「障害は個性ではない」。吃音を持つ開業医が伝えたい“あきらめずに悪あがきすること”の重要性
◆内視鏡検査のスペシャリストに
――アメリカ、イギリスへの留学から戻り、がん専門病院の健診センターで医長を務めた後、2019年に、念願の夢だった自分のクリニックを目黒区に開業した北村氏は、東京都でもいち早く新型コロナウィルスの発熱外来を開き、地域医療に貢献した。発熱外来のために、本来の人間ドック・健診の自粛を続けていることもあり、病院経営は決して楽ではなく、クラウドファンディングをした時期もあったが、今年で開業5年目を迎える。
北村:吃音が原因で、患者様が離れたこと もあります。ただ、私は吃音があった影響で、大学病院に助教として所属中、大学の関連病院に週3~4回ほど、外来や内視鏡検査で外勤が割り当てられたのですが、医局長の采配で私には外来ではなく、内視鏡検査の外勤のみが充てられました。内視鏡検査の実績は早くから数多く積むことができました。内視鏡検査は医師1人で行い、検査中に話す必要もないため、吃音は問題になりません。吃音が出なければ、何の症状も出ないのです。
ポリクリ実習でも、外科や眼科の実習で、手先が器用だと言っていただけることが多かったのですが、勤務先のスタッフから、先生は上手ですね、器用ですねと言ってもらえることも多く、ある健診クリニックでは、「(鎮静剤を使わないために、)いつもはつらいのに、先生の検査だとつらくないので、次回から先生を指名したい」と言って、翌年から私を指名してくださる方々が増えたり、ある病院では、就任して2~3か月たったころに、「今度の先生の大腸カメラはつらくないと聞きました」と遠方から検査を受けにきてくださる方が何人もいらっしゃいました。
有明病院の健診センターでも医長を務めさせていただきましたが、残念ながら、開業後、外来での検査の説明で吃音が出たことで、検査のカメラが不安だと、キャンセルされたことがあります。しゃべらなければ吃音は出ないですし、けいれんなどが起きるわけでもないのですが、残念に思います。
◆開業することは本当に大きな賭けでした
――それでも開業に踏み切ったのは、北村氏にとって「大きな賭けだった」という。
北村:吃音のある私にとりまして、出身大学である慶應義塾大学の医局に属しながら、その関連病院で働くことは、いろいろな意味で医局に守っていただけていました。中には、身体障害者扱いされたケースもありますが、実際に試しで申請してみたところ、身体障害者と認定されたわけですから、事実を言われていただけと言えますし、大抵は、医局の先輩方が私の吃音、コミュニケーション不足を補ってくださっていました。
開業の道を選択する、ということは、そうした保護から外れることを意味します。医局から派遣された関連病院の勤務では、あくまでも、大学から派遣ということ、また、地方の基幹病院ということもあり、大学や病院の看板がありました。開業すると、こうした看板はなくなります。大きな借金を背負って新規開業することは、吃音のない医師にとっても賭けではあると思いますが、吃音のある私にとって、開業するということは、本当に、本当に大きな賭けでした。ですが、「先生が主治医で良かった」と受け持ち患者様が言ってくださっていたり、基幹病院で勤務中に開業医へ逆紹介をしようとしても、「先生の外来に通いたい」と言ってくださる患者様も多く、内視鏡検査も自信がありましたので、将来のこと、自分の理想とする医療のことを考え、開業に踏み切りました。
◆吃音があることで生じた実生活での苦労
――他にも、タクシーを止めても言葉が出ずに乗車拒否される、電話をかけると不審者扱いされ切られる、デパートで気持ち悪がられて担当者が交代するなど、障害があることで受けるデメリットは数限りない。
北村:幼少時から吃音がありましたが、勉強も体育も得意で、話すとき以外には、何も症状はありません。話すときにも、毎回どもるのではなく、全くどもらないこともあれば、どもって話にならないこともあります。自分が身体障害者に該当するという認識はありませんでしたし、思われたくもなかった。親からは、小学校に入ったら治る、20歳になったら治る、などと励まされてはいました。しかし、いっこうにどもりはなおりませんでした。
吃音があると恋愛も難しく、どもりが出ない間、あるいは、どもりをうまく隠せている間はいい感じになれたとしても、どもりがでた時点で、即ジ・エンドということが多々あり、いわゆる合コンに呼ばれても、どもりが怖くて、何も会話せず、発言すらせずに終了ということがほとんどで、もっぱら安全パイの人数合わせ的な感じすら。お見合いをしたとしても、酷くどもった時点で即お断り。吃音など気にしないという方としかご縁は生まれません。結構な吃音のある私にとって、電話は敵であり、今のようなネット環境がなかった時代に恋愛しようとしていた私には、努力だけではどうしようもない恋愛、婚活は相当ハードルが高く、努力すれば何とかなりそうな受験のほうがまだましでした。
私の場合は、発語する際に言葉が出ない、出てきにくい吃音です。最初さえ出てくれれば、息が続く限りはどもりません。どもりそうなとき、別の出てきやすい単語に置き換えられないかを考え、試したりします。最初の言葉を発するために、何度も何度も何度も自分の中で言いやすい言葉を声を出さずに話し、それから続けるようにして発語しようともしますが、だめなときはダメ。別の単語に置き換えてどもらない場合はよいのですが、それでもどもる場合、どうしようもありません。あまりにどもりが続くと「ま、いっか」と、話すのをやめてしまいます。
こうしたことで、コミュニケーションが難しくなり、うまく気持ちや考えが伝わらなかったり、間違って取られたりします。勢いづけるとどもらずに済むケースもあるのですが、勢いづけると、声が大きくなりがちで、内容によっては、威圧的に取られてしまいがちです。また、息継ぎをすると、息継ぎ後は、また、言葉の出だしとなるため、どもる可能性が出てしまうため、何とか、息継ぎ前に多くを話そうとして、早口になりがちです。このため、幼少時には、親族から、活発に話す兄や従弟と比較され、「あんたは無口で、根暗やなあ」とよく言われました。
◆事前問診の導入は不可欠だった
――中学や高校は兄や親戚とは違う学校であったため、学校の共通の話題に入れないということもあったという。
北村:話そうと思っても、最初の言葉が出せないため、「ま、いいや」となって、会話が少なくなってしまいます。私と友達になってくれる友人らは、いい輩が多いな、と思っているのですが、もしかすると、吃音がある私を受け入れられる方々だけが友人となってくれていて、選抜されているのかも知れません。
吃音に関する対策の1つとして、毎月数万円をかけて、WEB問診、WEB予約などを開院当初から導入しました。事前の問診がないと、症状を聞く際に、毎回吃音と戦う必要があり、吃音がひどいと、問診が進まず、診察がすすみません。事前問診を導入することで、いつ頃から、どういう症状があるのか、どういう検査が必要そうか、どういう検査を希望されているか、既往歴はどうか、家族歴はどうか、薬はどうか、など情報を得ることができます。WEB問診を導入することで、受診する本人の調子が悪い場合でも、ご家族が事前に詳しく入力することもできます。
事前問診があるかどうかで、吃音がない医師にとっても、メリットは大きいと思いますが、吃音がある場合、無駄に発語と戦わなくても、必要な情報が得られることができ、問診で足りないことを補足的に質問すればよい、ということになり、負担が大きく減るということは、吃音がない健常者には到底理解できないことのようで、受付から問診をお願いしてもらっても拒絶される方は少なくなく、拒絶されるからか、受付も、はなから問診の案内をしない、ということも多々あり、どうやって吃音という障害を克服する形で外来をこなしていくか、悪戦苦闘しています。
◆吃音がない人の感覚は想像できない
――吃音という障害の難しいところについて北村氏は「吃音が出ない場合も多々あり、吃音が酷い場合には話ができないだけでなく、顔がゆがんだり、外見的にも酷い状態になることがあるものの、どういう場合に吃音が出るか、出ないのか。他人はともかく、本人すら分からない」という点だと続ける。
北村:そして、その吃音が出る状態が、どれくらいつらい状態なのか、吃音がない方には理解できないだろうし、想像もできないだろうということだろうと思います。私は幼稚園に入る前には吃音がありましたので、吃音がない人生が分かりません。吃音がない方が話すときの感覚が理解できないのですが、想像するに、吃音がない方々にとって、話すということは、空気を吸うのと同じくらい簡単なことであり、ごく当たり前のことでしょうから。吃音がない方が、何かの拍子で、どもることはあるでしょうし、大勢の前で発表する場があれば、緊張して言葉が出ない、ということがあるのかも知れませんが、ひどい吃音がある人間に取りましては、発語しようとする都度、そういう感じになっているのです。インターホンも苦手、マイクも苦手、電話も苦手。
◆電話という発明を憎んだことも
――吃音は、「他の目に見える障害と違って、一見、障害がないように見えることから、症状が理解されずに誤解されてしまうという苦労もある」という。
北村:外来では、患者様に分かりやすく説明することを心掛け、なるべく専門用語を避けているのですが、せっかく話すことができたなら、息継ぎをするまでに少しでも多く情報を伝えようと、早口になりがちで、クチコミに書かれることもあります。また、吃音のために、言葉を発することができず、詳細な説明をあきらめ、簡単にせざるを得ない場合もあります。吃音のために発語をやめてしまうなど、言葉足らずになることもあり、患者様だけでなく、スタッフや友人との間でも、コミュニケーション問題はつきまといます。吃音が恨めしいです。吃音は、目に見える障害と違い、一見、障害がないように見え、理解されずに誤解される苦労が多々あります。それでも、可能な限り患者様の疑問に答えられるように対応しており、私の説明がわかりやすく丁寧だから、と通ってくださる患者様もいらっしゃるので、日々、精一杯、診療にあたっています。
また、患者様を他の医療機関に紹介する際、あるいは、救急車を呼ぶ場合、など、電話をせざるを得ない場合が多々ありますが、私にとって、電話という発明は、なんというものを発明してくれたのか、というほど、発明者を憎みたいものの一つでありますが、外来をしていて、避けられないものの1つです。
吃音がなくなってくれれば、というのは、幼少時から、ずっとつきまとっています。吃音のない人生に憧れます。
◆吃音が克服できなくても…
――最後に、同じように吃音を抱える人に伝えたいことを聞いた。
北村:吃音が克服できたなら、それは、すごくラッキーなことだと思いますし、すごくうらやましく思います。しかし、私のように吃音が克服できなかった場合には、吃音を受け入れるしかありません。そして、人以上に努力するしかないと思います。そのうえで、「この道しかない」と思うのではなく、おそらく、だめだったときに備えて、2番目、3番目の道も残しておく、ということ、そして、あきらめずに悪あがきすること、が重要だろうと思います。あきらめれば試合終了ということもありましょうが、悪あがきすれば、拾ってくれる神はいらっしゃると思います。大学卒業時の進路選択でも、教授がひろってくださいました。悪あがきして留学先も見つかり、2か所の拠点で働くことができました。ロンドン大学の肝臓研究所に所属していた際、ボスがアメリカで研究室を立ち上げるとのことで、一緒に立ち上げを手伝ってほしいという打診があり、海外での研究生活継続のチャンスでしたが、普通に歩いていた父が突然の窒息事故と、その後のリハビリ中、テレビ報道もされた経鼻栄養チューブ誤挿入という医療ミスで急逝し、残された母のことや、その後の人生を考え、海外での研究生活を断念し、帰国する道を選択しました。この際にも、医局や先輩のおかげで臨床復帰することができ、さらに、同級生のおかげで内科では経験できなかった手技や知識を身に着けることができ、開業を選択する自信につながりました。
大学病院やがん専門病院の健診センターで研鑽した技術、診断能力をもって、相応の設備・装置を備えれば、大学病院やがん専門病院に負けない健診を受けていただけるのではないか、と健診と外来を併設したクリニックを立ち上げました。見落とし、医療ミスのないよう、注意しながら、自分がこの病気なら、家族がこの病気ならと考えながら、日々診療にあたるよう心がけています。
◆障害は個性ではない
――当初は吃音があることで、職業の選択肢が少ないと感じていた北村氏。
北村:私は、吃音があるから、職業の選択肢が少ないと感じていました。弁護士やアナウンサー、教職、営業職など、話すことが多い職業になるのは難しいと思いました。慶應義塾大学で助教時代に、教授から学生の講義を頼まれたことがありました。ポリクリという実習で数人の学生に簡単な講義をすることは何度かあったのですが、教授の代理での学生の授業となると、ちょっと違ってきます。録音してスライドを流す方法、説明内容を事前にまとめて配布する方法も考えましたが、結局、お断りすることにしました。できると信じて振ってくださった教授のためにも、チャレンジするべきだったのかも知れませんが、度胸がありませんでした。留学する前や帰国した際には、某大学のスタッフポジションを準備していただいたこともあったのですが、これも辞退してしまいました。とにかく、他のドクターよりも努力しないと認めてもらえませんでしたが、正直、できることの限界も感じました。吃音は、日常の私生活だけでなく、社会生活でも、大きな壁となっています。『障害は個性だ』と言う人には、あなたがなってみなよと思います。吃音は、『個性』で片付くような簡単なものではありません。健常者より努力するしかない、と小さい頃から感じていました。私の場合、それがたまたま勉強でした。それぞれの人が、得意なことで武器を作るしかないと思っています。
――「それは個性だ、障害じゃない」という言説が通用するのは、その障害が、本人にとり軽い場合だけではないか。安易に「個性」ということは、当事者の苦しみを軽んじることになりかねない。
北村氏の略歴
京都府京都市出身。1990年 東大寺学園高等学校卒業、1990年 慶應義塾大学医学部入学。1995年8月マウントアーバン病院(ハーバード大学教育病院)にて総合内科を研修。1996年慶應義塾大学医学部卒業。1996年 慶應義塾大学病院内科学教室にて研修し、2年間の関連病院出向後、2000年 慶應義塾大学病院 消化器内科学教室 助教となる。2004年に1年間の関連病院出向後、2005年より慶應義塾大学病院 放射線科助教となり、放射線診断、乳がんなどの放射線治療に携わる。学位取得後、2011年より、政府助成金で米国(ニューヨーク)Mount Sinai大学 内科 肝臓教室に留学し、2014年より、英国ロンドン大学の肝臓研究所に客員講師として留学する。2015年末に帰国し、がん研究所有明病院健診センター医長などを経て、2019年12月に目黒の大鳥神社前クリニックを開院し、現在に至る。
資格・認定医・指導医医師免許
医学博士
日本内科学会 総合内科専門医
日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医
日本医学放射線学会 放射線診断専門医
日本肝臓学会 肝臓専門医
日本消化器病学会 消化器病専門医
日本脈管学会 脈管専門医
日本核医学会 核医学専門医
PET核医学認定医
肺がんCT検診認定医
放射線取扱主任者(試験合格済)
<取材・文/田口ゆう>
【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1