「家政婦スパイ」に殺される、北朝鮮のマダムたち
「チュチェ(主体)113年、2024年、平壌」――北朝鮮国営の朝鮮中央テレビで読み上げられる声明文などの類は、このように主体年号と西暦で締めくくられていた。しかし、それが急に消えた。
北朝鮮で1997年9月9日から使われてきたチュチェ(主体)年号が、今年10月12日に急に使われなくなった。この年号は、金正恩総書記の祖父・故金日成の「不滅の業績を長く輝かしめる」ためにと、1997年7月から使われていた。
それをなくしたのは金正恩氏の「神格化」の一環と見られているが、この例だけでなく、彼の祖父と父が掲げた「南北統一」という国是がいとも簡単に覆される事態が相次いでいることに、北朝鮮国民は動揺している。
しかし、これに対する疑問を公言すれば、命に係わる事態を招く。黄海北道(ファンヘブクト)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
(参考記事:「泣き叫ぶ妻子に村中が…」北朝鮮で最も”残酷な夜”)
麟山(リンサン)郡のある商店の責任者だった50代女性チェさんは、夫を早くに亡くした。郡内の同じ境遇の女性たちと月に1回程度集まりを持っていた。政治色は全くなく、ただ単に食事しながらおしゃべりする、ストレスを発散する場に過ぎなかった。
頻繁に顔を合わせているうちに、気の置けない関係となるにつれ、心の奥底にしまい込み、大っぴらにすることのなかった話を徐々に口にするようになった。ある日の集まりで、チェさんはこう切り出した。
「過去の首領様の革命業績と成果が消し去られつつあるようで変に感じる」
すると、その場にいた女性たちは、我が意を得たかのように、チェさんに賛同し始めた。
「主体年号が党の公式の指示や説明もなしに急に消えた」
「中央が方針を下したから年号が消えたのだろう。でもなぜ消えたのかわからないから、人々は疑問を持っている」
「人民に説明できない何らかの問題があるんじゃないか」
それに聞き耳を立てていたのは、その家で家政婦として働いていた女性だ。おそらく情報員(スパイ)だったのだろう。この女性が保衛部(秘密警察)に密告したことで、チェさんがまず逮捕され、残りの女性たちも今月20日ごろに次々に逮捕された。
(参考記事:北朝鮮女性を追いつめる「太さ7センチ」の残虐行為)
保衛部は、チェさんらが「非公式の反動秘密組織を結成した」として、この事案を政治事件をして扱う決定を下した。政治犯扱いとなれば、管理所(政治犯収容所)送りは免れないが、地域住民は、チェさんの息子が金正恩氏の身辺警護を担当する朝鮮人民軍(北朝鮮軍)974部隊(護衛司令部)に勤務していることから、最悪の事態は免れるだろうと見ている。
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しかし、北朝鮮で政治犯に対しては連座制が適用され、本人のみならず家族全員が管理所送りとなるものだ。逆に息子が護衛司令部を辞めさせられ、母親と共に管理所に行く可能性も充分に考えられる。
北朝鮮は、「小人閑居して不善を為す」という考えが強く、人々が集まって話をすることをとかく嫌う。庶民の数少ない楽しみである飲み会にも繰り返し禁止令を出している。
定期的に会合を持つ場合は、たとえどのような目的であっても、北朝鮮で最もタブーとされる宗派(分派)扱いされ、非常に厳しい処罰が下されるのだ。
(参考記事:金正恩「軍幹部14人を迫撃砲で処刑」またも恐怖の飲み会禁止令)
だが、保衛部が他愛もない集まりを政治事件化したことで、主体年号が急に消えたことに対する疑問の声を高めるという、権力者の側から見て逆効果とも言える現象が広まっている。情報筋は次のように伝えた。
「事件が起きてその内訳が伝わると、住民の間では『なぜ主体年号をなくしたのか気になる』との声が上がっている」
「主体年号が消えたことについて何ら説明がなく、そのことについて話しただけで逮捕されたとなれば、人々がさらにおかしく考えるのは当たり前ではないか」