今日打ち上げ「H3ロケット」は7年遅れ…日本の宇宙開発“致命的な遅延”をもたらした理由

日本の新たな主力ロケットとして期待される「H3」。今年2月に初の打ち上げが成功し、6月30日には鹿児島の種子島宇宙センターから「H3」3号機が打ち上げられる。多くの宇宙ファンが心待ちにするビッグイベントだが、一方で「日本の宇宙開発は世界の最先端から大きく脱落している」と警鐘を鳴らすのが、科学ジャーナリスト・松浦晋也氏だ。

松浦氏いわく、H3ロケットは想定スケジュールより7年間の遅れを取り、イーロン・マスク率いるスペースXなどとの差は開くばかりだという。同氏の著書『日本の宇宙開発最前線』(扶桑社新書)から、日本の宇宙開発が遅れる理由について、解説する。(以下、同書より一部編集のうえ抜粋)。

◆かつては最先端に手が届いていた日本のロケット開発

もともと日本で行われていた科学技術庁を中心とした技術開発は、遅れている日本の宇宙利用体制を技術面から世界最先端に押し上げるためのものであった。1990年代から2000年代にかけて、ロケットではH -Ⅱ/H -ⅡA、そして科学衛星打ち上げ用のM -V、衛星では技術試験衛星6型「きく6号」で、どうやらその時点での世界の最先端に手が届いた。

本当はその先に、最先端技術を産業化して世界に売っていくビジネス展開を考えていたわけだが、それは1990年に政治がスーパー301の対米通商交渉で、衛星産業をアメリカに人身御供として差し出した結果、挫折した。通商交渉の結果、日本の宇宙開発は技術開発に限定されてしまい、どんな衛星計画も「技術試験衛星」という名目で開発せざるを得なくなった。それが「技術開発のための技術開発をしている」と政治の不興を買い、内閣府中心の体制改革につながった。旧科技庁からみれば、政治から踏んだり蹴ったりの扱いを受けたわけである。

◆「新しいロケット開発は不要」と考えた内閣府

H -ⅡA後継の新ロケットは2010年くらいには開発を始めるという前提で検討が進んでいた。しかし2008年の宇宙基本法施行によって新体制の中心となった内閣府は「H -ⅡA後継ロケットの開発などもってのほか」という態度だった。「すでにあるH -ⅡAを大量生産で低価格化して年間打ち上げ数を増やせば、新しいロケットの開発など不要」というわけである。

ロケットのような宇宙輸送系は宇宙開発(彼らの言い方を使うなら「宇宙開発利用」)に不可欠だが、それ自身は宇宙利用に直接つながるものではない。最先端の技術は不要でコストが安ければそれでいい。その意味では「大量生産で安くすればいい」というのも一理ある。

◆内閣府の誤算だった、ロケット技術の喪失とスペースXの台頭

しかし、内閣府は2つのことを見落としていた。ひとつは、「技術というものは開発を続けていなければ簡単に失われるものだ」ということである。

日本は1985年から94年にかけて完全な新型ロケットH -Ⅱを開発した。その後H -Ⅱの低コスト版H -ⅡAと、打ち上げ能力増強版のH -ⅡBを開発したが、共に完全新規開発ではなかった。そしてH -Ⅱでロケットの新規開発を経験した技術者は2010年代半ば以降、順次引退していく。このままいけば、経験者から若い技術者への技術継承ができず、日本はせっかく獲得した技術を喪失することになる。

もうひとつは、「革新的技術の開発次第では、従来では不可能なほどの低コスト化と大量打ち上げが可能になる」ということだった。2007年にファルコン1ロケットの打ち上げに成功した米スペースX社は、ファルコン9ロケットの開発に取りかかっており、しかも第1段を再利用しようとしていたが、内閣府の視野にスペースXの野心は入っていなかった。

ただしこれを全面的な内閣府の失策とするのは若干酷ともいえる。というのも、2008年から10年の段階では、日本だけでなく欧州もまた、スペースXを甘く見ていたからである。前述した通り、当時欧州では、スペースXに関して「お手並み拝見」、もっと露骨に言えば「宇宙は甘くないぞ。やれるもんならやってみろ」という雰囲気だった。

◆ようやく始まったものの、7年遅れた「H3」

新ロケット開発に向けた議論は、2012年7月の新体制本格始動から始まったが、内閣府が宇宙利用に固執した結果、1年遅れた。JAXAと産業界は「ここでロケットを新規開発しないと、日本から技術が失われる」と訴え、やっと2014年から新ロケット「H3」の開発が始まった。最初2010年頃に開発開始という想定からは4年遅れである。技術継承という点では、首の皮一枚、ぎりぎりのところでなんとかつながったというタイミングだった。

H3は当初2020年初号機打ち上げ予定だったが、新規開発の第1段主エンジン「LE -9」の開発が難航して2年延びた。加えて、2023年3月の初号機打ち上げが失敗し、原因究明と対策に1年をかけ、2024年2月、2号機が打ち上げに成功した。

ここでの遅延が3年。着手までの遅延6年を加えると当初想定より7年遅れたことになる。

 

その間に、スペースXは、ファルコン9の第1段の再利用を達成し、再利用による打ち上げ機会増大を使って従来とは桁違いの衛星数の通信衛星コンステレーション「スターリンク」の打ち上げを始め、さらに超巨大なスターシップの開発に手を付け、技術開発を突き詰めることで、それまでの世界の宇宙開発をひっくり返してしまったのである。

◆追いつき、また引き離された衛星技術

 

日本の宇宙技術の立ち遅れは、ロケットだけではない。過去、日本はNASDA、そして後身のJAXAの技術試験衛星シリーズで、静止衛星技術の底上げを図り、1994年打ち上げの技術試験衛星6型「きく6号(ETS -Ⅵ)」で、当時の世界の主流になりつつあった静止軌道初期重量2トン級の静止衛星技術を手に入れた。続く「きく7号」(1997年打ち上げ)は、ランデブー・ドッキングと宇宙ロボットの試験衛星で、ここで開発した技術は国際宇宙ステーション(ISS)への、物資補給船「こうのとり(HTV)」のランデブー・ドッキングに活用された。

次の「きく8号(ETS -Ⅷ)」(2006年打ち上げ)は、さらに大型の静止軌道初期重量3トン級の静止衛星技術を取得するために開発された。きく8号で得られた衛星の基本技術はその後三菱電機に移転されて、気象衛星「ひまわり7、8、9号」、準天頂衛星「みちびき」各号に使用された。

が、ここで体制改革が始まって、技術試験衛星シリーズは内閣府の技術開発への攻撃のため停滞してしまった。

最新の技術試験衛星9号機(呼び方が変わった)の開発が立ち上がったのは、2016年だった。この時点ですでに「きく8号」打ち上げから10年空いてしまっている。きく8号は、1997年に開発が始まっているので、そこから計算すると実に19年振りの技術試験衛星ということになる。当初は2021年度にH3ロケットで打ち上げる予定だったが、H3の開発遅延に巻き込まれ、2024年の現時点では2025年度打ち上げとなっている。

<文/松浦晋也>

【松浦晋也】

ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている。『飛べ!「はやぶさ」 小惑星探査機60億キロ奇跡の大冒険』(学研プラス, 2011年)、『はやぶさ2の真実 どうなる日本の宇宙探査』(講談社新書, 2014年)、『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』(日経BP, 2017年)など著書多数。

2024/6/30 8:50

この記事のみんなのコメント

1

こちらも注目

新着記事

人気画像ランキング

※記事の無断転載を禁じます