私はひとりだって、どこでも自由に行ける。だけど誰かと一緒にいるのも悪くない
大人になってからの「友達」
Simon Maage
2024年に入ってから、異様に友だちが増えている。具体的な人数で言えば、4人くらい。複数で飲んだときに意気投合した人とか、一人で飲んでいたときになぜか連絡先を交換することになり、たまにどうでもいい電話がかかってくる人とか。
「大人になると友だちができなくなるよね」というのはよく聞く話ではあるけれど、私の場合はいまいちピンと来ない。浴びるように酒を飲むから? それとも、ひたすらどうでもいい話をし続けるから? 理由はわからないけれど、嬉しいことではある。
1月もたくさん友だちに会って、「大谷翔平に言い寄られたとして、断ったほうが印象に残る。翔平の忘れられない女になるべき」「アイドルは好きになった時点で2%は付き合ってるってことだろうが!」だとか「暴力とは一体何なのか?」「文学も音楽も文化として平等である」だとかそういう話をずっとしていて、とても楽しかった。仲のよさの程度はあれど全員大切な人で、私にとっては替えの利かない存在だなと思った。
最近は、ようやく人との付き合い方がわかってきた感覚がある。私が何か悩みを相談しても誰も否定しないし、小難しくて面倒臭い話をしても「何を言っているのかよくわからない」と言われることもない。ちゃんと声をあげれば「助けてほしい」という要求が通る。そして、きちんと私のことを対等な存在として扱ってくれる。何か投げかければ、正当な反応が返ってくる。当たり前かもしれないが、その当たり前のことがやっとわかってきたのかもしれない。
大人になってからの人間関係は努力の連続だなと思う。教室にいけば毎日必ずクラスメイトに会えた学生時代とは違って、わざわざ時間を見つけて予定を立てなければならない。自分から何も行動を起こさなければすぐに疎遠になる。お互いのタイミングもあるんだろうが、縁なんて意外とすぐに切れる。続けていくほうがよほど難しいのかもしれない。結構面倒くさい。でも、一度できた人とのつながりを、自分なりの方法で可能な限り大切にしていきたい。
「ひとりが好き」だけど…
私はひとりが好きだ。性に合っていると思う。以前、そういう本を出したこともある。特に趣味に関しては基本的に単独行動を取るし、何かを作り上げる困難や苦悩をわかっているからこそ、誰かとの思い出・体験の共有としてではなく、ひとりで向き合うべきだと思っている。予定を合わせるのが面倒、自由に行動したい、そもそも周囲の友だちとの趣味が合わないなども理由としては挙げられるけれど。
でも、今は「ひとりが好きだ」と思うことを辞めようと思っている。ひとりで色んなところに行ったし、行けるようになった。それは確かに自信に繋がる部分もある。でも、だからこそ誰かと何かをした経験が人より少ない気がするし、こんなにも人付き合いにひっかかることが多いのではないか? と思う。人間関係の悩みが何もない時期って、多分1秒たりともない。昔から趣味の合う友だちがいなかったし、仲良くしたいと思える人も周囲にはあまりいなかった。だからひとりで行動するしか選択肢がなく、そういう自分を正当化したかった部分も多少なりともあったのかもしれない。
ひとりは好きだ。でも、誰かと一緒にいることもそんなに悪くはない。意見が合わないとかまったく理解できないだとか、他人同士だからこそわかり合えない部分はきっとあるんだろうけれど、相手と自分は一体何が違っているのか? どんな価値観を持っているのか? 落としどころはどこにあるのか? そもそも目の前にいるこの人は何なのか? などを、対話を通じて発見したり理解できたりするのが今はやっと楽しいと思えるようになってきた。他者のことをわかりたいのかもしれない。
バンド・ストレイテナーに大山純さんが4人目のメンバーとして加入したとき、「3人でできる表現はやり尽くした」みたいな理由をあげていた(曖昧なので、各自確認してください)。私も、ひとりでできることはやり尽くしたのかも。海外旅行も、コース料理も、焼肉も、果物狩りもひとりでやったし。私はどこにだって自由に行けるんだって、十分にわかったし。
もう少し、自分から他人に近寄って信用してみてもいいんじゃないだろうか。ひとりでいることは選択肢のひとつとして持ちつつ、模索しながら人との向き合い方を変えていきたい。
TEXT/あたそ