ムロツヨシが“喜劇役者”を名乗るワケ。両親の離婚、長い下積み、借金を経験しても

 今年1月で45歳となったムロツヨシが、『マイ・ダディ』で映画初主演を果たした。男手ひとつでひとり娘を育てる牧師の役だ。出演したテレビドラマ『ハコヅメ』の警察官役とも呼応する、シリアスとコメディを両立する役柄となっている。

 映画のチラシに記されたコピーは、「主演映画に選んだのは、<ひとりの男><ひとりの父親>だった」。この映画を「選んだ」宿命とも呼べる、「喜劇役者という十字架」に迫る。

◆「選んだ」のではなく、僕を「選んでくれた」

――俳優にとって「初主演」の作品は、特別なものです。作品選びは慎重に行われたのでしょうか。

ムロ:僕が「選んだ」のではなく、僕を「選んでくれた」というのが正確かもしれないです。僕は19歳から役者という道を選びましたけれども、舞台やドラマでは主演させていただく機会があったものの、映画という世界においては、僕を主演で使いたい、僕を主演で何か作ろうという人は40代半ばまで現れなかった。正直な話をすれば現れてくれたこともあったんですけども(笑)、スケジュールの都合もあり叶わなかったんです。

今回は、撮影が始まるかなり前にプロデューサーさんから連絡をいただいて、撮影スケジュールも話し合いながら実現に向けて動いていきました。「映画初主演」って、役者にとって一度きりですからね。45歳の今、この作品が「映画初主演作」となったのは、タイミングも含めベストだったと思います。だから今から振り返れば、僕が「選んだ」ことになるのかも。

――本作は若手映像作家にチャンスを与える賞から始まった企画です。ムロさんが主演を引き受けたからこそ企画が実現し、妻役の奈緒さんといった今をときめく俳優たちも出たいと続いていったのではないでしょうか。ムロさんは演技力のみならず、知名度や発信力も高いです。

ムロ:おぉー、それだったら嬉しいです。「意思のある客寄せパンダになる」っていうのは、32歳でmuro式.の舞台を始めた頃から決めていたので。とにかく名前を知ってもらって、「なんだこいつ」でいいから気にしてもらい、檻の前まで来てもらえたらそれが一番。

ただ、これまでは作品の中でもパンダの着ぐるみを着ていましたけど、最近は意識的に脱いでいるというか、ムロツヨシを捨てるようにしています。特に『マイ・ダディ』は、悲劇の中に喜劇の要素もあるので、これまでのようなわかりやすい「笑い」という武器は家に置いて、役者として身ひとつで現場に来ましたね。

◆「できる」と即答して後からやり方を考える

――好きなシーンはたくさんあるんですが、例えば、重い病に侵されていると告知された娘が「死なないよね?」と聞いたときに、「死なないよ」と言うシーン。ムロさんの声音や表情を前に、見ているこちらも説得される。でも、考えてみればその言葉に何も根拠はないんです。

ムロ:ハッタリですよね。根拠がないと自分でもわかっている言葉だからこそ、それを堂々と言えるかどうかが大事だと思うんです。「死なないよね?」と聞かれたときに、「死なないよ」をしっかり真っすぐ言えるかどうか、それを娘は見ている。このときはね、言えたんですよ。

でも病気の進行や妻の秘密を知るうちに、少しずつ言葉のニュアンスが変わっていってしまう。自分の運命を呪うし、自分の愛を呪う。牧師であるにもかかわらず、神をも疑うところまでいっちゃうわけです。そこからもう一回這い上がって、かつて信じていたものを取り返すことができるかどうか。始まりはハッタリでも、それを本物にできるかどうかが試されているんです。

――ハッタリって大事ですよね。

ムロ:めちゃくちゃ大事です。僕なんか、ずーっとハッタリで生きてきましたから。特に若い頃は、「できますか?」って聞かれたら「できる」と即答して、後からやり方を考えるんです。できないことを「できる」と言ってたんで、そのぶん怒られること、嫌われることも増えますけど、経験値も増えました。

――今もハッタリを言うんですか?

ムロ:ああ、甥っ子と姪っ子に、「夢は叶うよ」って言いましたね。その親、僕にとって妹からは、「そういうことは簡単に言わないでほしい」と言われました。でも、「叶うよ」って簡単に言うやつがいなきゃ、夢も持ちづらいじゃないですか。

今の世の中って圧倒的に、「叶わない」派が多数ですよね。考え方であるとか選択肢を増やすためにも、僕はハッタリで「叶うよ」と言う側にいなきゃいけないなと思うんです。それで実際に動いて挫折しちゃったとしても、挫折したことによって、次の夢なり目標なりがつくれるようになると思うんですよね。

◆「売れたいです。僕を使ってください」

――ムロさんは夢も挫折も、両方味わってきた?

ムロ:そうですね。ただ恐ろしいことに、大学を1年で中退して19歳で役者になろうとしたときは、「夢を叶える」とかじゃなくて「なれる」と信じ切っていたんです。ハッタリではなく、本気で。加瀬亮さんや浅野忠信さんのような、ただそこに立っているだけで何かが伝わる役者だと思っていました。だけど何も伝わらなかった。そもそも、ただ舞台に立つことさえできなかった。僕はチャンスがあれば、動いて笑わせにいく人間だったんです(苦笑)。

――小劇場での下積みの時代、売れるためにどうしたらいいかと考えたり、行動したことはありますか。

ムロ:26歳のときかな、自分を使いたいって小劇場の演出家が一人もいなくなったんです。そこでようやく、現実的な自問自答をしたんですよ。「これが結果です」「ハイ、わかりました」。「役者をやめますか?」と聞いたら、「やめない」と別の僕が言う。

「まずは食える役者になりたいです」と。じゃあ今どうすればいいかって考えて実行したのは、「ムロツヨシと言います。売れたいです。僕を使ってください」と、今まではかっこつけて言わなかったことを、いろんな人に言って回ったんです。名刺も作り、人が変わったように飲みに行きました。

――それまでは「オレはつるまないぜ」ぐらいの感じだった?

ムロ:そうでした。まず携帯の中に入っていた演劇関係者の電話番号にかけて、「飲みに誘ってください」と。そこで知り合った人たちに自分を売り込んだうえで、別の飲み会に誘ってもらう。その繰り返しです。昔同じ舞台に立っていた人間からはものすごくバカにされましたけど、それが実って27歳になる年に、1年間で8本の演劇に出ることになった。その8本のうちの2つを本広克行監督が観てくれて、映画『サマータイムマシン・ブルース』に抜擢してくれたんです。僕の映画の「初出演」は、28歳のときでした。

――作戦成功……とはいえ、気になるのはお金です。飲み代、かなりかかったんじゃないですか?

ムロ:稽古終わり、本番終わりには必ずみんなで飲みに行きましたね。魚市場のバイト代だけでは当然どうにもならず、借金が一気に増えました。高校の同級生たちの間で、連絡網が回ったみたいです。「ツヨシから連絡くるぞ! 気をつけろ!!」って(笑)。でも、向こうは僕が駆け出しの頃に「ツヨちゃん、困ったら言ってよ」ってなことを言っちゃったもんだから、こっちはそれ覚えてるから詰めて詰めて、「確かに言ったよな~」と、みんなお金貸してくれました。支えてもらいましたね。

――そういうときは、「夢を叶えるためなんだ」とか、お金の使い道をちゃんと説明するんですか?

ムロ:いや、そこはドライです。「いいけど、いつ返せる?」で会話は終了。僕の夢を聞こうとする同級生はいなかったです!(笑)

◆不幸自慢じゃなく幸せ自慢なんです

――ムロさんのルーツについてお伺いしたいです。’17年、41歳のときに刊行した初の著書『ムロ本、』で、自身は「喜劇俳優」であると宣言されました。その原点は、4歳のときに両親が離婚して、親戚の家に引き取られたことでした。同書に収録されたノンフィクション色が強い短編戯曲では、幼少期の出来事全体を「これは、喜劇。」という言葉を印象的に用いて、悲劇から喜劇へと引っ繰り返していましたね。

ムロ:だって本当に、ぜんぜんかわいそうじゃないんですから。昔、ある人に「不幸自慢じゃないか」と言われて悩んだことがあったんですが、そのときに出した答えは「幸せ自慢と一緒だけどな」と。母親にこうしてもらった、父親にこうしてもらったから今があるって言う人と同じなんですよ。両親がいなくなったから親戚に育ててもらった、そういう家庭環境だったからこそ、今、役者をやれてるんですよって話なんです。

――預けられた親戚の家はケンカが多かった。ケンカを止めるためにみんなを笑わせようとしたことが、のちに喜劇役者を志すことへと繫がっていったそうですね。

ムロ:「子どもの頃、家でつらいことはありませんでしたか?」と聞かれたらひとつだけあって、ケンカが多いのはきつかった。そこだけはなんとかしたかったし、自分が中和剤になれたらいいなぁと思って、笑いを武器にするようになりましたね。

◆人は笑っている間は怒れないんですよね

――『ムロ本、』にある「人は笑っている間は怒れない」って、さらっと書いていますが、すごい発見ですよね。竹中直人さんはどうかわからないですけど(笑)。

ムロ:伝説の「笑いながら怒る人」ね(笑)。それは日常では不可能なことなんだと知っているから、竹中さんはああいうネタができたのかもしれないですよね。

――ただ、そういった生い立ちを語ってしまうと、見る人がそのイメージに引っ張られて笑いづらくなるんじゃないか、という怖さはありませんでしたか?

ムロ:ありました。人によっては、「かわいそう」というふうに見えると笑いづらくなるんですよね。でも、本人が普通に受け入れていることをわかってもらえれば、ふふっとわらけてくると思うんです。「ふふっ、こういう人もいるんだー」って。

そうだ、僕ね、ドラマとか映画であれが嫌いなんですよ。殺人事件の犯人が子どもの頃、親に育児放棄されていたとか父親なり母親がいないことで不良になった、犯罪に走ったんだって決めつけるような展開。そればっかり描くのはどうなのよ、って思っちゃう。両親に育てられなくても普通に幸せになれる、こうやって楽しく生きている人はいるよって一例に、自分がなれたらと思うんですよね。そこがひとつ、僕が「喜劇役者」と名乗る理由でもあるんです。

◆笑いの種類はどんなものでもいいから

――ムロさんは1月で45歳になり、アラフィフに突入しました。今日の写真撮影、大人の色気が出まくりでしたよ。ご結婚された福山雅治さんの後を継ぐ「独身の星」は、ムロさんなんじゃないかなと……。

ムロ:なんで!(笑)それは絶対『SPA!』では書かないで!! 俺が叩かれるからダメだよ、そんなの。

――確かに今、重たい十字架を背負わせようとしてしまいました(笑)。そういうキャラがつくと、結婚しづらくなったりしそうですもんね。ファンの方から「生涯独身じゃなかったの?」「ウソだったの!」みたいな……。

ムロ:あっ、そういうプレッシャーは感じたことないです。ムロが結婚したら悲しいっていう人、そんなにいないと思う。そもそもそんなに大きくならないですよ、そのニュース。それはね、悲しいことに肌感覚でわかります!

◆寂しいって恥ずかしくなく言えるようになった

――以前は、「理想の家族に対する願望がある。だから、怖くて家族をつくれない。理想と違ったときの失望が怖いから」と語ってらっしゃいましたが。

ムロ:今はね、だいぶ変わりました。僕、友達とか後輩とか先輩とかと飲むのが好きなんで、夜はいつも誰かと一緒にいることが多かったんですけど、なんちゃらウイルスがやって来て、どうしようもなくひとりの時間が増えたんです。そうしたら、ちゃんと寂しいもんですね! ……いつからだろう、寂しいって恥ずかしくなく言えるようになったのは。自粛生活がなかったら、たぶんまだ言えてないと思いますよ。

――成長ですかね(笑)。

ムロ:春に舞台(「muro式.がくげいかい」)をやったんですが、10年間ずっと一緒に舞台をやってきた役者やスタッフさんたちに今回も声をかけたんですね。稽古場で休憩中にふっとみんなのスマホが目に入ったら、みんなさ待ち受け画面が家族か赤ちゃんの写真ですよ。

「いや、昔は違かったじゃん!」って、叫んじゃいましたよ。僕だけですよ、待ち受けが「稽古場表」なのは。そうしたら一昨年結婚した役者の本多力が、「まっ、ムロさんは舞台の作品が子どもってことで」と。

――『マイ・ダディ』で、一番いけ好かないやつが言うセリフとそっくりですね!

ムロ:そうそう!! だから最近は、結婚願望というか家族願望は少しずつ増えてきました。昨年末に撮った『マイ・ダディ』の影響もあるかな。ひかり役の中田乃愛ちゃんが本当にイイ子で、こんな娘がいたらいいなぁと。役作りも兼ねて、乃愛ちゃんとLINEで「父」と「娘」のやりとりをしていたんですよ。

「元気かい? 勉強頑張ってるかい? 父より」って。それ以上ツッコめないんですけどね、嫌われるかもしれないから。好かれたいんじゃないんです。嫌われたくないのです! これが世に言う「娘を持った父親の感情か」と思ったりしました(苦笑)。

――最後の質問です。『マイ・ダディ』の主人公は、娘や亡くなった妻にまつわる「十字架」を図らずも背負うことになり、その重みで押し潰されそうになっていた。ムロさんも、生い立ちを話しながらも喜劇役者を名乗ることは、笑わせづらくなるかもしれないという意味で「十字架」を背負うことでもあると思うんです。今後も喜劇役者でありたいと思いますか。それとも、「役者」でいたいと思っているのでしょうか。

ムロ:喜劇役者を名乗った以上は、名乗り続けていかなきゃなと思います。ハッタリをかました過去の自分の責任は取ろうかな、と。このご時世だからこそ、求められている喜劇の新しい形があると思うんです。その一つの挑戦が春の舞台だったし、『マイ・ダディ』もそうなのかもしれない。

世の中には愛想笑いもあるし失笑と言われるものもある、薄ら笑いもありますけど、それでもいいから笑いを生み出したいなぁと思いますね。人が怒るとか悲しむぐらいだったら、笑いの種類はどんなものでもいいから、僕を見て笑ってほしい。笑われないように生きるより、笑われてもいい人生を歩みたい。だから、僕は喜劇役者なんです。

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 生涯、喜劇役者であり続けると宣言したムロツヨシ。彼が生み出す新時代の笑いを、これからも追い続けたい。

【MUROTSUYOSHI】

’76年、神奈川県生まれ。東京理科大学在学中に役者を志す。’05年『サマータイムマシン・ブルース』で映画初出演し、’11年からの『勇者ヨシヒコ』シリーズ(テレビ東京)のメレブ役でブレイク。そして9月23日公開の『マイ・ダディ』で映画初主演を果たした

取材・文/吉田大助 写真/井上たろう 構成/村田孔明(本誌) スタイリスト/森川雅代(FACTORY1994) ヘアメイク/池田真希 衣装/ジャンプスーツ・stein シャツ・YOKE、ENKEL シューズ・BLOHM、STUDIO FABWORK

※9/14発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』より

2021/9/24 8:53

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