そっくりな顔が映し出すのは、過去と未来の自分の心
吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
「他人のそら似」は「自分を写す鏡」だった
「彼女?」
ささっとフォーでも食べようと入ったお昼時のヴェトナム料理店。
チキン・フォーを半分近く食べてふと見ると、少し離れた隣のテーブルに友人にそっくりな横顔をした女性が座っていました。
喧嘩をしたわけではないですが、気まずいことがあり何となく疎遠になった友人。
髪型も、眉の描き方も、つんとした鼻先も、きゅっと口を結んだ感じも、彼女にそっくりでした。
似ているとは言え、違う点もある。ネイルが薄いピンクであること。
彼女はネイルに賭けていると言っていいほど、いつも凝ったデザインのネイルをしていました。
そしてセーターとジーンズという服装も、彼女らしからぬものでした。
もし彼女だったら、どんなふうに顔を合わせたらいいのだろう。
そんなことが頭の中をめぐるという、何とも情けないランチになりました。
他人のそら似、ドッペルゲンガー……この世界には自分とそっくりな人が3人いるという言い伝えがあります。
似ているというのとは少し違うかもしれませんが、以前、マザーテレサの写真展で、「これは私」と思ったインドの女の子の写真を見ました。
荷車にもたれか借り、こちらをじっと見ている7歳くらいの女の子です。その眼差しの強さに何か問われているような気がしたのでした。
また、藤原新也の写真展でも、「私だ」と思った小さな女の子と出会いました。
チベットのまだ3歳くらいの幼子は、小さい時の私かと思うほど似ていました。
少し怒ったように口を結んでいる。その女の子の眼差しも、ちゃんと生きているか問われているようで胸に刺さりました。
母が亡くなって2ヶ月くらい経った頃だったか。東京ミッドタウンの駐車場へ降りるエスカレーターで母とそっくりなおばさまを見かけました。
胸がどきどきしました。
髪型も、体格も、メガネも、もちろん顔立ちも「母」だったのです。
元気な頃の母がそこにいるようで、思わず、隠し撮りをしてしまいました。
何度も見返し、母だったらいいのにと泣きそうになりました。
他人のそら似。私にとっては、自分を写す鏡になりました。
それが自分に似た人であっても、他人に似た人であっても、対面した時に自分の心を見るのかもしれません。
心を広く、深く。もしも偶然あの友人と会ったら、再会を喜べる自分でありますように。
※記事中の写真はすべてイメージ
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。