「絶対に開成から東大へ」息子の中学受験に、異常な執着をみせる女。母親の抱える闇の正体

夏・第九夜「逆転を狙う女」


「うわ…夏期講習と志望校特訓で30万以上…!」

『シングルマザーが東京の中学受験に参戦するのは、予想以上に無謀なことだ』と毎月のWEB明細がつきつけてくる。思わずタブレットを置いてダイニングテーブルに突っ伏した。

「母さん大丈夫?そんな塾代って高いのか…。塾っておいしい商売だよね」

深夜のリビングで思わず漏れた独り言を、勉強の合間にお茶を飲みに来た一人息子の優(すぐる)が耳にして、顔をしかめる。

母一人・子一人でもう12年。最近ぐっと大人びた優には、我が家の家計のこともある程度共有している。

「まだまだここからよ。大丈夫、優の教育費のためにママフルタイムでめちゃめちゃ働いてきたの、お金は準備してある。開成行くんだもん、高くても他の塾はあり得ないもんね」

私がカラ元気を出して気合のこぶしを握ると、優は少しほっとしたように笑った。

「まあね。でもトップ塾だから競争は厳しいよ。他の塾なら1番だろうけど、あの塾、なんと同じクラスに古谷聡がいるんだ。彼、この前の模試で全国1位だったんだよ」

「古谷くんも開成志望でしょ?ライバルじゃない、感心してる場合じゃないわ!がんばろ」

「あいつプロ家庭教師つけまくってるし、父さんも開成OBの医者らしくて鉄板だよ。俺、超庶民なのに健闘してるほうだと思うんだけどな」

「そんなお坊ちゃんに負けてどうする!」と私はふざけながら、優の肩をつかんで揺すってみる。

いつの間にか、優の身長は私と同じくらいになっている。小さい頃から、早生まれなのに背が高く細身だ。いくら食べても太らない体質は、父親ゆずりだろう。

「絶対開成よ。ママ、優が生まれて頭がものすごくいいって気づいたときに、決めたの。開成から東大の理Ⅲに行けば、人脈も学閥も名声も手に入れて母子家庭のビハインド一気に吹っ飛ばせる!一発逆転、プラチナチケットなのよ」

東京の熾烈な中学受験に身を投じた親子。二人を待ち受ける予想外の試練とは?

落とし穴


翌日、私は6年生の夏の保護者会のため、優の通う塾を訪れていた。

「関谷さん、こんにちは!今日はお仕事お休みですか?塾の保護者会が平日って、仕事してる親には困りモノですよねえ」

教室に入ろうとしたところで呼び止められ、振り返ると、顔は見たことがあるキレイなお母さんがニコニコしながら近づいてきた。

― たしか同じ小学校の…。ダメだ、名前は思い出せない。

「こんにちは。今日も暑いですね」

当たり障りなく微笑みながら教室に入ろうとすると、突如として彼女は私の腕をとってきた。

「関谷さんたら、こっちは『竹ブロック』の保護者会教室。私たちは『松ブロック』でしょ」

「た、竹ブロック?」

面くらいつつ、隣の教室に引っ張られていく。廊下に先生が立っていて、誘導のためにプラカードを持っていた。碓かに、優のクラスは隣の教室だ。

「20クラス中どのレベルかを松竹梅で呼ぶんですよ。まあ優くんみたいに常に最上位なら意識しないのかしら?

ところで、大我が言ってたんだけど、優くんて個別指導も家庭教師もつけてないんですって?お母様はおひとりで働いてらっしゃるわけだし、つきっきりで勉強を見るわけにもいかないでしょ?どうしてそんなに優秀なの?おうちでどんな勉強を…」


そもそも名前も思い出せない彼女に、そこまで踏み込まれる筋合いはない。私はにっこりと笑って答えた。

「そうですねえ、私も不思議なんです。多分父親に似て地頭がいいんだと思います。お金も時間もないくせに意外だと言われれば、答えはそれしかないですよねえ。母子家庭だからハングリー精神も違うのかもしれません」

彼女は急に鼻白んだ顔になり、教室に入ったあとは話しかけてこなかった。

マウンティングにはマウンティング返し。

だてに港区でシングルマザーを12年やってるわけじゃない。私は名前も知らない彼女を一瞥すると、講師の話に集中した。



大波乱は、夏休みの直後、9月に訪れた。

それまでは成績が安定していると思われた優に、予想外の展開が待っていたのだ。

二人を待ち受ける運命と、鍵を握るまさかの人物とは?

延長戦


スランプというものがあるとしたら、知らずうちに気が緩んだり、勉強量が減ったりする子が陥るものだと思っていた。

しかし、それは思い上がりだったということを突きつけられる。

勉強しているのに成績が底なしに下がっていくのは、恐怖以外の何物でもない。二人しかいない我が家の閉塞感は、予想以上だった。

こんな時父親がいたら、だいぶ違っただろう。

私は、心労から9・10月で4kg痩せた。優は寡黙になり、イライラして私にあたることもあった。

こんな時専業主婦だったら、しっかりと子どもをケアし、つきっきりになることもできただろう。

でも優は婚外子で、父親から認知されていない。だから、養育費の類は一切なくここまでやってきた。大黒柱である私には、仕事を辞めるという選択肢はない。

そこから2ヶ月ちかく、思い切って基礎だけをひたすら反復したのが奏功したのだろうか。12月になって、ようやく復調の兆しが見えてきた。

成績はもとのように開成安全圏に戻ることはなかったが、直前期、12月中旬の最後の模試で、合格する確率は50%になった。

だからといって、五分五分の状態で2月1日に最難関の開成を受験するのは、かなり危険な賭けだ。

ほんの少し志望校のランクを下げれば「2月1日の勝者」になれる可能性が高い。同じ御三家の麻布や武蔵、駒場東邦に変更するだけでいい。

その差は僅差で、それらの学校に合格すれば『御三家・超難関校合格』の栄誉を手に入れられるのだ。

開成に特攻して敗者となるか、志望校を変えて勝者になるか。

その誘惑に負けたのは、ほかでもない、優だった。


「ママ、僕開成は諦める。志望校を下げようと思うんだ」

12月の深夜、囁くような声でそう言った優。その時の私の気持ちは、誰にもわからないだろう。

「前から考えていたんだ。なんならもっとレベルを落として、特待生を狙うよ。そうすれば、ママにこれ以上経済的負担をかけなくて済むし…」

「そんなことは問題じゃないの。絶対に開成。そうでないと、何も『意味』がないのよ」

私の剣幕に驚いたのだろう、優はひるんだような様子で黙り込んだ。

開成でなければならない。開成だからこそ、この計画が成功するのだ。母親の狂気が必要だというのなら、上等だ。私はもうとっくに覚悟を決めている。



開成の合格を、スマホで確認したとき、私は駅のホームで思わずしゃがみこんだ。

そのまま、2月3日の受験を終えた優を走って迎えに行く。試験会場から出てきた優は、私の顔を見た瞬間、合格を悟ったのだろう。顔をくしゃくしゃにして駆け寄ってきた。

そのまま、合格手続きのために西日暮里の開成に移動する。集大成の掲示板を、二人でこの目で確かめたかった。

そして、私にはもう一つ確かめなくてはならないことがあった。

「ママ!!あるよ、確かにある…!受かった、僕、開成に受かったんだ…!」

直接見る合格掲示板には凄まじい威力があった。感情があふれて、辛く苦しい記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

妊娠がわかった瞬間に、優の父親に棄てられて、そこからずっと二人きりで頑張ってきた。

『“妻は子どもができない、君が僕の母校に行けるような優秀な息子を産んで、病院の跡継ぎにしてくれたら”ってあなたが言ったんじゃない。今になって認知もしないなんて…。おまけに奥さんも妊娠したってどういうこと?』

涙でぐしゃぐしゃになり、優と抱き合いながら、封印してきた記憶がよみがえる。

『この子は私が一人で立派に育てる。あなたもせいぜい跡取り息子を、ご自慢の母校の開成から東大にいれるために頑張るといいわ。そんなにうまく優秀に育つかしらね、あんな顔だけ女の子どもが。もしも私の息子のほうがずっと優秀だったら、あなたその時、どうするかしらね?』

「優!お前も開成受かったのか。春から同級生だ、よろしくな」

その時、優が胸に抱いた合格証の入った封筒を見たのだろう、ひとりの男の子が駆け寄ってきた。

「お、古谷!お前も合格!親子で開成すげ!おめでとう!!春からよろしくな!」

ひょろりと背の高いメガネの二人は、笑顔で握手し、お互いの健闘をたたえあう。

「今の子、古谷聡くん、だよね。合格したんだねえ…」

「え?ママよくわかったね。そうそう、彼が優秀な古谷。受かるとは思ってたけど、やっぱ外さないよな~」

優は、メガネを取ると父親譲りのくりくりした目をごしごしこすって、嬉し涙を照れくさそうにぬぐった。

「…予定では、こっちが受かってあっちが落ちるはずだったんだけど。困ったわね…。立場を入れ替えるためには圧勝しなくちゃならないのに。こうなると、いよいよ間違ってもあの子が医者になれないように、私が『横やり』を入れなくちゃね。

大丈夫、開成から東大に行って医師免許がある『唯一の』息子になれば、向こうから頭を下げてくる。そういう男なのよ」

「え?何?」

「なんでもないの。ね、優、言ったとおりでしょ。中学受験でモノを言うのは、遺伝的な地頭なのよ。しかも、母親と父親両方の遺伝子を受け継ぐのよ。あなた絶対開成に入れるって、わかってたわ。

この調子で東大理Ⅲを目指すだけ。あとのことは、ママに任せておいてちょうだい!さあ、お祝いしましょう。でもこれは、絶対に負けられない戦いの始まりに過ぎないのよ…」


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