向井理は元バーテンダー。佐々木蔵之介に要潤ら“意外な前職”7選

 タレント・伊集院光(53)が、13日に東京・有楽町よみうりホールで行われた「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」に出演。落語の師匠の三遊亭円楽(71)とともに高座を務め、約30年ぶりの落語披露となりました。

 伊集院は約6年間落語家として活動をしていた過去があります。知らなかった人は驚くかもしれませんね。そこで今回は「意外な前職についていた人」をご紹介します。

◆向井理:バーテンダー

 「着飾る恋には理由があって」(TBS系)にも出演し、そのイケメンすぎる役でネットがざわついた俳優の向井理(39)。

 向井は、明治大学在学時に人見知り克服のために飲食店でアルバイトを開始。その流れでカクテルに興味を持ちバーテンダーとなりますが、大学卒業後に別のバーから誘いを受け、正社員としてバーテンダーを務めていました。アルバイト時代を含めると、バーテン歴は6年にも及びます。

 向井が働くバーを訪れた現在の事務所のマネージャーからスカウトされ、芸能界入りを果たしました。バーテンとして働いていたことが人生の転機になったなんて、ドラマのような話ですね。

◆佐々木蔵之介:広告代理店

 俳優・佐々木蔵之介(53)は、神戸大学卒業後にマーケティングを学ぶため大阪の広告代理店に入社。京都で佐々木酒造を営む実家を継ぐとしたら、商品の売り方を学んでおいた方がいいと思ったことが理由だったそうです。広告代理店の同期には、ますだおかだ・増田英彦(51)がいました。

 大学在学中に劇団の旗揚げに参加するなど、当時から芝居にのめりこんでいた佐々木。就職を機に辞めるつもりでしたが、幸運にも大阪勤務になったことから演劇はサラリーマン生活と平行して続行することに。その後芝居を続ける決意をし、2年半勤めた会社を退職しました。

 30歳で上京を果たしてからは、ドラマや映画に続々出演。唯一無二の個性を持つ人気俳優の座に登りつめました。

◆要潤:居酒屋と警備員バイト

 俳優の要潤(40)は、高校卒業後に俳優を目指して香川県から上京。当時は居酒屋店員、警備員、工場のライン工など20種類ものアルバイトをしたという要。芸能界入りを目指していた要潤は、何かしらの出会いを求めて新宿を中心に勤務をしていたそうですが、その読みは的中。

 新宿にあるチェーン店の居酒屋でバイトをしていた時、当時新宿にあるスタジオアルタで行われていた『笑っていいとも!』の収録後に居酒屋に訪れた番組スタッフに声をかけられ、色々な店のイケメンを紹介する「看板男コレクション」のオーディションに参加。

 要は居酒屋店員よりも、掛け持ちしていた警備員服の方が見栄え的にも形になりそう、と思い警備員服でオーディションに挑み合格。コーナー出演を果たし、見事グランプリを獲得しました。

 さまざまなアルバイト経験が、芸能界入りのきっかけをつかんだようです。

◆タモリ:保険外交員やボウリング場支配人

 タモリ(75)は早稲田大学中退後に地元の福岡に帰り、朝日生命の保険外交員として約3年間勤務。同じ職場の先輩だった2歳年上の女性と結婚するなど、プライベートでの転機の場となりました。得意の話術で優秀かつ勤勉に働いていたそうですが、退職後は旅行会社やボウリング場の支配人などさまざまな職を経験。

 タモリはその後、赤塚不二夫に才能を見出されたことを機に上京しました。芸能界で本格的に活躍し始めたのは30歳以降ですが、そこからレジェンド芸人に登りつめた才能の塊でしかないです。

◆阿部サダヲ:家電量販店、トラック運転手

 俳優・歌手の阿部サダヲ(51)は、高校卒業後に家電量販店に就職。阿部は当時のことはまったく覚えていないそうで、時間が止まっていたようだったと振り返っていました。家電量販店は、就職から3年で退職しています。

 俳優の道に進む前には、ほかにも「他者との接点を持たなくてよさそう」という理由で運送会社でトラックの運転手も経験したことがあるという、明るいイメージとは真逆のエピソードもあるから驚き。

 そうして職を転々としているときに、現在の所属である劇団「大人計画」のオーディションを受け、芸能界入りを果たしました。

◆バナナマン設楽統:西武鉄道社員

 バナナマンの設楽統(48)は、高校卒業後に西武鉄道に就職。池袋線小手指駅の駅員を約半年務めていました。

 駅員時代からお笑いセンスは抜群で、構内アナウンスでは「白線の内側に伏せてお待ちください」とギャグ混じりのアナウンスをしていたという逸話の持ち主。その時は上司に怒られ、マイクを取って代わられていたとか。

 また当時、駅を利用する女子学生たちの間で「イケメン駅員がいる!」と設楽が話題になっていたそうです。

 西武鉄道に入社した理由としては、ゆくゆくは地元である秩父の観光事業に携わりたいという計画があったからだと、テレビ番組で語っていました。

◆藤井フミヤ:国鉄職員

 歌手の藤井フミヤ(58)は、高校卒業後に日本国有鉄道(国鉄)に就職。チェッカーズとしてデビューする直前まで、輸送係として佐賀県の鳥栖駅と長崎県の早岐駅で貨物列車の操車・入換業務に携わっていました。

 藤井の父はかつて駅長にも就任した国鉄鉄員。実家の周りも国鉄職員の家庭が多かったことから、自然の成り行きで自身も就職に至ったといいます。

 国鉄で働きながら地元福岡に帰ってバンド練習をしていましたが、バンドの全国コンテストで特別賞を受賞したことを機に、就職から1年で退職を決意。藤井はのちにJR九州のイメージキャラクターになっているというから、人生何が起こるかわからないものです。

 以上、実は意外な前職に就いていた芸能人を紹介しました。別の職種を経験したことが、幅をきかせた表現力を持つ理由の一つになっているのかもしれませんね。

<文/るしやま>

2021/6/23 15:47

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