海老蔵は実母と断絶!吉川ひなの「貯金箱強奪」、杏は「12億円裁判」!!ドロ沼親子関係

 歌舞伎俳優の市川海老蔵(43)と実母・堀越希実子さん(68)が、口もきかないほど、関係に亀裂が入っていると、6月8日発売の『女性自身』(光文社)が報じている。

 5月29日と30日、東京・明治座で海老蔵歌舞伎が開かれた。通常であれば、贔屓筋を迎えるために家族がロビーにいるはずだが、身内が誰もいなかったというのだ。

 記事では、関係者は「体調がすぐれない」と話したものの、別の関係者からは「2人は口もきかないほど関係が悪化している」という声もあったとしている。

 近いうちに、海老蔵の十三代目市川團十郎白猿の襲名も控えているが、そんな大事な時期にもかかわらず、希実子さんとの確執がささやかれているのはただ事ではない。

 事の発端は、海老蔵が生家を売却したことだという。

 6月1日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)では、東京目黒区にある土地面積約150坪、現在の地価で約8億円ほどの価値がある生家を、海老蔵が売却したと報じていた。

「海老蔵さんの生家は先々代の十一代目團十郎さん(享年56)が1961年に建て、海老蔵さんの父親で先代の團十郎さん(享年66)に引き継がれました。

 そんな中、1992年に希実子さんの父親が手掛けていた事業がバブル崩壊で破綻してしまい、連帯保証人になっていた團十郎さんが20億円にも上るという借金を払うことになったと『女性自身』では伝えています」(ワイドショー関係者)

 その後、日本一の大名跡である市川宗家を守るため、歌舞伎の興行を担う松竹が團十郎さん宅の土地と建物を担保にし、借金を肩代わり。2013年に先代が死去したあとも、海老蔵は返済を続けていたが、松竹サイドから売却の話が持ち上がり、海老蔵はそれに応じることにしたという。

「しかし、希実子さんは先代が大切にしていた家を売却したくはなかった。代々受け継いできた実家を売却するぐらいなら、小林麻央さん(享年34)と暮らした自宅を売るべきではという声もあったといいますが、海老蔵さんは借金を残したくないという思いから、生家売却を決断したようです。

 これにより、希実子さんは息子の顔も見たくないと、海老蔵歌舞伎の挨拶に立たなくなったといいます。

 海老蔵親子にかぎらず、芸能界にはこうした壮絶な喧嘩を繰り広げる家族は少なくありません」(前同)

■杏は実母との“12億円骨肉裁判”……

 2020年4月の『週刊新潮』(新潮社)では、女優の杏(35)の個人事務所の代表取締役である実母が、娘の杏を訴えたと報じた。

 訴訟が提起されたのは2017年のクリスマス。杏は2009年に節税目的で個人事務所『T社』を設立し、ギャラは彼女が所属している大手芸能事務所か個人事務所に入り、そこから“従業員”である杏に給与が支払われるという契約になっていたという。

「しかし、2014年夏に杏は弁護士を立てて母親に“T社を退職して事務所と直に契約する”と通告。調停で杏は、母親が自分に無断で会社のお金を自身の借金返済に充てていると主張したといいます」(芸能記者)

 杏の父親の渡辺謙(61)が白血病で闘病した際、母親はある宗教に傾倒し、4億円もの借金を負ったという報道もある。杏が女優として成功したことで、母親は借金を完済。それを機に、杏はT社から独立することに決めたという。

 ところが、今度は母親が「杏がT社から独立することは“無効だ”」と主張し、2015年に調停を申し立て、2017年末に訴訟に発展。

 母親が求めたのは、杏が個人事務所の従業員であることの確認と、4000万円の支払いだと2020年9月の『女性セブン』(小学館)では報じている。

 その支払いの内訳は、調停の席で名誉を毀損した慰謝料が1000万円。杏がその後も20年間、T社に所属し続けた場合の利益を約12億円と算出し、一旦はそのうちの3000万円を補填するよう求めたというから驚きだ。

「実母から“12億円裁判”を起こされたわけですから、杏も相当なショックを受けたのではないでしょうか。しかし、この母娘による骨肉裁判は昨年、和解という形で決着したといいいます」(前同)

■吉川ひなのはエッセイで両親との関係を暴露

 モデルの吉川ひなの(41)は、5月13日にエッセイ『わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方』(幻冬舎)を上梓した。

 1993年に芸能界入りし、“9頭身美少女”として一気にブレイク。1999年には19歳でSHAZNAのボーカルのIZAM(45)と結婚し、7か月でスピード離婚するなど、お騒がせぶりも取り沙汰され、華やかな芸能生活を謳歌していた印象が強い。

「エッセイではこれまで明らかにしてこなかった親との確執を赤裸々につづっているんです。幼少期には家の電気が止まり、取り立てに追われる日々だったといいます。ところが、吉川が芸能界で成功を収めたことで一家の状況は一変。彼女の稼ぎで豪邸で暮らすようになったんです」(女性誌記者)

 しかし、吉川は次第に芸能界から離れていこうとし、90年代後半には別の仕事で生きていこうと考えて、両親を訪ねて「今まで私が働いて稼いだ貯金を分けてほしい」と伝えたという。

 ところが、両親は吉川が稼いだ金で借りていた豪邸の玄関で顔を青ざめさせ、さまざまな言い訳を繰り返し、数時間後にようやく持ってきた通帳には豪邸の家賃の1か月分にも満たない額しか残っていなかったというから驚きだ。

「IZAMとの離婚を経て、芸能界から距離を置き始めた吉川のもとにも、父親はお金の無心に来たといいます。吉川が“お金はない。500円貯金しかない”と伝えると、父親は“それいい?”と貯金箱を持って行こうとし、これに吉川は号泣したそうですが、父親は無言で貯金箱を持ち去って行ったと、エッセイにはつづられています」(前同)

■松田聖子と神田沙也加は十数年にわたる親子ゲンカ

 かねてから、不仲だとささやかれている親子といえば、松田聖子(59)と神田沙也加(34)だろう。

 2019年12月の『週刊文春』(文藝春秋)では、聖子と沙也加と母親は当時、5年にわたって“音信不通”状態にあり、直接連絡が取れなかったと報じている。

 母娘がそんな状態に陥った理由は、聖子と沙也加の所属事務所を巡るトラブルだったという。2011年の『NHK紅白歌合戦』では母娘共演を果たすが、2014年に両者の間でトラブルが勃発。

 聖子は、沙也加とともに所属していた個人事務所を飛び出して、元マネジャーと新会社を設立。個人事務所は1989年に聖子が当時の大手芸能プロから独立した際に立ち上げ、亡くなった聖子の父親が社長を務めるなど、家族で切り盛りしてきた会社。そこを当人が飛び出してしまったのだ。

「さらに2017年には、沙也加サイドに聖子から“事務所の名前を使わないで”とクレームが入ったため、沙也加サイドはやむなく新事務所を設立したといいます。これに限らず、2人の親子ゲンカはたびたび報じられています」(前出の女性誌記者)

 2004年には、聖子と沙也加が物を投げ合う大ゲンカに発展。ガラスが割れ、怒鳴り声が飛び交うというあまりの激しさに、近所の住人が通報し、警官が駆けつける騒ぎになったと『女性セブン』をはじめ、さまざまな週刊誌が報じた。

 騒動の原因は、沙也加が当時交際していた12歳年上のギタリストとともにアメリカで活動したいと聖子に申し出たところ、猛反対されたことだとされる。

「沙也加は大ゲンカ後、家を飛び出して1人暮らしをしていましたが、当時の恋人とは破局してしまい、さらには仕送りを止められ、生活に困り、2006年2月には聖子に謝り、実家に戻ったと2008年3月の『週刊現代』(講談社)では伝えています」(前同)

 近しい関係にある親子だからこそ、絶対に許せない一線を越えてしまうこともあるのかもしれない――。

2021/6/13 7:40

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