人の結婚を素直に喜べない…。仕事に全てを捧げるキャリア女子が、毎夜巡回する怪しげなサイト

高い偏差値を取って、いい大学へ進学する。

それは、この東京で成功するための最も安定したルートだ。

…あなたが、男である限り。

結婚や出産などさまざまな要因で人生を左右される女の人生では、高偏差値や高学歴は武器になることもあれば、枷になることもある。

幸福と苦悩。成功と失敗。正解と不正解。そして、勝利と敗北。

”偏差値”という呪いに囚われた女たちは、学生時代を終えて大人になった今も…もがき続けているのだ。

▶前回:「私、なんでバイトなんかしてるんだろう…」エリート街道から外れた女に、莫大な教育費を注いだ母が言った一言

File5. 千穂(29) 典型的な「高学歴独身女子」


「うわっ、いけない!もうこんな時間じゃない。今日こそはスーパーに寄って帰らないと、ホント明日には冷蔵庫が空っぽになっちゃう」

汐留のオフィスで、時計を見て1人つぶやく。

テイクアウトの容器を捨てるのも忘れるくらいに仕事に打ち込んでいた千穂は、急いで仕事を片付けていった。

「…失礼します」

結局、今日もオフィスを出るころには22時を回っていた。

千穂が勤務するのは、国内最大手の総合ITベンダーだ。

時世もあり、昨年からPCのログ時間が記録されるようになるなど、時間外労働への監視はますます厳しくなるばかり。

しかし千穂の実態はというと、「働き方改革」など陳腐な言葉に思えるくらいに、連日のように深夜残業をこなしているのだった。

― 疲れた~!なんとかスーパーの閉店に間に合うかな…。

残業を終え退社し、疲れた体を引きずるようにして駅に向かい、電車に乗り込む。

3駅ほど過ぎたころにやっと空いた席に座り、バッグからスマホを取り出した。

― あぁ…。こんなページを読んでいるなんて、周りの人に見られたら「この人ヤバイ」とか思われるかな…。

千穂のスマホに表示されているサイト。

それは、周りの人から見られないように思わずスマホを傾けたくなるようなものだった。

千穂の心をえぐる刺激的な言葉

頑張っているねと、誰かに認めてほしい


千穂がこっそりと見ているサイト。そのトップには、大きなフォントでこんなタイトルが掲げてあった。

『30代独身女子 独身でいることの厳しさと結婚できる確率』

― こんなもの、見ない見ない!気にしない…。

こう思いながらも、つい本文を読み進めてしまう。

『20代とは違うという自覚がない』

『自分の市場価値はさておいて、結婚相手に求める理想が高い』

『婚活ではない出会いに期待している』

『完璧主義で頭が固い』

この手のサイトの本文には、30代を目前にした千穂の心をえぐるような刺激的なワードが散らばっている。

― こんなサイトばかり見ても何もいいことないのに、私は一体何をやってるんだろう…。

自分でも、つくづくそう思う。

しかし千穂は、ついついこんなサイトばかり見ては落ち込み、ため息をつきながらスーパーに寄って家路につくという、不毛なルーティンを毎晩繰り返しているのだった。



深夜まで働いた体は、クタクタに疲れて果てている。

― お風呂から上がったらビールでも飲もうかな。あ、でも時間が時間だし、ローカロリーチューハイにしておくか…。

傍から見たら、みじめな独身サラリーマン女子の光景かもしれない。しかし何だかんだで、千穂はこの疲労感が決して嫌いではないのだ。

仕事は充実しているし、キャリアも順調。課長代理の役職を得て、順調にいけばそろそろ課長に昇進するころだろう。

缶チューハイを飲みながら、千穂はぼんやりとこれまでのことを振り返る。

中高一貫の共学進学校を卒業し、一浪までしたけれど、第一志望だった東大文Ⅰには落ちてしまった。

第二志望の早稲田大学法学部を卒業後の今は、誰もが知る国内最大手のIT企業で、こうして順調にキャリアを形成している。

「東大には落ちちゃったけど、早稲田を出てうちの会社勤めているなんて上出来じゃない。30歳前の女としては頑張ってる方よ」

褒めてくれる彼氏もいない千穂は、こんなふうに自分だけは自分のことを褒めてあげたいと思っていた。


しかし、仕事に充実感を覚える一方で、プライベートでは心に黒い雲が立ち込めるような出来事が続いていた。

それは、30歳を目前にして、怒涛の結婚ラッシュが押し寄せていることだ。

千穂のもとに毎月のように届く、友人たちからの結婚式招待状。

参列する友人たちから「千穂またあのドレス着ている」と思われるのも気まずいので、先日新しいドレスをもう1着買ってしまったくらい頻繁に結婚式に出席している。

キャリアは積みたい。

でも決して結婚したくないわけでも、子供を産みたくないわけでもない。

30歳を目前にした女性の、本当にありきたりな悩みなのはわかっている。

それでも、友人からの結婚や出産の報告を受けるたびに、嫉妬とも焦りともつかない感情が心に広がってしまうのだ。

― どうして、人と比べちゃうんだろう。どうして素直に喜べないんだろう…。

キャリアと結婚を両立できず、周囲に嫉妬してしまう自分。

そんな醜い感情を抱く自分を、誰よりも千穂自身が一番受け入れられずにいるのだった。



翌週。

打ち合わせブースからデスクに戻り、時計を見ると18時を回っていた。

― あぁ、まだ全然終わらない。今日も残業だわ…。

デスクに座り、気を取り直してPCを開いた千穂。

そんな矢先、千穂の所属する部署のトップである本部長からチャットが届いたのだった。

『突然申し訳ないが、急ぎで15分ほど話したいことがある。18:30から第5会議室に来てもらえるかな?』

『はい、承知いたしました。』

落ち着いた文面でそうチャットを返したものの、千穂は内心いてもたってもいられないのだった。

本部長から呼び出されるって…

― いきなり本部長から呼び出されるなんて、一体何の用件かしら?私、クライアントからクレーム受けるようなことでもやっちゃったかな…

18:30少し前に第5会議室に入室した千穂は、「何を言われるのかしら」と内心ビクビクしている。

少しして、会議室のドアをノックする音が聞こえた。

「忙しいのに、突然で申し訳なかったね」

そう言って入室してきた本部長は、早速話を切り出す。

「実は、日本からUSオフィスに出向していた社員が、本人都合で再来月に急遽退職することになったんだ。この社員の穴埋めで、私の管理下の人員から1名USに行ってもらう必要が出てきた。

上層とも相談したが、必要なスキルセットや、今後の本部の育成プランを考慮すると、千穂さんが適任ではないかという話になっている。

君にぜひ、USに行ってもらいたい。今後のキャリアアップにもなるはずだし、前向きに検討してもらえないか」

上司からの話というのは、海外赴任の内示だった。

「えっ、私ですか…?」

もちろん、千穂の日頃の働きが評価されての打診であることは理解している。嬉しい気持ちもないわけではなかった。

しかし、「あまりに突然のことに戸惑いを隠せない」というのが本音だった。

思いもよらぬ展開に、千穂は考えもまとまらないまま、モゴモゴとこう答える。

「突然なことで驚いてしまって…少し考える時間をいただけないでしょうか」

打診を聞いた時、2つのことが頭に浮かんだ。

1つは自分の婚活のこと。

この打診を受ければ、確実に結婚は遠くなるだろう。帰任した時にはすでに30代後半に差し掛かり、益々結婚に不利なオンナとなってしまうことは容易に想像できた。

そしてもう1つは、千葉に住む母親のこと。

父は3年前に亡くなっている。5歳上の兄も遠方の大阪に住んでいる。必然的に、母親の面倒を見ることになるのは自分なのだと、千穂は覚悟していた。

母親はまだ60歳になったばかりで元気ではあるが、それでも一人暮らしさせたままUSに行くことは、さすがに躊躇してしまうのだ。

― お母さんを置いて…どうしよう。私、US行って大丈夫なのかな…。

この日ばかりは、帰りの電車でチェックするサイトが違っていた。スマホで検索するのは、「海外赴任」「一人暮らしの親」というワードでひっかかるサイトばかり。

「あ、お母さん?私、千穂だけど‥‥」

そして、1人で散々悩んだ千穂は、週末になってようやく母親に内示のことを告げたのだった。



千穂のもとに兄から電話がかかってきたのは、それから1週間後のことだった。

「千穂、お前海外赴任の話が出てるんだってな。母さんから聞いたよ」

千穂の兄は、大阪の大学を卒業して、そのまま大阪で就職している。昨年結婚もして、大阪に骨を埋めることを決めている兄とちゃんと話すのは、年に1回あるかないかだ。

― お母さん、早いな…。もうお兄ちゃんに言ったのね。

「うん…」

言葉を濁して答える千穂に、兄は意外な言葉を発した。


「母さんな、『自分のことが心配で、赴任をためらっているんじゃないか』って心配してたぞ」

「……」

兄からの言葉に、千穂は何と答えたらいいのか分からない。

戸惑う千穂に、兄は続ける。

「母さんは、『結婚してほしい気もあるけど、千穂は自分の仕事頑張った方がいいんじゃないかしら』って言ってたよ。

俺が言う話でもないけど、それなりに評価されてるからのことだろうし、このチャンスを生かしてUSに行った方がいいと俺は思うよ」

「ありがとう…でも」と続けようとした千穂に、兄は畳みかけるように言った。

「お前のことだから、母さんのこと心配してるんだろ?母さんは、俺の家族や親戚で見るから大丈夫だよ」

「……」

兄とは離れて暮らして久しく、お互いの気持ちを伝え合うことなどなくなっていた。

にもかかわらず、その兄にすべてを見透かされていたことが気恥ずかしい。

しかし、その言葉はとても温かいものだった。

千穂は携帯電話を握りしめながら、知らぬ間に涙ぐんでいる自分にようやく気がつく。

― 私には、こんなにも自分を想ってくれる家族がいる。それに、キャリアを積んできた自分を自分で評価してあげたいって、ずっと思ってきたのに。こんなに大切なことを、どうしてすっかり忘れてしまってたんだろう…。

30歳を目前に、世間体を気にして迷う日々。

そんな日々の中で迷子になっていた自分を、千穂は心の底から恥じたのだった。



「先日は赴任のお話をありがとうございました。ぜひお受けしたいと思います」

面談を依頼した本部長に、千穂は改めてこう返事した。

「よく決心してくれた!日本からいつも応援しているから、困ったことがあったらいつでも言うんだよ」

本部長の笑顔を見て、千穂はやっと自分の決断に自信を持てるような気がした。

辞令が正式に発表された後、千穂は数多くの上司や同僚から、温かい励ましの言葉を受けるのだった。

「聞いたよ!USに行くんでしょ?」

「おめでとう!すごい、大抜擢じゃない!」

「寂しかったらオン飲みしようよ!時差があっても大丈夫だから!」

― 自分を応援してくれている人は、たくさんいる。自分なりに頑張っていくことで、後悔しない私になろう。

30歳を目前にして、彼氏もいない独身女子。だけど自分にできることを、毎日精一杯頑張っている。

今日も結局、終電近くまで残業してしまった。

心地よい疲労感に身を任せながら、千穂は駅のホームでひとりこうつぶやく。

「こんな自分も、きっと悪くないはず」

自分という人間を、やっと受け入れられた気がする。

USで活躍する自分の姿を思い描く千穂は、もう、電車の中で自虐的な検索をすることもないのだった。


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