粗品に「おもんない老害」とディスられた嘉門タツオを直撃。「彼は天下を取る男。コラボできたら面白いね」
「♪チャラリ~鼻から牛乳~」「♪アホが見~るブタのケ~ツ~」といった印象的なフレーズだけでなく、探検番組の盛りすぎ演出を揶揄した『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』(1984年)を大ヒットさせ、桑田佳祐や松任谷由実といった大御所アーティストのヒット曲を網羅した『替え唄メドレー』で紅白歌合戦に出場(1992年)するなど、コミックソングのオーソリティとして知られる嘉門タツオ(65歳)。
2022年に14年間連れ添った愛妻を亡くし、昨年1月には飲酒運転で人身事故を起こし活動を自粛。今年3月にライブで復帰を果たすも、7月に「(霜降り明星)粗品の毒舌には愛がない」とWeb上で発言したことをきっかけに、粗品から「老害」「おもんない」と強烈な反撃をくらい注目を集めた。
エッジの効いた替え唄やコミックソングで世の中の矛盾や疑問を笑いとばしてきた彼が、65歳になった今、若い世代からの逆襲をどう受け止めているのか。発言の真意を尋ねた。
◆“粗品ディス”の経緯
――昨年から続いていた活動自粛から今年3月にライブで復活されましたが、今の気持ちを聞かせてください。
嘉門タツオ(以下、嘉門):そうですね……そこを乗り切るのはけっこうエネルギーいりましたね。1年2ヶ月休んでいたんで。まぁ、世間の視線というか、批判的な方もいらっしゃいますし。被害者の方からは「どうぞ活動なさってください」とおっしゃっていただきました。
その後もおかげさまでいろいろオファーをいただいて、年末にかけてステージがいくつかあるのと、来年の春にだすニューアルバムに合わせて、東名阪でツアーも予定してます。
コロナ禍や妻を見送ったこともあって、その間に考えることも多かったので、なんとかようやくペースが戻ってきた感じですかね。
――そんななか、7月にはWeb記事を発端にした霜降り明星・粗品さんとのバトルが話題になりました。
嘉門:なんか知らんけど、いつの間にか自分が「元祖Disりレジェンド」みたいな立場で取材されたんですよ(笑)。取材の現場で粗品さんと宮迫さんのやりとりを動画で見せてもらい、感想を聞かれました。
僕は粗品さんの実力、人気、パワーはすごい認めているんです。その上で二人のやりとりに関して「ちょっと愛がないな」と言ったらそれが見出しになって。そこに彼がYouTubeで噛みついたと。
◆粗品さんからの反応は「ありがたいこと」
――ネットに記事がでた翌日でしたね。しかも同じ月に行われた粗品さんの単独ライブでも「おもんない」と追撃されていました。正直、嘉門さん的にはどう思ってますか?
嘉門:いや、もう、とてもありがたいことですよ。逆に自分のこと宣伝してもらっているようなもんですし。
『鼻から牛乳〜令和篇〜』のことまで取り上げてもらって(笑)。ただ唯一、「おもんない」と言うけど、どこがどうおもんないのか教えていただけると、今後の活動に参考にさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
僭越ながら、もし将来、コラボでもさせていただけるのであれば、いろいろと面白いことができるかもしれないとも思っていますよ。
――周りの反響はいかがでしたか。
嘉門:みんな「良かったですねー。粗品さんから名前だしてもらって」って言ってます。27時間テレビのときも、(明石家)さんまさんも含めてたくさんの芸人さんがいる前で言ってもらえて。なんやかんやいってちょこちょこ名前だしてもらっているんで。
◆粗品は天下を取るという期待がある
――そうやって下の世代からdisられることについてはどう思いますか?
嘉門:彼は漫才の実力はもちろんですけど、音楽的才能もすごいじゃないですか。キーボード弾けるし、オーケストラの指揮もできるし。漫才というフィールドだけに収まらない器だと思うので、単にテレビの冠番組を獲得するだけじゃない、天下を取るという期待はありますね。
――「老害」「おもんない」っていうフレーズが強烈すぎて、てっきり嘉門さんは怒ってるんじゃないかと思ってました。
嘉門:いや、僕もある意味さんざんやってきましたので(笑)。
今はモラルの問題から規制が厳しいですが、自分が20代、30代の頃は「放送禁止」というラインをギリギリのところで踏み込んで、オンエアできないけど劇場やライブではアリ、みたいなことやってましたから。反社、宗教、政治……まんべんなく噛みついてきたので。
◆時代に合わせたフィールドで表現を続けたい
――個人が自由に発信できるSNS全盛の現代では、すぐに炎上や分断が起きてしまい、なかなか対話が生まれにくく、エンタメやカルチャーをめぐる環境が厳しいように感じます。
嘉門:どうだろう……ちょっと古いところだと野村サッチーと浅香光代さんのやりとりってあったじゃないですか。
ワイドショーが一つの舞台になって、梨元勝さんとか鬼沢慶一さんとか芸能リポーターが互いの家にズカズカ上がり込んで焚きつけて。あれと同じじゃないですか。なので、時代は変われど、そのフィールドのなかで表現を続けていけばいいのかなと。
――そんな時代の流れのなか、嘉門さんは我が道を歩いてきた自負もあるのでは?
嘉門:最近はずいぶんソフトになったというか、人生経験とともに深みが増したというか。昔から「人を傷つけることはしない」「弱い者イジメはしない」と決めてやってきたんですが、「あ、もしかしたらこれって誰か傷ついてるかも」と思うようになって、今はそのへん気を使ってますね。
昔つくった曲に、クラス全員に目を閉じさせて、先生が「このなかに親友がいる人?」と尋ねて、こっそり薄目を開けたら自分が親友だと思ってた人が手を挙げてなくて教室を飛び出した、みたいなのがあったんですけど、同じような経験をした人から「あれは傷つきました」と言われて「確かにそうやな」と思って封印したり。
――80年代、90年代まではそれこそストレートな悪口や表現がテレビなどのメディアでも飛び交ってた印象があります。
嘉門:当時は「ブス」「デブ」「足が短い」とかみんな平気で言ってましたよね。「ヅラ」は微妙なので、なかなか今でも手をつけにくいですけど(笑)。
ただ「デブ」にしても、なんらかの病気でそうなっている人がいると思うとデリケートな言葉ですよね。「三段腹」くらいまでは不摂生感がするのでなんとか大丈夫かもしれませんが。
◆かつての替え唄が今の時代“カスハラ”になる
――時代の移り変わりとともに言葉選びの難しさを実感しますか?
嘉門:『ハンバーガーショップ』(※バーガーショップの店員のマニュアル対応にいちいちツッコむ)という曲も、今の基準で見るとカスタマーハラスメントにあたりますので(笑)、この曲をベースに、流行りのカフェのオーダーについて唄ったりしています。あとはインバウンドで訪れている人たちについてとか。
6年前に『HEY!浄土~生きてるうちが花なんだぜ~』という曲をつくったんですけど、母が亡くなったときにそれを唄って出棺して、その次には妻が亡くなったときに流したんですよ。30代、40代ではできなかったことが、この年齢になってできるのかなって。
ここから先、70代、80代になったら作れる唄がもっとあるだろうし、それこそ「老い」や「介護」をテーマにして、そういう現場に携わる人にとって少しでも救いになるような唄をつくっていきたいですね。
◆具体的な出来事を唄にして発表するのが自分の仕事
――そう考えるとネタはいくらでもありますね。
嘉門:40代の頃、「80歳になったら『尿漏れ』という曲を唄ってると思います」って冗談まじりに言ってたんですけど、これも今となってはなかなか笑えない深刻な問題じゃないですか。80歳になって「聴いてください。『あんたの介護は受けたくない』」はギリギリ笑えるかもしれないけど。
そういうことをより具体的に唄にして発表していくことが自分の仕事であると、昔からそうですけど年齢を重ねるにつれ確信してきてますね。「唄があるべきものには唄にしよう」と。
亡くなった高石ともやさんにも「抒情詩ではなく叙事詩。具体的なことを唄い続けているよね、あなたは」と言われたことがあって。そうだよなと。
世間は桑田(佳祐)さんやユーミンに介護の唄を求めてないですからね(笑)。かれこれ14歳のときから唄をつくってますけど、基本はまったく変わってないです。
<取材・文/中村裕一 撮影/スギゾー>
【嘉門タツオ】
’59年、大阪生まれ。’83年『ヤンキーの兄ちゃんのうた』でレコードデビュー。『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』『替え唄メドレー』『鼻から牛乳』など多くのヒット曲を持つ。『鼻から牛乳〜令和篇〜』が9月に配信され話題に。『大阪・関西万博エキスポ~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~』が12月18日配信リリース、ニューアルバム『至福の楽園〜歌と笑いのパラダイス〜』が2025年3月19日発売。来年3月からは、東名阪ライブツアーも決定している。
【中村裕一】
株式会社ラーニャ代表取締役。ドラマや映画の執筆を行うライター。Twitter⇒@Yuichitter
トリトン(♂)
12/11 15:38
嘉門達夫と粗品のその当時の人気なら嘉門達夫の方が遥かに人気だと思うし老害というより野球で言うと長嶋や王をてるようなものそんな昔のロートルをディスるとは呆れたアホやなこいつの漫才見たが全然おもろくなくてたまらんかったがそれは人それぞれだけどね。