千原ジュニアと小籔千豊が一触即発、90年代の2丁目劇場のヒリついた空気感

 全国で人気のタレントを多数輩出し、またローカル番組らしい味わいがクセになる、関西制作のテレビ番組に注目する連載「関西バラエティ番組事件簿」。

 今回は、9月4日放送『お笑いワイドショー マルコポロリ!』(カンテレ)で特集された、「伝説の2丁目劇場SP」について触れたい。

1990年代の2丁目劇場で千原兄弟らが人気に

 大阪・心斎橋筋2丁目劇場は1986年5月、現在の吉本興業会長・大崎洋が、吉本の伝統的なお笑いへのカウンターを生み出すために作った劇場で、NSC出身で師匠を持たないノーブランド芸人たちの主戦場となった。なかでもダウンタウンが司会をつとめた『4時ですよーだ』(毎日放送)が爆発的な人気となり、その存在が広く知られるようになった。

 ところが1989年に番組が終了し、ダウンタウンらも東京へ進出するために劇場を卒業。一旦、その賑わいが落ち着いた。それでもその4年後となる1993年から『爆笑BOOING』(関西テレビ)、『2丁目ワチャチャTV』(テレビ大阪)、『笑いの剣』(ABC)の放送が始まって再ブームが起こり、ネタランキング番組『すんげー! BEST10』(ABC)で最高潮に。千原兄弟、ジャリズムらが若者たちから絶大な支持をあつめた。

 1997年に千原兄弟が卒業し、『すんげー!BEST10』も同年に放送終了。1999年3月、入居するビルの老朽化にともない建て替えが決定し、劇場は閉館した。

若手時代の千原ジュニア「お笑いストリートファイト、やりましょか」

『マルコポロリ!』の放送内容で興味深かったのが、当時の若手芸人たちの関係性が思っていた以上に殺伐としていたところである。特におもしろかったのが、当時の主要劇場だったうめだ花月と心斎橋筋2丁目劇場の社員同士の仲が悪かったことが影響し、それぞれの劇場に出ている芸人たちも火花を散らしあっていたという話。

 うめだ花月に出ていた藤原敏史(FUJIWARA)、小籔千豊、多田健二(COWCOW)、土肥ポン太と、心斎橋筋2丁目劇場の千原ジュニア(千原兄弟)、ケンドーコバヤシ、高橋茂雄(サバンナ)がミナミで鉢合わせしたとき、ジュニアは「お笑いストリートファイト、やりましょか」と吹っかけたという。その話に乗りかけたのが小籔だったそうで、結局は藤本らの仲裁でことなきを得たが、ジュニアは小藪の好戦的な態度に怒りをにじませながらもどこか、嬉しそうだったという。まるで芸人版『クローズZERO』のような話だ。

『マルコポロリ!』のレギュラー出演者・あいはら雅一(メッセンジャー)も「いまでは考えられないくらいヒリヒリしていた」と1990年代の大阪の若手芸人事情を振り返った。ちなみに心斎橋筋2丁目劇場は、東京・銀座7丁目劇場とも抗争を繰り広げており、大阪で「ジャックナイフ」と呼ばれていたジュニアと東京で「狂犬」として恐れられた加藤浩次(極楽とんぼ)は、「混ぜるな危険」の間柄で共演NGが囁かれていたという。

 たしかに1990年代後半から2000年代の大阪の若手芸人たちには、そういったギラつきがあったと聞く。

 なかでも中川家は、駆け出しのときに心斎橋筋2丁目劇場の舞台に立ってその、殺伐としたムードを味わっていたこともあってか、千原兄弟らの東京進出後はかなり厳しい態度で若手たちと接していた。筆者が2021年、笑い飯にインタビューをおこなった際、哲夫も「僕らの若手時代は中川家の礼二さんが怖かった」と語っていたほど。笑い飯が若手時代、賞レース後に松竹所属(当時)のチョップリンと飲んでいたとき、礼二と黒田有(メッセンジャー)がやって来て「よその事務所の芸人と飲むな。その準優勝のトロフィーを道頓堀川に捨てろ」と言われたのは有名な話だ。

 そういった“伝統”を受け継いだのが、まさに笑い飯であり、千鳥や麒麟らである。笑い飯は、おもしろいと感じないものが一切認めてこなかった。NON STYLEのことを酷評し、「不仲」が伝えられていた。

 また、筆者がトキ(藤崎マーケット)へインタビューしたとき、彼は「笑い飯さんや千鳥さんがトップだったときのbaseよしもとの時代に戻りたくない。おもしろくなければ人にあらずんば、という空気が本当に怖かった」と思い返していた。笑い飯、千鳥は日常生活のなかでも、何かを見つけるとその場で「おもしろいことをやってやろう」と、大喜利状態になったという。四六時中、笑いに没頭していたのだ。

 それはまさに、ジュニアが小籔らに仕掛けた“お笑いのストリートファイト”と同様のもの。『マルコポロリ!』では、ジュニア、ケンコバらが、酔いつぶれて倒れた陣内智則を見て、救急車が来るまでの間「(この光景に)おもしろいタイトルをつける」ということをやっていたことも明かされた。笑いに対して度を超えており、怖さすら感じるエピソードである。

笑い飯・西田「どんなときでも刺激が欲しい」

 笑い飯の西田幸治は、現在でも『M-1』のような刺激的な場所を求めていると話していた。「劇場だろうがテレビだろうが、どんなときでも刺激が欲しい。後輩に負けたくない気持ちがある。いつまでも『あの人はおもろい』と言われたいから」と笑みを一切浮かべず語っていたのが印象的だった。

 そういった面々だからこそ、ベテランになってもなお『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)、『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)、『千原ジュニアの座王』(カンテレ)といったバトル形式やそれに近いスタイルの番組に出て、「誰が一番おもしろいか」を決めるような笑いに挑んでいるのではないか。彼らは“血”に飢えているのだ。

 今年も『M-1』や『キングオブコント』など、ビッグな賞レースのシーズンがやって来る。新たなスターが誕生することになるだろう。ただそこで勝ち上がった先には、ジュニアらのような1990年代に“ストリートファイト”でのし上がってきた芸人たちが、「誰が一番おもろいか決めようや」と拳を鳴らして待ち受けている。

  

2022/9/8 11:00

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