餓死の恐怖に耐えきれず「二度と戻れぬ橋」を渡ってしまう北朝鮮の都市住民
北朝鮮には、居住・移動の自由がない。人々は進学や兵役などの特別な理由がない限り、生まれた地域に一生を縛り付けられる。都会で生まれた人は都会に、農村で生まれた人は農村に住み続けることになる。
(参考記事:山に消えた女囚…北朝鮮「陸の孤島」で起きた鬼畜行為)
中には、国の思惑で都会から農村に送り込まれる人もいるが、なんとか抜け出して都会に戻ろうとあらゆる手を尽くす。農村には未来がないからだ。
ところが最近になって、自分の意志で都会から農村に移住する人が現れた。その理由について、咸鏡南道(ハムギョンナムド)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
北朝鮮第2の都市、咸興(ハムン)から、洪原(ホンウォン)、利原(リウォン)など近隣の農村地域に移住する人が最近になって増えている。このような現象は先月から目に見えて増えている。
その多くは咸興市内の市場で商売をしていた人々だが、先の見えない食糧難、最近の北朝鮮ウォン安と物価高騰で、もはや商売あがったりとなった。
(参考記事:「どう生きれば良いのか」金正恩”ウォン安地獄”で窮地の北朝鮮)
また、迫りくる冬を生き抜くために、石炭などの燃料を準備しなければならないが、それには何トンも必要になる。そんな大量の石炭を買い込む余裕はない。
餓死や凍死を免れるために、都会から近隣の農村に移住するのだ。
(参考記事:飢えた北朝鮮の一家が「最後の晩餐」で究極の選択)
市内の成川江(ソンチョン)区域のある人民班(町内会)では、2家族が農村に移住した。一つの人民班には20ないし30世帯が所属していることを考えると、非常に高い割合だ。そのうちの一家族は、住んでいた家を売り払って洪原に移住し、もう一家族は家を1ヶ月100元(約2150円)から150元(約3220円)で貸し出し、楽園(ラグォン)に住む親戚の家に身を寄せている。
「彼らは町内で最も貧しく、冬が迫りつつあるのに越冬準備ができなかったために、農村への移住を決断した」(情報筋)
海に面している洪原や楽園は、時々入港する漁船の網に残された魚を拾ったりして、なんとか生きていける。現金がなければ生きていけない咸興市内とは異なり、田舎ではなんとか暮らしていけるのだ。
北朝鮮では農村から都会への移住は非常に難しいが、その逆はさほど難しくない。上述の通り、なんとかして農村を抜け出して都会へ向かおうとする人がいる一方で、今までは自ら進んで農村に移住しようとする人はまずいなかった。
しかし、金正恩総書記が進める国主導の計画経済への回帰策の影響で、市場で商売する人が大きなダメージを受けた。
「農村に移住すれば子々孫々農民として生きていかなければならないが、とりあえず餓死から免れるための最善の方法として移住を選択せざるを得ない」(情報筋)
もはや未来のことなど考えられないほど追い込まれた人々なのだろう。しかし、多くの人は苦しい思いをしつつも、都会にしがみついている。
「都会には、その日暮らしの人々が多いが、ほとんどが子どもの一生を農村で台無しにしたくないと、歯を食いしばって耐えている」(情報筋)
商売で得られる現金収入に頼って生きている人たちは、「(市場への規制が非常に緩かった)コロナ前に戻りたい」と念仏のように唱えているとのことだ。
ちなみに、同様の現象は平安南道(ピョンアンナムド)、平安北道(ピョンアンブクト)、両江道(リャンガンド)で起きていると情報筋は伝えた。