辺氏がいた。夕刊紙記者が続ける。
「渡辺さんの乗っているその1000番の車と連日取材でカーチェイスをしていましたよ。『野球のことはルールさえわからない、だから俺は毎日、野球協約を読んいる。君たちもしっかり野球を勉強してから取材に来い』とよく怒鳴られましたね」
それでも渡辺氏は、とにかく巨人が大好きだった。
「1993年スタートしたJリーグに対抗すべく、長嶋茂雄監督の再登板を決めたのも渡辺さん。その後、すでにソフトバンクを指揮していた王さんを巨人に呼び戻そうとしたこともありました。星野仙一さんの監督抜擢やイチロー氏の招聘なども本気で画策していました」(古参の巨人担当記者)
最盛期は1400万部を誇った読売新聞も、直近の発行部数は600万部とされるまでに減少。そして今年は創刊150周年。渡辺氏の永眠で、読売は間違いなく一つの時代が終わった。
(小田龍司)