史上初の「765億円」移籍!二刀流・大谷翔平と7人の師匠
メジャーリーグ史上初となる2度目の満票MVPに輝いた若きサムライ――。一番星を育んだ先達たちを総力取材!!
オフシーズンになっても大谷翔平(29)に、日本中がくぎづけになっている。
「今シーズンの大谷は、大リーグで日本人初の本塁打王に輝き、史上初となる2度目の満票でのMVPを獲得するなど衝撃の活躍。日本国内の全小学校への“6億円グローブ贈呈”に、WBC決勝戦前にチームメイトに語った“憧れるのをやめましょう”発言が、流行語大賞にノミネートされるなど、大谷のニュースが流れない日はありません」(民放関係者)
■FA争奪戦も激化
当然のことながら、二刀流のFA争奪戦も熾烈化している。
「ロサンゼルスのドジャースなど西海岸の強豪が軒並み、手を挙げるFA争奪戦は、北米4大スポーツ史上でも歴代最高額となる5億ドル超え(約765億円)が確実視されています」(スポーツ紙記者)
また、大谷の活躍の場は、球場だけではない。
■ディズニープラスでドキュメンタリー映画が世界配信
「ディズニープラスで全世界に配信されているドキュメンタリー映画『SHOHEI OHTANI Beyond the Dream』も、視聴ランキング上位の人気ぶりです」(エンタメ誌ライター)
誰もが認める不世出のスーパースターとなった大谷だが、人生の岐路で、師匠と言える人物との出会いがあった。
そこで今回、日米7人の“人生の師”との関係性から、そのバックボーンを探ってみたい。
■野球ノートの秘密
まずは最初の師は、何を置いても、岩手・水沢(奥州市)の地と、そこで彼を育んできた大谷家だ。
とりわけ、社会人野球・三菱重工横浜(現・三菱重工East)でもプレーした父・徹氏の存在をなくして、大谷翔平は語れまい。
少年期に父子が交わしていた野球ノートにつづられた約束事が最初の教えだろう。
「ノートに書かれた“大きな声で元気よく”“キャッチボールを大事にする”“一生懸命に走る”の3つを、今もずっと大事にしていることは、大谷のプレーを観ていても伝わってきます。息子のチームのコーチだった徹さんですが、“家には熱血指導を持ち込まない”という厳格な線引きも、翔平少年にとって、心身ともに良かったと言えそうです」(スポーツライター)
そうした少年期に受ける影響の大きさを、自らも少年野球の指導に携わる愛甲猛氏が、こう指摘する。
「親はもちろん、6歳上に兄貴(龍太氏=現トヨタ自動車東日本コーチ)がいたのも大きい。それと、やっぱり土地柄だよね。これは俺の体感だけど、東北や北陸には、高校野球でも、好きにやらせるタイプの指導者が多い。見聞きする限り、花巻東の佐々木洋監督(48)も、そういうタイプというしね」
■菊池雄星の存在
大谷にとってのさらなる幸運は、花巻東への進学が、佐々木監督に“怪物育成”のノウハウが備わった直後だったことだ。仮に菊池雄星(32=ブルージェイズ)の存在が、もしなければ、大谷の未来も今とは大きく違っていたかもしれない。
「佐々木監督自身、“自分が育てたと言いたいところだが、彼は最初から、ああいう人間だった”と振り返っているように、大谷が伸び伸びと野球に打ち込めたのは、やはり環境のおかげ。自主性を尊重する指導者と、大リーグからもスカウトが押し寄せた身近で偉大な先輩。この二つは、高校球児だった大谷にとって、大きかったはずです」(スポーツ紙記者)
こうした花巻東の“好きにやらせる路線”は、二刀流を提案して口説き落とした日本ハム球団にも踏襲されている。
■栗山英樹監督“不退転の決意”
当時、チームを率いていたのが、プロ野球界では異色の国立東京学芸大で学んだ知性派・栗山英樹監督(62)だったことも奏功した。
「栗山監督は、先のドキュメンタリー映画でも、“5年でアメリカに行かせられなかったら我々の負け”と、不退転の決意で迎え入れたことを明かしています。
もし、日ハムの監督が彼でなければ、今につながる二刀流も、単なる口説き文句で終わった可能性さえあったでしょう」(前同)
■大リーグの名将、マイク・ソーシアとジョー・マドン
高校当時のマンダラチャート(目標達成シート)の大項目に「運」と書き込んでいた大谷だが、“幸運な出会い”は渡米後も続いているという。
大リーグ評論家の福島良一氏は、大リーグを代表する2人の名将、マイク・ソーシアとジョー・マドンの名を挙げて、こう語る。
「二刀流に対して懐疑的な見方も少なくなかった中で、彼の意向を最大限に汲んで、環境とチャンスを与えたのが、エンゼルスのソーシア監督でした」
渡米1年目のオープン戦では、なかなか結果が出せずに、当の大谷自身も苦しんでいた。
「それでも、ソーシアは彼を投打で起用し続けた。当時の監督が彼だったということは、大谷自身にとっても、エンゼルスを選んだ大きな決め手の一つだったと思われます」(前同)
後任となったマドン監督も、そのソーシアに負けず劣らぬ実績の持ち主である。
2008年にはレイズを創設初のリーグ優勝。16年には古豪カブスで、108年ぶりのワールドシリーズ制覇も成し遂げている。
「マドン監督は、試合でも常識にとらわれない多彩な戦術を数々、駆使してきた独創性に富んだ人物です。
コーチだった80年代、MLBとNFLの“二刀流”で活躍するボー・ジャクソンを見て、“あれだけの才能があれば、投打の二刀流もできる”と、その実現可能性に言及していたほどですから、先見の明は折り紙つきと言えます」(同)
一方、選手として投打の“師”と言えるのが、ドキュメンタリー映画でナレーションも務めた日米のレジェンド、松井秀喜(49)とペドロ・マルティネス(52)だ。前出の愛甲氏が解説する。
■“強く振る”天才・松井秀喜
「松井には大谷ほどの器用さはなかったけど、強く振るということにかけては、彼も、やっぱり天才的だったからね。
しかも大谷が野球を始めた小学生当時が、ちょうど松井の全盛期。同じ左打者として、間違いなく憧れもあっただろうね」
実際、その松井が初のMVPに輝いた09年のワールドシリーズは、大谷少年もリアルタイムで観戦。
第6戦、当時、フィリーズで現役最終年を迎えていたマルティネスからの豪快弾は、当人も
「鮮明に覚えている」と語るほどだ。
■影響を色濃く感じるペドロ・マルティネス
「松井以上に影響を色濃く感じるのは、むしろマルティネスのほうかな。スター選手にしては小柄で、下半身の使い方がうまい。非パワー系な投球スタイルも含め、日本人がマネしやすい投手ではあるからね。
そこまで似ているわけではないけど、意図してリリースポイントを下げた今年の大谷には、今まで以上にペドロっぽさを感じたよ」(前同)
ちなみに、そう語る愛甲氏も、投手としてプロ入り。野手に転向した後も、実戦でのブルペン入りを何度も経験するなど、“元祖二刀流”になりえた才能の持ち主だった。
■“モノが違う”ダルビッシュ有
そんな愛甲氏が、大谷と並んで「モノが違う」と評するのが、WBCでの共闘も記憶に新しいダルビッシュ有(37)、その人だ。
「2人の共通点は、日本人離れした自身の体格を熟知したうえで自分の形を作り上げていること。
今は、弾道測定分析機器とかで、あらゆる解析データが手に入るけど、受け取る側に個人差がある以上、AIが弾き出した理想を、ただ追い求めても、一流にはなれっこない」
この点にこそ、2人のすごみがあるという。
「もともとの総合力が高いうえに、そのことを頭でも筋肉でも、ちゃんと理解しているのがダルビッシュであり、大谷。それが彼らの再現性の高いパフォーマンスにもつながっているんじゃないかな」(前同)
ダルビッシュと言えば、『変化球バイブル』(ベースボール・マガジン社)と題した自著で、その握りをすべて公開するなど、昭和の価値観では到底、考えられない発想でも有名だ。
もちろん、『変化球バイブル』の読者が握りをマネしても、プロ野球選手になれるわけではない。
「ああいう本を出せるのも、“他人が理屈を分かったところで、俺のマネはできない”っていう、絶対的な自信がなせるワザだろうね。
俺の師であるオチ(落合博満)さんも“俺のマネは絶対にするな”って、よく言っていたけど、神主打法が理に適っているのも、あくまで、あの人にとってのこと。それは王(貞治)さんの一本打法も同じだね」(同)
ただ、大谷とダルビッシュの関係性は、他の師匠たちとは少し違うようだ。
「まぁ、あの2人に関しては、師弟ってよりは感化し合える“同志”ってほうが正確だとは思う」(同)
■大リーグ生活における大黒柱
では最後に、そのダルビッシュ以上とも言える大谷の同志を一人、紹介したい。
大リーグにおける大谷の活躍があるのは、多分に、この人のおかげと言っても過言ではないだろう。
「やっぱり、通訳の“一平ちゃん”こと水原一平氏(38)じゃないかな。いくら野球が万国共通のスポーツといっても、異文化に飛び込んで、毎日プレーするのは並大抵のことじゃない。それは、日本に来ている外国人選手も同じだよ」(同)
通訳の仕事は、言葉を伝えるだけではなく、とんちの効いた気配りも求められるという。
「昔、ロッテにディアズって助っ人がいたんだけど、彼の通訳は、監督の金田(正一)さんが、どんなに怒鳴り散らしても、全部、“足は大丈夫かって聞いている”と訳していた(笑)。
そういう気遣い一つを取っても、通訳の善し悪しって、かなり重要だと思うよね」(同)
自然と周囲を味方にする人間性や運も、トレーニング同様、大谷が日々、会得していったものに違いない。
■二刀流・大谷翔平の「7人の師匠」略歴
ダルビッシュ有【二刀流が投球で憧れた】1986年8月16日生まれ。NPBで最強投手の名をほしいままにして、2012年に渡米。20年に日本人投手初となる最多勝利を挙げるなど、大リーグ屈指の好投手。
大谷徹氏【MVPの父】1962年生まれ。幼少期より野球を始め、三菱重工横浜野球部でプレーした元社会人野球選手。現役引退後は、水沢リトルでコーチと監督を務め、息子を指導した。
栗山英樹【日本の恩師】1961年4月26日生まれ。現役時代は目立った成績ではなかったが、日ハムを率いた10年間で2度の優勝。23年のWBCでは監督として、大谷を招聘し、世界一へ。
花巻東・佐々木洋監督【天才を覚醒】1975年7月27日生まれ。大谷翔平だけではなく、ブルージェイズの菊池雄星を育成した。野球部員の丸刈りを廃止するなど、型にはまらない指導に定評がある。
ジョー・マドン【アメリカの恩師】1954年2月8日生まれ。カブスを苦しめた「ビリーゴートの呪い」を解いた監督として知られる。また、最優秀監督賞を3度受賞するなど大リーグきっての名将。
松井秀喜【二刀流が打撃で憧れた】1974年6月12日生まれ。甲子園での5打席連続敬遠など、高校時代から幾多の伝説を残す。大リーグでは、日本人選手初となるワールドシリーズMVPに選出。
ペドロ・マルティネス【お手本】1971年10月25日生まれ、ドミニカ出身。レッドソックスなどで活躍した元大リーガーで、サイヤング賞を3度受賞した大投手。大谷が憧れる美しいフォームを持つ。