人妻に翻弄され、失恋した大病院の御曹司。彼が見合いをした意外な相手は?
”ドクターK”と呼ばれる男は、ある失恋をきっかけに、憂鬱な日々を過ごしていた。
彼はかつて、医者という社会的地位も良い家柄も、すべてを忘れて恋に溺れた。
恵まれた男を未だに憂鬱にさせる、叶わなかった恋とは一体―?
◆これまでのあらすじ
銀座のママである愛子とのアフターの帰り、影山は彼女への想いを口走ってしまう。しかし、愛子に突き放された影山は何も言うことができず…。
▶前回:「私も好きって言ったらどうなるの?」既婚の年上女性が、34歳医師に突きつけた厳しい現実
2016年7月中旬。
この日、僕は親に決められた見合いのために、大阪に向かっていた。
「どうしても、お断りできないお見合いのお話があるの。大阪まで来てちょうだい」
神戸の母から電話があったのは、2週間ほど前のことだ。
「仕事が忙しいから、勘弁してよ」
母が聞く耳を持たないことはわかっていたが、気持ちばかりの抵抗を試みた。しかし、普段は我関せずの父親まで「会うだけ会ってみろ」と言い出し、僕はしぶしぶ見合いを了承した。
一度応じれば、母も当分放っておいてくれるだろうという気持ちもあったが、実際のところは、愛子さんへの思いを吹っ切るきっかけが欲しかったのかもしれない。
振り返れば、その時の感情に任せ、愛子さんに告白してしまった6月終わりのあの夜。
結局、僕の決死の告白は、愛子さんに「興味本位」と捉えられてしまった。
僕があっという間に落ちた恋、彼女との関係はあの時から止まったままだ。
最初は彼女を怒らせてしまっても尚、どうすれば自分のものにできるか僕は真剣に考えた。
少し時間を置いてもう一度正直な気持ちを伝えようとか、やっぱり謝罪が先なんじゃないかとか、もやもやと悩み続けた。
だが…。
「私たちに未来はあるの?」
あの時愛子さんに言われた一言を思い出す度、次第に僕は冷静さを取り戻していった。
そもそも愛子さんは既婚者で、僕は家業を継ぐ身。そんな僕らがひとときの癒しを求めて、一緒の時間を過ごすことになんの意味があるのだろう。
結局、僕はあの日以来、店に行っていないし、メール1つ送っていないのだ。
20代の終わりに経験した恋愛、美憂の時と同じように、僕は相手と向き合うことから逃げている。
影山が乗り気しなかった見合いは、予想外の結果に…
僕は新大阪駅で新幹線を降り、母に指定されたホテルニューオータニ大阪へ向かう。大阪城に程近い老舗ホテルは、見合い会場としては実に御誂え向きだ。
会ってみると、見合い相手は意外にも同業者だった。
吹田市内に実家があり、神戸の大病院に勤務している内科医で、僕より2つ下の32歳。涼しげでキリッとした目元が知的な印象の人だ。
― 母さんたちも相手が医者であれば、僕が興味を持つと思ったのかな。
お互いに見合いは初めての経験だったが、僕も大人だ。せっかくこういった場に彼女が時間を割いて来てくれた以上、誠実に対応すべきだと思った。だからそれなりに話も弾んだし、今回の目的は果たせたはずだ。
「また、東京の医療の話を聞かせてくださいね」
別れ際に彼女から言われた一言で僕の肩の荷はおりた一方、母が目の奥を光らせ、次なる策を考えている様子を僕は見逃さなかった。
見合いを終えると、僕は両親から逃げるようにそそくさと駅に向かった。週末の東京行きの新幹線はさほど混雑もなく、空席が目立っていた。
座席に腰を下ろすとまもなく車両は新大阪駅を出発し、車窓からの景色は目まぐるしく移り変わっていく。
京都駅に着く頃、母からショートメールが届いた。
「お相手の方から、修史のことをとても気に入ったと連絡があったわ」
ショートメールの短い文面からも、母が相当浮き足立っていることは想像できた。
― たしかに、彼女は結婚相手として悪くない。
家業のために決められた相手と結婚しなくてはならないのなら、今日の彼女は仕事への理解もあるし、これからお互いのことを知っていく意義はあるだろう。
そんなことを考えている間にも、畳み掛けるように届く母からの通知。
「先方に、修史の電話番号教えてもいいわよね?」
僕は少しあきれながら、ショートメールを返した。
「教えても仕事でなかなか出られないから、かえって失礼だろ」
僕が返す言葉など母からすれば想定内なのだろう。すぐさま返信があり、文面には先ほどの女医の名前と携帯番号が記載されていた。
― せめて、今日のお礼くらいは送ろうか。
形式的なお礼をする以前に、どうも僕は自分の気持ちが見合い相手に向くように、思考を巡らせているようだ。
「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
ようやく簡単な一文を打ち込み送信すると、不思議と胸のつかえがとれたような気がした。
いつの間にか新幹線は名古屋駅に到着し、荷物を手に降車していく客と入れ替わりで、ガヤガヤと車内に人が入ってきた。
そして、新幹線がまもなく名古屋駅を発車しようとしたその時だ。
「あれ、カゲヤマ?」
聞き覚えのある声が僕を呼んだ。
大阪から東京へ戻る影山に、声をかけてきた人物は…
声をかけられ、顔を上げてみると、几帳面にレジメンタルタイを締めた男性の後ろから、夏らしい真っ白なワンピース着た愛子さんが顔を出した。
あまりに驚いた僕は、すぐに言葉が出てこなかった。
「愛子さん、何してるの?こんなところで…」
僕がやっと発した問いかけに、彼女が答える。
「お客様のお供で、お伊勢参りに行った帰りなのよ」
目の前に彼女がいる事実に未だ困惑しながらも、彼女と一緒にいる4、50代の男性3人に「どうも」と会釈をした。
愛子さんが可愛がっている店の女の子1人も含めた一行は、そのまま通路を進み、僕より数列後ろに落ち着いたようだ。
店以外での営業が顧客獲得には必要だと、以前同僚の明石から聞いたことはあったが、こんな遠くまでやってくるものなのかと、僕は少し驚いていた。
一緒にいた地味なスーツ姿の男性たちは、この前店にいた政治家たちにも似た威厳を醸している。彼らも恐らくそういった類の人たちなのだろう。
時折、背後から愛子さんたちの笑い声が聞こえてくる。
それがまったく気にならないと言えば嘘になるわけで、僕はカバンからサーフェスを取り出し、手付かずになっていた資料を読み始める。
だが、それを遮るようにスマホが鳴った。
さっきの彼女だろうと思い、僕はスマホ画面を見る。
「この前はブチ切れてごめんね」
思いがけない愛子さんのショートメールに、僕は思わず後ろを振り返った。それと同時に、さっきの見合い相手の女性からも返信が届く。
僕はそれを見て見ぬふりをし、愛子さんに返事を打った。
どうしても頭の片隅から消えなかった人からの連絡に、早くも心をつかまれてしまっていた。
「僕のほうこそ、この間は自分が思っていることだけを一方的に言ってしまってごめん!ちゃんと謝りたいから、今度会えないかな?」
政治家や起業家といった、一流の男たちを日頃相手にしている愛子さんからすれば、僕は所詮一介の医者だ。
なんの魅力も感じていないかもしれない。だったら正直に思うところを伝え、ダメだったらもうきっぱり諦めようと、僕は覚悟を決めてメールを送る。
「今日でよければ少しだけ時間あるわ。品川で降りて、改札前で待ってて」
ほどなくして届いた彼女からの返信には、その一言だけあった。
◆
僕らが品川駅で下車した時には、19時を過ぎていた。
新幹線の改札前で待っていると、連れより一駅前で降車した愛子さんが僕を見つけ、駆け寄ってきた。
「こないだは本当にごめんね。愛子さんが言っていたこと、今ならよくわかるよ」
僕は彼女を見るなり、先日の非礼を謝った。
「もう気にしないでよ」と、彼女はいつもの調子で言う。
僕らは、品川駅近くのカフェへと移動した。
もう最後だ。そう思っていた僕は、すべてを話すことにした。
「今日は見合いのために大阪へ行ってたんだ。でも、やっぱり頭から愛子さんが離れないな」
話を聞きながら、僕を上目遣いに見る彼女の目は、優しく、美しかった。
「しょうがないわね」
愛子さんはため息混じりに笑った。
「私もカゲヤマに言っておきたいことがあるの」
言っておきたいことは、きっと僕が望んでいることじゃないと、すぐに察することができた。
彼女の口からどんな言葉を聞こうとも、僕は受け入れるつもりでコーヒーを飲み干した。
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もう彼女と会うのは最後かも?覚悟を決めた医師に、女が告げたこととは