“密フェス”への心情も吐露!川崎生まれのラッパーKOWICHIがキャリア10年を迎えた心の内

 川崎市生まれ、ラップデュオ〈enmaku〉としての活動を経た2012年にソロデビュー・アルバム『The Chips』をリリースして、ほどなく10年の節目を迎えるラッパーのKOWICHI。この10年の間に、CDからデジタル配信へと楽曲を聴くプラットフォームが変わり、今はサブスクリプション・サービスの台頭も手伝って、アーティスト個人が生き延びやすい時代にもなった。そんな時代を駆け抜け、今はレーベルオーナーという肩書も持つKOWICHIが、自身のキャリアを振り返りながらビジネスマインドについても語ってくれた。加えて、遺憾ながら日本全国を騒がせることになってしまったヒップホップ・フェス『NAMIMONOGATARI2021』についても、いち出演者という立場から意見を聞いた。

――今日は、KOWICHIさんが2020年に立ち上げた自身のレーベル〈SELF MADE〉のスタジオにお招きいただきました。川崎市内に位置するスタジオですが、まさにここが地元という感じでしょうか?

KOWICHI 自分が生まれた場所は、ここから1駅隣くらいの場所。生まれてすぐ、溝口あたりに引っ越したんです。

――バックグラウンドから窺いたいのですが、子どもの頃はどんなふうに過ごしていました?

KOWICHI 幼少期の記憶はあんまりないんだけど、サッカーをやっていたんですよ。立ち位置的には“陽キャな陰キャ”って感じで、今もそんな感じのつもり。中学生の頃から学校はほとんど行かなかったけど、サッカーだけはずっとやってた。今でも覚えているのが、中3の3学期に通知表に書かれていた出席日数が「4日」で(笑)。毎日夕方まで家で寝ていて、そこから公園とか多摩川で友達と溜まって、朝に解散するってパターンだった。

――そのまま、高校に進学した?

KOWICHI いや、高校はもともと行くつもりがなくて、サッカー選手になろうと思っていたし、親もそんな感じだった。でも、中学を卒業する直前くらいにサッカーも辞めちゃったんですよ。その頃にはすでに親父と母ちゃんは離婚していて、俺は母ちゃんと住んでた。ある日、寝ていたら、いきなり親父に思いきり蹴られて背中に激痛が走ったことがあったんですよ。それから親父の知り合いがやってる産廃(産業廃棄物)を扱う事務所に放り込まれた。

――それで、ちゃんと仕事をする生活がスタートした?

KOWICHI 朝8時出勤で、ゴミの仕分けを夕方までやり続けるっていう仕事だったんですけど、まあ……ちょっと無理だったっすね。半年も続かなかった。そこを辞めた後も、とにかく働きたくなくて。でも、家にいると母ちゃんがスニッチ(密告すること)して親父が来るから、実家を出て友達のところとかに転がり込んで生活してました。

――ラップを始めたのもそれくらいの時期?

KOWICHI 地元に3つ上の従兄弟がいて、その代の人たちはみんな不良だったんだけど、すごくよくしてもらってたんですよ。で、その人たちがみんなヤンキーじゃなくてヒップホップだったんです。格好もそうだし、喧嘩するときも(素手じゃなく)スケボーでひっぱたくみたいな。そこで遊んでもらってたから、自然とヒップホップは中学のときから聴いてました。小6のときに『さんピンCAMP』(90年代に開催された伝説的なヒップホップイベント)も見ていたし、周りの先輩たちがラップやDJ、ダンスなんかをやっていたんで、その影響でラップを始めました。最初はDJをやろうと思っていたんだけど、まったくできなくて。初めてライブしたのは湘南だったかな。ラップを始めたばかりのときは洋服屋で働いていて、そこで一緒に働いてたのが湘南のヤツだった。

――実際にラップを始めて「新しい世界だ!」のような発見はありました?

KOWICHI それまではクラブとかも行ったことなくて、田舎者ヴァイブスだったんですよ。だから、初めてクラブに行ったときは本当に刺激的だった。まさに「こんな世界があるんだ」みたいな。女の子もゴテゴテのブラックなメイクをしてる子やドレッドの子とかもいて、「こんな女の子たち、本当にいるんだ」って(笑)。

――ライブ活動を繰り返しながら、徐々にラップすることが楽しくなってきたな、という感じでした?

KOWICHI ラップ自体はずっと楽しいですけど、今ではビジネスも絡んできたり曲げられない信念も出てきたし、と同時に「ここまでセルアウトできねえよ」みたいな気持ちもある。でも、当時はそんなことは一切考えていなかった。楽しいか楽しくないかで言えば、昔の方がただただ楽しかったですね。

――当時は実際の稼ぎよりも、楽しさを重視していた感じ?

KOWICHI かもしれない。当時はまだCDの時代だったし、実際にやってみて「ラップはマジでカネにならねえ」って思いましたもん。逆に、カネになってた人もいたんだろうけど。ストリーミングやデジタルの時代がやってきた今のほうが100%お金になるなと思う。その時代を乗り越えてきた俺の目線から言わせてもらうと、いまラップでメシが食えないって言ってる人は、「気持ち、弱くない?」って思っちゃうんですよ。「俺、もっと冬(の時代)から来たよ?」って。

――レーベルからCDをリリースするのも一苦労でしたしね。コストも超かかるし。

KOWICHI そう。もっとやりにくかった時代だったから「今は、超カネになるじゃん」としか思えない。

――実際に「お、カネになるな」と思い始めたのは?

KOWICHI 「Boyfriend #2」(14年)が評価されて、俺の中でもデカい作品になったから今後を決めていくひとつのきっかけになりました。その次のアルバム『SheCRET』(15年)も含め、当時はP-VINEから作品をリリースしてたんですけど、今考えてみると、自分でやったら超カネになったんだろうなと思いますね。

――16年に発表したアルバム『The PLAIN』からは、DJ TY-KOHらとともに〈FLY BOY RECORDS〉を立ち上げて、完全に自主制作として作品を発表し始めました。このタイミングでも、稼げる額の違いを感じた?

KOWICHI もう、めっちゃ感じましたよ。ちょうどその頃に日本でもApple Musicが勢いを増してきて(註:Apple Musicが日本でサービスを開始したのは15年6月30日)、入ってくるカネの桁が本当にひとつ違ってきた。自分で権利を持つってこういうことか、と。

――その頃、共同でレーベルを立ち上げるにあたって原盤権や著作権の管理など、アーティストが持つ権利について勉強する機会はありました?

KOWICHI いや、それが勉強はまったくしてなくて、全部自分で経験しながら覚えた感じですね。知識がある状態で飛び込んでないんですよ。だから、今までやってきたこと全部が失敗だったなとも思うときもあるんですよ。あとで振り返ってみたら、もしかしたら今やってる行動も失敗なのかもしれないし。

――KOWICHIさんが言うと説得力があります。ここ数年、日本でもメジャーやインディ問わず、いろんな形態で活躍しているラッパーが増えたなと思っていて。

KOWICHI 確かに選択肢が増えたという感じはある。それはすごく恵まれているなと思いますね。(ラッパーとして)どの方法を使ってメシを食うかという時代に差しかかっているのに、「音楽がカネにならない」とか言ってるラッパーは、マジでやめたほうがいいと思う。例えば、めちゃくちゃかっこいい曲をリリースしても、それが受け入れられないのは、拡げ方の問題なんですよ。その方法だって、昔に比べて今はすごくイージーになっている。ゆえに、日本のヒップホップにはマーケティング力が足りないと感じてるんですよ。あと、自分でどうすべきかを知らない若い子たちもいるじゃないですか。レーベルとしては、そういう若くていいアーティストを育てていきたいという思いもあります。

――自分でセルフブランディングというか、「こういうふうに見せていこう」と気を遣い始めたのはいつ頃ですか?

KOWICHI ちゃんとブランディングできているかどうかは別として、自分の中では最初にラップを始めた頃から、そこには気を配っていました。日本人でもアメリカ人でも、自分が憧れていたラッパーたちは、みんなブランディングがちゃんとできていた。だから、自然とそういうラッパーに憧れてましたし。

――例えば、どういうことに気をつけていますか?

KOWICHI なるべく私生活は小出しにしていくこと。ラッパーとしてのキャリアが何年あっても、それは変わらないと思う。ミステリアスなラッパーが好きなんですよ。

――2020年の年末には、ご自身とプロデューサーのZOT on the WAVEさんらと共にレーベル〈SELF MADE〉を立ち上げました。レーベルオーナーになって、これまでと視点が変わったと思う?

KOWICHI そうですね。頭の中が忙しい(笑)。

――自分のクリエイティビティには関係しない?

KOWICHI いや、関係してきますよ。脳みそも体もひとつしかないから。自分の制作に集中しちゃって、みんなのことがおろそかになるフシはあるかもしれない。でも、それは自分がラッパーでいる以上は無理。オーナーとして、100%みんなに目を配るのは多分無理じゃないですかね。

――Merry DeloさんやCandeeさん、SATORUさんといった10代後半から20代前半の若いラッパーも多く所属しています。SELF MADEのルールというか、若手にアドバイスすることはありますか?

KOWICHI 「警察に捕まるな」「なるべくケンカはするな」。

――こうしてスタジオや事務所も構えて、ずっと地元の川崎で活動しているわけですが、川崎ならではのしがらみや悩みはありますか?

KOWICHI めっちゃありますよ。俺自身もピンチになることが結構あって、言えないことやみんなが知らないようなヘビーな内容もあるんですけど、なんだかんだ切り抜けられてるだけなんですよ。今でも、「この年になってこんな面倒なことがあるの?」と思ったりするし、これはラッパーじゃなくなったら解放されるのかもしれないですけど。

――表に出ているからこその厄介ごとというか。

KOWICHI それはあると思います。ラッパーって大変なんですよ。そういう気疲れとかはいまだにあります。

――もうすぐソロ活動も10年目を迎えるタイミングですが、KOWICHIさんにとってモチベーションというか、自分を動かす最大のエネルギーって何ですか?

KOWICHI レーベルも会社にしたし、利益を上げなきゃいけない。でも、「何のためにやってるんだろう?」って思うときがたまにあって。自分でもわからなくなるときがあるんですよ。「めっちゃお金持ちになりたいのか」って言われたら、そんな大事なことではない気もしてる。多分、会社として目指すところと、自分個人で目指すところが違うんでしょうね。自分個人に対してエネルギーになるのは、平穏な温かい家庭を目指すという自分の夢かもしれない。でも、モチベーションに変わるエネルギーというと、「ベット(BET)しちゃう」ということかもしれない。ちょっとレベルを上げる環境下に自分を置くというか。

――自分で自分のハードルを上げる、みたいな。

KOWICHI 今、自宅と事務所、2カ所分の家賃を払ってるんですけど、俺のやる気ってそういうところから出てくるのかもしれない。その分稼がなきゃいけないから。それと、いい車を買うとか、そういうことかも。昔、Kayzabroさん(DS455)に「エスカレードとか、燃費が悪くてデカい車にも乗ったほうがいい」って言われたんですよ。そうすると、その生活が当たり前になるようになるから、って。それを今も守っている感じはあります。

――最後に、8月下旬に愛知県で開催されたヒップホップ・フェス『NAMIMONOGATARI2021』の様子がさまざまなメディアで取り上げられるということがありました。「密フェス」とも呼ばれて非難を浴びたわけですが、KOWICHIさんも出演してらっしゃいましたよね。

KOWICHI はい。あの日は控室とステージが結構離れていて、(ステージ脇までは)車で移動したんです。だから、自分の出番直前まで会場の様子がわからなかったんです。「時間です」と言われてステージに上がったら、あの状態だった。ニュースを見ていると、「観客の様子を見て、すぐにライブをやめるべきだったのでは」というような声もありましたけど、お客さんはすでにチケット代を払って会場に来ている。それに、アーティスト側へのガイドラインも、主催者からは誰も何も言われていなかったんです。だから、自分はいつも通りのライブをやった。

 観客を煽っていたという点で、アーティスト側にも悪い点はあったのかもしれない。自分自身、お客さんに注意喚起するとか、もっとそこに気を遣えていたら、という気持ちはあります。命に関わる話だし、自分たちのことを見つめ直すきっかけになったとは感じてます。“汚名”みたいになってしまったこともそうだし、このニュースだけを取り上げて、ヒップホップ全体にネガティブなイメージが付いてしまうことはとても残念。世間の人が思うような、ネガティブな悪人みたいな人しかいない業界だとしたら、日本のヒップホップ・シーンはこんなに大きくなっていないはずですよね。今後は、ヒップホップに関わる人たちが違う機会で社会に貢献するアクションを起こす、そういう姿を見せていければいいのかなと思っています。それが正解じゃないかなと。

――KOWICHIさんの見ている未来は明るい?

KOWICHI どうだろう。でも、前向きに明るいところを目指しますよ。

(取材・文=渡辺志保)

KOWICHI(こういち)

神奈川県川崎市生まれ。ヒップホップグループ〈enmaku〉の活動を経て、2012年よりソロ活動をスタート。同年にアルバム『The Chips』をリリースし、コンスタントに作品を発表している。昨年12月に発売されたアルバムに新曲9曲を追加したデラックス盤『Higher(Deluxe)』がリリースされたばかり。

Twitter〈@kowichiofficial〉

Instagram〈kowichi_selfmade〉

2021/10/15 17:00

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