手越祐也も全力擁護したメリー氏の手腕… 『全裸監督』への対応と『金屏風事件』ほか裏仕事たち

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 ジャニーズ事務所の“メリーさん”こと藤島メリー泰子名誉会長が今月14日の午前7時35分、肺炎のため都内の病院で93歳で死去したことが明らかになった。

 同事務所によると、葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行われ、「お別れの会」を行う予定はないという。

 メリーさんは米ロサンゼルスのリトルトーキョーにある、高野山真言宗米国別院の僧侶の長女として生まれた。

 3人兄弟の長女ですぐ下の弟はNASAの職員、末弟の“ジャニーさん”ことジャニー喜多川元社長らとは第二次世界大戦前に日本に来たそうで、1962年にジャニーさんが「ジャニーズ事務所」を創業すると、弟を支えながら経営やタレントの管理にも大きく携わり、たのきんトリオや少年隊などのブレークに手腕を発揮した。

 ジャニーズ事務所を知る大手芸能事務所のベテランマネジャーは語る。

「元々、メリーさんは四谷三丁目でカウンターバーを経営していて、そのバーのお客さんだった当時新聞記者の藤島泰輔さんと後に結婚。今の藤島ジュリー景子社長をもうけるわけですが、弟のジャニーさんが事務所を開いてからは自身が経営していたバーを閉めて、事務所の経理や所属タレントの衣装面などを担当していました。その後、主にタレントの発掘、育成に力を注ぐ弟に対して経営面全般を見るようになりました」

 メリーさんの訃報を受けて同事務所の東山紀之は「厳しいマネージャーであり、良き理解者であり、そして、優しい母親でもありました」「『私はタレントを守る為なら、いくらでも悪人になります。』私たちを常に守り、その美学の中で私は人生を歩み進める事が出来ました」といったコメントを寄せたが、時にタレントに対する甘さが指摘されることもあったジャニーさんと比べると、メリーさんは秩序や規律を重んじ、所属タレントに対しても厳しい顔を見せる面もあったという。

「昔からよく業界内で言われていたのは、ジャニーさんが田原俊彦さんや赤西仁さんら問題児が好みなのに対し、メリーさんはどちらかと言うと『嵐』のメンバーのような“いい子ちゃんの優等生タイプ”を好むというものです。それでも田原さんに関しては当時のドル箱タレントということもあり、当初かなり身を削ってマスコミなどからも守っていた印象があります。しかし、田原さんが『オレはビッグだ』などと勘違いをし、暴走したことでバッサリと切り捨てたことも象徴的でした。あれも経営者として規律を重んじた結果でしょう」(同ベテランマネジャー)

 とはいえ、ただ厳しいだけでなく面倒見の良さや義理堅さも持ち合わせており、「ベテランになりSMAPや嵐に看板タレントの座を譲ってからも、近藤さんや元男闘呼組の岡本健一さんのことはずっと立てていました。そして長瀬智也さんや山口達也さんが離れたTOKIOのことも気にかけていたようです。古くからの友人である森光子さんや黒柳徹子さんとの親交の深さも有名ですしね。また、メリーさん体制の時は無類の女好きという点を除き、反抗的な態度は見せず、愛嬌もあった手越さんに女性スキャンダルが報じれた際には、必死に守ろうとする“親心”も見せていました」とは大手レコード会社スタッフ。

 そして、そうした一面が時に外部に対して強硬な手段に出たり、軋轢を生むこともあったようだ。前出のマネジャーは語る。

「今では『全裸監督』として名を馳せた村西とおるさんが、当時人気絶頂だった田原俊彦さんと一夜をともにした女性を題材にした告白AVをプロデュースしました。その際、メリーさんと大手出版社の会議室で直接対峙しましたのですが、そこへ彼女は複数の田原さんの女性ファンたちを連れ込み、一夜をともにしたという女性を罵倒する手段に出たことを明かしています。また、近藤真彦さんと中森明菜さんによるかの有名な“金屏風会見”もメリーさんが絵を描いたと言われていますからね」

 そのうえで、こう続ける。

「昭和の芸能界はいわゆる興行の世界で、まだまだコワモテの人たちが跋扈していました。そういった人たちとの折衝もジャニーさんというよりは、経営面を仕切っていたメリーさんが対応していた印象があります。実際、芸能界のドンと呼ばれる人たちはもちろんのこと、そうした業界の大物からもその胆力や気の強さで一目置かれていたようです。まあ、そのくらいじゃないと魑魅魍魎うごめく芸能界で、弟とたった一代であれだけの“帝国”を築くことはできないですよ」
 
 昭和、平成そして令和と一大帝国を築いた芸能界の女帝の死は今後の業界に大きな影響を及ぼしそうである。

  • 8/19 19:00
  • サイゾー

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