フワちゃんは「軽薄なネットユーザーを映し出す鏡」、炎上で明らかになった“創造性の欠如”と“過度な幼児性”のヤバさ
フワちゃんが燃えています。
8月2日にやす子が自身のXに<やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす>と投稿したのを、<お前は偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす>と引用リポスト。
すぐに削除したものの、時すでに遅し。瞬く間に拡散され、やす子も<とっても悲しい>と反応したため、フワちゃんは<言っちゃいけないこと言って、傷つけてしまいました。 ご本人に直接謝ります>と非を認めるところまで追い詰められているのです。
◆フワちゃんに批判の声が殺到
当初はアカウントの乗っ取りを疑う人もいましたが、謝罪ポストが投稿されるとフワちゃんに批判の声が殺到しています。<完全に一線を超えた表現>とか<2度とメディアに出ないでほしい>などといった厳しいコメントが寄せられていることからも、事態はフワちゃんが考えるよりも深刻そうです。
フワちゃんの投稿は非難されてしかるべきですし、これによってメディアへの露出がなくなったとしても仕方ない。今回の失態はそれぐらい大ごとです。
しかしながら、そんなフワちゃんに対して、「死んでくださーい」と彼女の表現を使って叩く人たちもいますが、これはむしろフワちゃんを利することになりかねないし、そもそも醜く愚かな行為と言わざるを得ません。
理由は2つです。
◆フワちゃんが被害者として主張する機会を与える
まず、法律の専門家も指摘しているように、「死んでくださーい」という言葉には侮辱罪が適用される可能性があるからです。本来糾弾(きゅうだん)されるべきフワちゃんに、反撃の材料を与えてしまいかねない。やす子がフワちゃんを侮辱罪で訴えることが可能なように、フワちゃんも「死んでくださーい」とポストしたネットユーザーを訴えることができます。
つまり、新たな被害者として自らが受けたダメージを主張する機会をフワちゃんに与えてしまうことになるのです。そうなったら、彼女がやす子に対して発した「死んでくださーい」が上書きされてしまうでしょう。
そういう可能性に考えが及ばない時点で、軽い気持ちでフワちゃん叩きに相乗りする人たちは愚かなのです。
◆フワちゃんの悪口は小学生未満レベル
次に、創造性の欠如です。やす子に対するフワちゃんの悪口のレベルが小学生未満だとすれば、それをコピペして彼女を攻撃する知性と精神性をどう表現したらいいのでしょうか?
まずフワちゃんの過度な幼児性を指摘しておきましょう。「死んでくださーい」という言葉のきつさがクローズアップされがちですが、この発言の本質は、フワちゃんの未発達な思考パターンにあるのだと思います。
やす子が発したポジティブなメッセージに脊髄(せきずい)反射の猛スピードで反応しつつ、徹底的にその意味を裏返していく。屈託なく善意を表現することはバカである、と言いたいだけなのですね。
これは、小さな子供が幼稚園や小学校の先生の真剣な話に、う◯ことかち◯ことか言って大笑いしているのとほとんど同じです。
つまり、フワちゃんはやす子に対して本心から“死ね”と言っているのではなく、下からの悪意でひっくり返すしか未熟な自分が優位に立てる方法がないことを無意識のうちに自覚しているだけの話なのです。
◆つまらない言葉を借りて批判した気になるネットユーザーの軽薄さ
そういったかわいそうな人のつまらない言葉をそのまま借りて批判した気になっているから、フワちゃんに「死んでくださーい」とリポストして溜飲(りゅういん)を下げた気になっている人たちは、フワちゃん以上に創造性に欠けていると言えるのです。
またしても燃え上がったフワちゃんは、あまりにも軽薄なネットユーザーを映し出す鏡でもあったのかもしれません。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4