天皇賞馬の存在も「馬の神社」のきっかけに 競馬関係者やファンが参拝する藤森神社を直撃
京都競馬場で6日に行われる藤森ステークス(3歳上・OP・ダ1200m)。JRAホームページの特別レース名解説によれば、京都府伏見区にある藤森神社が競走名の由来とのこと。平安遷都前に起源を持つ、歴史の長い神社と競馬には、どのようなつながりがあるのか。実際に神社を訪ねると「白い稲妻」と呼ばれた名馬との関わりも浮かび上がった。
京都駅からJR奈良線に10分ほど揺られ、3駅目のJR藤森駅で下車。そこから徒歩5、6分の場所に藤森神社はある。西門の石碑には「菖蒲の節句発祥の地」の文字。こどもの日に飾る鎧兜をまとった五月人形は、毎年同日に行われる藤森祭の武者行列から来たものとされている。また、菖蒲と音が同じで「勝負」に通ずることから、古くから勝ち運の信仰があり、競馬だけでなく、スポーツ選手や高校野球チームも参拝に訪れる。
その藤森祭の中で行われるのが、1200年以上続く伝統奉納「駈馬神事(かけうましんじ)」。奈良時代に早良親王が出陣前に行ったとされる儀式を再現したもので、走る馬上で逆立ちをする、両手を離して筆で文字を書くなどの“技”を魅せる。「勝負運」と「馬」。この2つのキーワードから、いつしか藤森神社は、競馬関係者やファンから、「馬の神社」として認識されるようになった。
もうひとつ、馬と神社を結びつけるエピソードがある。宮司を務める藤森長正(ふじのもり・ながまさ)さんによれば、タマモクロスの存在があったのではないかとのこと。同馬は88年の天皇賞(春)を制するなど、GI・3勝を挙げ、芦毛の馬体から父シービークロスと同じく「白い稲妻」異名を持つ名馬である。87年の藤森特別を勝った後にオーナーが同神社を参拝し、翌年には天皇賞を春秋制覇するなど大きく飛躍したことから、競馬にゆかりがある神社として話が広まった。それからは馬に関係するお守りは無いかとの問い合わせも増え、お守りを授与したり、絵馬を用意するようになった経緯があるという。
実際に境内を歩いて見ると、そこかしこに“馬”。馬像も置かれているほか、自動販売機にも馬が描かれ、絵馬堂には馬主から勝利記念に奉納された競走馬の絵も飾られている。また、11月には競馬と馬を愛する人たちの神事として、「シンシン祭」を実施。福永祐一騎手や和田竜二騎手がデビューした96年から始まったその祭りは、人馬安全・安泰や、競馬界の繁栄を願う。関西の新人騎手には毎年参列いただいているほか、かつては武豊騎手や安藤勝己騎手も。実家が神社のすぐ近所との縁から、菱田裕二騎手もほぼ毎年のように参加している。
今年の藤森S当日には、宮司の藤森さんがプレゼンターとして参加。「お参りに来ていただけたらありがたいし、人馬安全に競馬が進み、ファンの方たちが楽しんでもらえたら」と話す。競馬関係者やファンが集まる神社には、馬と勝負をつなぐ歴史があった。