「紅白パフォーマンス事件」でNHKに干され…DJ OZMAが急転直下の引退宣言/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
自称2000年に韓国で、2004年には台湾でデビュー。2006年、満を持して「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」で日本デビューを飾り、なんと同年末のNHK紅白に初出場したDJ OZMA。
ところが、何も着用していないかのように見えるボディースーツの女性ダンサーらによる「脱ぎパフォーマンス」に対し、放送中から抗議が殺到。番組途中で総合司会の三宅民夫アナが「裸ではありません」と釈明する騒ぎが勃発した。
騒動後、NHK側から番組出演のオファーはパタリと途絶える。翌2007年の紅白出演メンバー発表に際しては、選考発表前からスポーツ紙で「出場辞退宣言」するパフォーマンスを見せるも、むろん出演メンバーに彼の名前が入ることはなかった。
そんなDJ OZMAが突如、記者会見を開き、年内いっぱいでの引退を発表したのは、2008年11月27日だった。OZMAはこう語った。
「2006年の紅白をピークにゆるやかな下降線をたどり、本日に至ります。私はスターではなく普通の人間。これが限界ではないかと思いました」
ところが少し前の9月、とんねるずとの新ユニット「矢島美容室」のお披露目記者会見では、
「目標は紅白復帰と東京ドーム7日間公演。今年の紅白のプロデューサーに詫びを入れたい」
と明言していただけに、この急転直下の引退発表に報道陣は驚くばかり。ただ、「紅白」出演は諦めきれないようで、
「最近、非通知でNHKのプロデューサーに電話してます。Perfumeやジェロは来年も頑張ると思うけど、僕には今年しかないんです。中学時代は縦社会だったので、土下座は得意のもの。ビックリするくらいにきれいな土下座を見せますよ」
冗談とも本気とも取れる「紅白出演要請」で、会場を沸かせたのである。とはいえ、新ユニット結成からわずか数カ月での引退発表に、芸能記者の間では「ある噂」が囁かれたことも事実だった。
「6月に一部週刊誌が、彼の愛人だったとする女性の告白記事を掲載しました。報道直後、本人は自身のブログで〈だって、逢ったこともないじゃん! つーか、自分で言うのもなんだけど〝DJ OZMAの愛人〟って…正直微妙じゃねー?〉と、女性とは面識すらないとして全面否定。その後、怪文書騒動が起きます。だでさえスキャンダルには敏感なNHKですからね。特に『紅白』となれば、なおのこと。それが引退に繋がった大きな理由なのではないか、ともいわれています」(スポーツ紙デスク)
真相のほどは定かではないが、「DJ OZMA」はフリーの俳優に襲名させ、引退後は他のアーティストへ楽曲を提供するなど裏方に回る、と。そして「DJ OZMAは永遠に不滅です」との言葉を残し、壇上から降りた。
はたしてOZMAを突然の引退へと導いた本当の理由は何だったのか。気になるところである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。