『おむすび』第12回 「人助けだから」を根拠に何も言わない米田家の血族的な甘え
昨日はなんだかすごく嫌なものを見たなーという印象だったNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』も第12回。今日はそんなに嫌でもなかったけど、ちょっと性根が見えた感じがしました。
「人助けは米田家の家系だ」みたいなところが結ちゃん(橋本環奈)一家を表現するうえでのキーワードみたいになってるわけですが、この「人助け」という言葉の解釈がね、どうにも合わないんだわ。合わないわーと思った今回。振り返りましょう。
■人助けだからいいってわけじゃない
前回、「おむすび(結ちゃん)と付き合ってる!」と米田家の面々に衝撃的な告白をした幼なじみの陽太くん(菅生新樹)。その告白に結ちゃんは戸惑っているようですが、特に訂正するわけでもなく一緒に食卓を囲んでいます。これまでも「何考えてんの?」と思う場面はたくさんありましたが、このときも結ちゃんが何を考えているのか、全然わかりません。
言いたいことあるなら言えよ、ということでもないのよ。今、言うべきことがあるだろ、言えよ。ということなんです。「お母さんおじいちゃんおばあちゃん、陽太はウソをついています」って、なんで言わないのか。
これたぶん、結ちゃんは陽太を傷つけないために陽太に気を使っているという描写なんだと思うんだけど、それって全然優しくないと思うんです。陽太は陽太で、結ちゃんが親の前で否定しなかったら「あれ、マジでワンチャンあるのかな?」と思うじゃん。
その後、お母さんとおばあちゃんは最初から陽太が、門限を破った結ちゃんのためにウソをついていたことがわかっていたと言うシーンがあります。「だって、ありえんもん」って。その言葉に陽太はほんのり傷つくわけですが、このときも結ちゃんは何も言わない。「え、わかってたの?」って顔するだけ。
え、わかってたことをわかってなかったの? じゃあ付き合ってるって誤解されたままやりすごすつもりだったの? 「ありえんもん」っていう言葉に何を感じたの? 全部、何も言わないでやりすごしてる。適当に時間が過ぎていけばいいと思ってる。パラパラに対してもそう。イベントが終わったらやめるつもりだし、それまで適当に付き合っておけばいい。だからハギャレンのみんなに「イベント終わったらやめるよ」とも言ってない。
主人公じゃなきゃ、別にいいんです。こういうやつっているよね、で済む話なんだ。だけど、私たちは結ちゃんが何を考えて、どうなっていくのかを見せられているわけでしょう。おまえの話をしろよ。
ここらへん、脚本の側が結ちゃんの立場や心情を咀嚼できていないまんま、黙秘という逃げを打っているように見えるんです。主人公が黙秘と追認を繰り返すだけでも許されると思っている。なんで許されると思っているかといえば、「人助けは米田家の家系だ」というベーシックな考え方があって、「人助けしてるんだから許されるはずだ」という短絡的な甘えがあるからです。
陽太やリサポンをしこたま傷つけても、それが「人助け」というコンセプトに基づく言動であれば美談になるはずだと思ってるんです。創作思想的な甘えを感じるし、行動ではなく考え方で話を転がそうとする作劇上の甘えも見える。
■パパもだ
今回、パパ(北村有起哉)とおじいちゃん(松平健)の不仲のきっかけについても語られました。パパはおじいちゃんが大嫌いで、大学に行く金を使い込まれたことをきっかけに床屋に弟子入りし、18歳で神戸に移住している。
震災があって実家に戻ってきて、今は農家をやってる。
おじいちゃんはパパの学資を使い込んだが、パパは「ギャンブルか何か」に突っ込んだと思ってる。
たぶん、実はおじいちゃんはこれも「人助けに使った」ということが後に美談として語られるのでしょう。
パパは理容師免許持ってるはずだし、神戸で震災にあったあとだってどこででも働けるはずです。そこまで嫌いなら糸島に戻らず床屋を続けることだってできたのに、戻ってきた。この理由も、後に「両親を助けるため」とかいう美談として語られることになるかもしれない。
互いにそれを伝えないのは、照れだとか思慮だとか、そういうことなんだろうけど、言えよって。米田家、言えよ。言わなきゃ伝わんないんだよ。
この人たちの「考えてることはあるけど、言わない。言わないけど伝われ、察しろ」という姿勢ね、そのままこのドラマの姿勢になってると思いますよ。だから全然おもしろさも言いたいことも伝わってこない。察しろというのか、ドラマを見ている側に、つまらないドラマのおもしろさを。それこそ、視聴者に対する甘え以外の何物でもないよね。
では、また明日。
(文=どらまっ子AKIちゃん)