「令和の虎」ドラゴン細井、炎上しても気にしない理由「手術の腕が落ちるわけではない」

 茶髪ロン毛に、彫りの深い顔立ちから放たれる鋭い眼差し……。いかにも怪しいこの人物、一体、どこぞの夜の住人かと思ってしまうが、実は堂々たる「医師」である。

“ドラゴン細井”こと細井龍。美容外科「アマソラクリニック」院長として、日々多数の手術を行うだけでなく、医学部受験塾やドクターの人材紹介会社の経営も手がけるなど、「やり手実業家」としての一面も持つ。

 そして最近では、SNSやYouTubeチャンネル「令和の虎」に出演し、ガチギレしながら相手に反論の余地を与えずに完全論破する「頭のいいキレキャラ」ぶりを披露。その痛快なトークでネットでの人気が爆発している。本業の医者以外でも影響力を高めるこの人物は一体、何者なのか。その実像に迫った。

◆キャラは普段の自分そのまま

──YouTubeで「ドラゴン細井」と検索すると、数十万回再生されている動画ばかりの人気ぶりです。美容医療の実態暴露から、「令和の虎」での志願者を叱咤激励するシーンなど、エンタメ色が強くてつい再生してしまいます。

細井:まあ、僕は見た目で患者さんにいかつい印象を与えてしまうので、動画やSNSを通じて、トークの軽快さでキャッチーなところも見せようと思って。’20年ごろから「ドラゴン細井」と名乗り始めたんですが、それも「ピエール瀧」みたいに、メディアに引き合いがありそうかなと思って名づけました。今後僕も捕まらなければいいんですけど(笑)。

──動画でのスカッとする物言いが痛快なんですが、正直、キャラを盛っていませんか?

細井:いやいや、普段の自分そのままですよ。一切、脚色なし。動画視聴者からは「『令和の虎』の志願者の情報は前もって知らされているんですか?」とよく聞かれるんですが、本当に何も聞かされてなくて。全員が初対面で、そこから性格とか事業内容を把握しながら、ビシビシとダメ出ししています。

◆炎上で手術の腕が落ちるわけではない

──細井先生が出演している箇所の切り抜き動画が何十万回と再生されていますよね。コメントでは「細井先生の叱りには愛がある」なんて書かれていたりして。

細井:そう言われるのがすごく嫌いなんですよ。別に褒められたくてやっているわけじゃないし、本当に思っているから言っているだけで。一応、「令和の虎」では“切り込み隊長”的な位置づけらしいですけど、切り込みすぎて呆然とする志願者もいましたね(笑)。

──ただ、強めな発言をすると良くも悪くも目立ちます。何かをきっかけに炎上するのではないかと、勝手ながら心配してしまうのですが。

細井:僕の場合は、揚げ足を取られようが、炎上しようがあまり気にしないようにしようと思っています。あくまで「医者」という専門職なので、それによって手術の腕が落ちるわけではないですから。そもそも交友関係は精査していて、グレーな方々とはあまり深く付き合わないようにしています。そのあたりの“嗅覚”は大事だと思っています。

◆超進学校の“ビリ常連”から1年で偏差値40以上アップ

──細井先生が医者になるまでの経緯を聞きたいのですが、まずは、どういう学校時代だったんですか?

細井:中学高校は、渋谷教育学園幕張という、共学では日本一東大進学者を輩出する進学校にいました。ただ、その中では圧倒的にヤンチャなグループで。というのも、地元が千葉の鎌ケ谷という田舎のほうで、ヤンキー文化が盛んなところだったから、オラつくのが格好いいと思っていたんですよね。さらに極真空手も習っていましたし。勉強なんかまったくしてなくて、高校2年生の段階では、学年全体の下から3番以内にはずっと入っていたと思います。

──先日、ツイッターで渋谷教育学園幕張高校の構内の様子が話題になっていました。帰国子女の生徒たちが、休憩時間に廊下で英語のみで会話しているという……。

細井:ああ、あんなの日常茶飯事ですよ。一緒に遊んでいた“ヤンチャグループ”の中にもいたんですが、ゲーセン行って対戦で負けると「Mother F○○ker!」とか、「Son of a 〇〇tch!」とか、普通に叫んでいましたからね。

──受験勉強へのスイッチは、いつぐらいから入ったんですか?

細井:高2の中ごろですかね。やっぱり進学校なんで、受験の時期が近づいてくると、授業からして、周りのヤツらの空気が変わるんですよ。それまではスポーツができるとか、ちょっと悪そうみたいなのが目立っていたのが、パッタリと目立たなくなるわけです。「これが進学校か」と思いましたね。自分も本腰を入れてから、1年ぐらいで偏差値を40以上は上げたかな。

──それはすごい。まるで『ビリギャル』みたいですね。

細井:ビリギャルは少し演出が強すぎるとは思いますね。結局、それまでのヤンチャっていうのも、子供のころ特有の、エネルギーが溢れに溢れ返っている状態で、そのベクトルが勉強に向いただけのことです。

◆東大に行っていたら美容外科医になっていなかった

──大学はどこを志望していたんですか?

細井:東大の理Ⅲですね。せっかく受験レースに加わったし、さらには日本でも有数の進学校にいる以上、「早慶レベル」っていうのは通り道でゴールじゃないんですよ。あくまで目指すのは偏差値でも頂上のクラス。これ、中学を受験する子供の親御さんたちにもよく言うんですが、受験で一番大事なのって「環境づくり」なんです。

例えば偏差値が50ぐらいの学校だったら、早慶に合格したらめちゃくちゃすごいって思われるわけじゃないですか。でも偏差値が70近い高校に入っていると、東大とか医学部の受験が当たり前になってくる。将来、余裕を持った進学を考えるのであれば、まだ子供本人の我が少ない、中学の段階から親がいい学校を選んで勉強させるっていうのが当然なんですよね。

──では結局、東大理Ⅲには合格したんですか?

細井:いや、落ちましたね(笑)。結局1浪しても東大理Ⅲには行けず、偏差値で言えば少し下の千葉大の医学部に行きました。今のところ、自分の人生の失敗と言えるのは7中学受験の第1志望、麻布中学校・高等学校に落ちたことと、この東大理Ⅲに落ちたことぐらいですね。ただ、今では「自分は東大に行く運命じゃなかったんだな」と思って納得しています。もし東大に行っていたら、恐らく今のように美容外科医になっていなかっただろうし、今ほど稼げてもいないんで。

◆医学部を受験する「流行り」があった

──それでも十二分にトップクラスの学歴ですよ。「医学部」を志望していたのはなぜですか?

細井:叔父が開業医をしていたり、母が薬剤師の資格を持っていたりと、身近なところに医療関係の人がいたっていうのは大きかったです。でも、一番の理由は「流行り」じゃないですかね。僕が受けていたときって、東大ももちろんですけど、医学部を受験する風潮があったんですよ。もう弁護士も数が増えていて、官僚もブラック労働ということが知れ渡っていた。それなら、勤務の自由度が高く、年収も高い医者だよねっていう流れがあったんです。

──先に聞いてしまうんですが、美容外科医って実際どれくらいもらえるものなんですか?

細井:ほかの診療科よりも高くて、研修2年を終えて、どこかのクリニックに雇われで入った初年度で、年収2000万円くらいです。新宿、渋谷、池袋など、大きなところの院長なら、1億円近くは稼いでいるんじゃないですかね。

◆医学部時代にはホストで「頭のいい生き方」を学ぶ

──「アマソラクリニック」は渋谷にあるので想像がつきます(笑)。大学ではどんな生活を送っていたんですか。勉強漬けとか?

細井:いや、勉強の類いは医師国家試験の時期にしかしてないですね。一生で考えても、中学、大学を入れて3回だけ。僕が1年生のときは、歌舞伎町でホストをしていたんですよ。道を歩いていたらスカウトされて、「トーク力も鍛えられるし、ゴリッと女遊びできそうだし面白そうだな」と思って。今では「東大生ホスト」「医学部生ホスト」なんていうのもいますけど、自分が働いていた12、13年前はまだ歌舞伎町の雰囲気も怖かったし、めちゃくちゃ浮いていました。週3ぐらいで入っていて、ナンバーワンではなかったですけど、ほかと比べても結構もらえていたほうだったと思います。

──お酒を大量に飲むことへの免疫ができそうですね。

細井:いえ、自分は全然飲まなかったんですよ。本当、どこの世界でもそうなんですけど、頭良く、要領良くやれる人物は損をしないんだなと。ホストにおいてもトーク、キャラクターが秀でていれば、お客さんはボトルを勝手に入れるし、それを周りのスタッフが勝手に飲んでくれる。いい社会勉強になりましたね。

◆家庭教師のチーム化が、運営する医学部受験塾の前身に

──ホストは1年でやめて、その後はどんなことをしていたんですか。

細井:今の事業にもつながってくるんですけど、家庭教師のアルバイトをするようになりました。教える才能があったのか、自分が担当していた生徒が医学部とかにバンバン合格して、最終的には時給7000~8000円ぐらいまで上がったんです。「これはやりがいがあるな」と、友人たちとノウハウを共有して、チーム化した運営を始めたんです。

──その家庭教師のチーム化が、今も運営する医学部受験塾「MEDUCATE」の前身になったと。

細井:はい。自分が研修医だった’15年に立ち上げました。「教育」って何が面白いって、18~19歳ぐらいのコの人生をガラッと変えることができるんですよ。多感で、人生に迷いやすい時期でもあるので、入塾した生徒たちには、最初にマインドを一斉にリセット、というか人格否定ぐらいまでしています。宗教に入ったぐらいの気持ちで勉強に取り組んでもらったほうが、結果的には絶対にうまくいくんですよ。

※4/26発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです。

【Dragon Hosoi】

’88年、千葉県生まれ。渋谷教育学園幕張高校を卒業後、1浪して千葉大学医学部に進学。JR東京総合病院、がん研有明病院形成外科の研修を経て、’20年3月、渋谷に「アマソラクリニック」を開院。ちなみに自分は「一切整形していないです(笑)」とのこと

取材・文/東田俊介 撮影/菊竹 規

―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

2022/4/29 8:51

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