【連載対談】【対談連載】フューチャー 代表取締役会長兼社長 グループCEO 金丸恭文(下)
【東京都品川区発】最大の転機はIPO(株式公開)直前に訪れた。外注先のミスで、通信エンジンが動かない。猶予は3カ月。絶対に間に合わないと思われたプロジェクトだがやり切った。「誰もがソースコードを読める会社」の底力が発揮された瞬間だ。「社会は若者にしか変えられない」。金丸さんはそう語る。若者を若者扱いせずにどんどんやらせる。格好や年齢ではなく、大事なのは中身だ。先輩、後輩という関係も、ぶち壊す。「私自身、本当にためになった先輩は、一握りでした。先輩の言うことなんか一切聞かなくていいんです」。異端児の本領発揮…。
(本紙主幹・奥田芳恵)
2024.10.10/東京都品川区のフューチャー本社にて
●「絶対に間に合わない」プロジェクト徹夜の連続で切り抜けてIPOへ
芳恵 創業から35年。グループでおよそ年商700億円、社員数3500人という規模まで大きくされたわけですが、これまでで最も大きなターニングポイントになった出来事は何ですか?
金丸 1999年のIPO直前に取り組んでいたプロジェクトですね。リアルタイムの通信エンジンをベースにした画期的なシステムを構築していました。エンジン部分は、シリコンバレーで当時指折りのシステム会社に外注したんです。われわれはその通信エンジン完成を前提に、アプリケーション開発を進めていました。ところが、納品された通信エンジンが全く使い物にならない。納期まで1年足らず。通信エンジンは使えない。しかもIPOは目前。
芳恵 絶体絶命のピンチですね。どうされたのですか。
金丸 結局、通信エンジンを自社で開発することにしました。当初、3月1日にサービスをスタートさせるという約束でしたが、これは間に合わなかった。問題はいつまで納期を延ばしてもらうか、です。一緒に創業した石橋(石橋国人・取締役副社長)と激論になりました。彼は6カ月かかると言って聞かない。しかし、私は何としても6月1日にはスタートさせたかった。IPOが6月22日に迫っていたからです。猶予は3カ月。彼は「絶対に間に合わない」と主張しましたが、とにかくやってくれと。これが最大の決断でした。私は「間に合わなければIPOをやめる」とまで言って押し切りました。
芳恵 石橋さんの見立てた半分の期間しかないじゃないですか。結局、間に合ったんですか?
金丸 みんなで頑張って、何とか間に合わせました。おかげさまで無事にIPOできて、額面5万円の株式に3350万円の初値が付きました。
芳恵 高い技術力があるからこそできる芸当ですね。
金丸 みんなプログラムが読めて書けるんですよ。だから問題点がわかる。創業期にはトラブルシューティングの仕事も多かったですね。名のある大手SIerからの依頼で、とにかく何とかしてほしいと泣きつかれたこともあります。しかし時間は3日しかない、と。ソースコードを並べて、もつれた糸を一つずつほぐしていくように問題点を発見し、きちんと3日で解決させました。
芳恵 大きな決断をする時、時間をかけるほうですか、それとも即断即決タイプですか?
金丸 短い時間であらゆる可能性を考えて、すぐに決断して行動します。それから軌道修正したほうが速い。間違えないように気をつけることは大事です。しかし、何もせずに立ち止まることが一番いけない。
芳恵 先ほど伺った通信エンジンのエピソードもそうですが、大胆にズバズバと決断されてこられたんですね。
金丸 実はそうでもないんですよ。大胆に行動するタイプに見えて、失敗したくないという気持ちが本当は強いんです。健全な臆病とでもいいますか……。まず失敗する可能性が大きいものを順に並べる。上位に来るものは難易度が高いので、自分で直接やる。そうでないものは誰かに任せる。仮に失敗しても小さな失敗で終わらせるようにしてきました。おかげで創業以来、致命的に大きな失敗はありません。
●若いからというだけで球拾いから始めさせるな
芳恵 「失敗しないチャレンジ」を続けて来られた、というわけですね。最近の日本では、時にチャレンジを敬遠するような風潮も見受けられますが……。
金丸 会社で言えば、現場から上がってきた意見を、チャレンジ経験のない中間管理職が葬り去っているわけです。経験がないからチャレンジする人のことが理解できない。日々すばらしいアイデアが生まれてはいるものの、つぶされている率が高いと思います。だから日本の社会や企業は変化のスピードが遅い。決断のタイミングを間違ってきたことが、日本経済停滞の原因でしょう。
芳恵 未来を担う若い世代に期待したいですね。彼ら彼女らが活躍するにはどうすればいいでしょうか。
金丸 まずは大企業に就職しないことですね(笑)。時代は急激に変化しています。野球でいえば「球拾い」から始めていては間に合いません。それなりの実力があるのなら、いきなり「ホームランを打ってみろ」と打席に立たせる企業でなければいけない。例えば生成AIで世界有数のエンジニアであっても、理解のない企業に入ってしまったら、すぐに活躍の場を与えられません。残念ながら日本には、そんな企業がまだまだ多い。結局、われわれもより良いソリューションやサービスを享受する機会を失っているのです。
芳恵 難関大学の学生でも就職は地方公務員を目指すような動きもあり、価値観は多様化しています。
金丸 地方の国立大学の学生は、いわば地域のエリートです。それがこぞって地元で公務員を目指していては、誰も富の創造ができなくなってしまう。今の社会を変えることができるのは若い人だけです。ビル・ゲイツが米Microsoft(マイクロソフト)を創業したのは20歳の時、スティーブ・ジョブズが米Apple(アップル)を創業したのは22歳の時じゃないですか。自分が歩む道は本当にこれでいいのか、考えてほしい。一生チャレンジしないまま終わるのは残念です。
芳恵 東京大学では、官僚を目指す学生が以前より減ってきているようですね。
金丸 健全だと思います。霞が関でコピーを取ったり、国会の想定問答集をつくったりするのはエリート官僚の仕事じゃない。そんなことで能力を浪費してはいけません。
芳恵 御社では若手社員の方々はどんな位置づけなのですか?
金丸 若者が主役だと言い続けています。だから若い人を若者扱いしません。新入社員が4月、7月、10月と3回入ってきますが、先輩とか後輩とかいう関係はぶち壊さなければいけない。私が後輩だったら、先輩のいうことなんか一切聞きません(笑)。
芳恵 最後に、これから会社をどのようにしていきたいと考えておられますか?
金丸 投資家の期待を上回る、もっと輝ける会社にしたいですね。エンジニアのレベルをきちんとジャッジできる、苦労が報われる技術屋集団でい続けたいと思っています。一見、無口で地味に見えてもピカピカのプログラムを書けるエンジニアが報われる会社です。社内にも顧客にも、その技術力をきちんと示し続ける会社。これを貫き通したいですね。
●こぼれ話
「古い価値観を打破し、若い人たちが大きな挑戦をする会社にしよう」という創業の想いが込められた社名「フューチャー」。当時はまだ聞き慣れなく、よく言い間違えられたとのこと。幸いにも、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がヒットしたことにより、「これはいける!」と確信したのだそう。金丸恭文さんは、バック・トゥ・ザ・フューチャーの映画のパネルを見せながら、創業当時の想いを語ってくださった。
「大企業でワン・オブ・ゼムになりたくなかった」という金丸さん。幼少期は、異端児、変わり者、反逆児とまで言われながらも、自分の芯を持ち続け、確立させてきたことを感じさせる言葉だ。PCの黎明期、求めれば求めるほどに新しい情報に触れることができ、どれも刺激的。そんな環境は、反骨精神旺盛でやる気に満ちた当時の金丸さんをどんどん仕事にのめり込ませたに違いない。それはそれは、好奇心が刺激される日々であったと思う。寝る間も惜しかったというのは、言葉通りなのだろう。充実していた日々を語る金丸さんの言葉の端々から、当時の躍動感を感じる。今、AIに感じているような期待や興奮に似たようなものが、次々押し寄せる感じだろうか。当時の激務を想像して、「身体を壊しそうだな…」と思いつつも、ニュース満載な日々にうらやましさを感じる。
「何をするにも、とことんですね」と同席した社員の方に話を振ってみると、大きくうなずきながら、「そうなんです」と実感のこもった言葉が返ってきた。フューチャーの受付には、観葉植物がいっぱい。というよりは、まるでジャングルだ。会議室に向かう道中には池がある。茶目っ気たっぷりに「落ちた人も何人かいるよ」と金丸さん。やるなら思いっきりやり切る感じがこんなところにも現れている。チャレンジは特別なことでなく日常であるのが、金丸さんでありフューチャー。その企業文化をつくり上げたことは、企業価値の一つになっていることは間違いない。ジャングルの中の椅子に腰をかけて、ツーショットを撮りながら、そんなことを思うのであった。
(奥田芳恵)
心にく人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第361回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。