壮絶死の小林邦昭は「悪役でも感謝していた」初代タイガーマスクとの親友秘話にファンが涙
1980年代前半、プロレス界に大ブームを巻き起こした初代タイガーマスク(佐山聡)のライバルとして「虎ハンター」の異名を取った小林邦昭さんが、9月9日に亡くなった。享年68歳。ここ数カ月はガンで闘病生活を送っていたという。
そんな小林さんとライバル関係にあった佐山が哀悼の言葉を述べて、ファンの涙を誘っている。
佐山は団体を通じた書面に「今朝、電話が鳴り響いた時、嫌な予感がしました」と書き出すと、さらに小林さんの体調が悪いことは2週間前の電話の声でわかっていたとし、電話で交わした内容を語った。
「『俺たち、良い試合したなあ』と言うので、タイガーマスクでの試合のことかなと思った」という佐山だったが、小林さんが語ったのはじつは若手時代のこと。小林さんは淡々と意味深げに話したという。
小林さんは1972年、16歳の時に高校を中退して新日本プロレス入り。翌年、栗栖正伸戦でデビューすると下積み時代を生きる。
80年にメキシコ遠征、82年にはアメリカへ転戦し、NWAアメリカス・ヘビー級王座獲得するなど実績を引っさげて82年10月に帰国した。赤いパンタロンのマーシャルアーツスタイルで、初代タイガーマスクの好敵手として人気を呼んだのだ。
一方、佐山は17歳だった75年に新日本プロレスへ入門し、翌年5月に魁勝司戦でデビュー。アントニオ猪木の付き人を務める一方で格闘技の素質を見せ、78年にメキシコ遠征すると、NWA世界ミドル級王者になるなどの活躍をし、カール・ゴッチのトレーニングを受けるなどした後にロンドンへ転戦。サミー・リーのリングネームで人気者となった。
81年に日本に呼び戻され、梶原一騎の人気劇画の主人公であるタイガーマスクに変身して子供たちのヒーローとなり、ダイナマイト・キッドやブラックタイガー、そして小林さんらと抗争を繰り広げ、新日本プロレスブームを巻き起こしたのだ。
「小林さんが佐山と語ったのは、2人がともに新日本の若手として苦労をしていた75年から78年の頃のことだったのでしょうか。小林さんと佐山は学年では2つ違いですが、海外遠征は後から入門してきた佐山が先。そして帰国してすぐにスターとなった佐山を、小林さんはどんな思いで見ていたのか。82年に再会した2人でしたが、リング上では小林さんがタイガーのマスクに手をかけるなど〝虎ハンター〟としてヒール役に徹し、タイガーのファンの憎悪を一身に集めました。でも実は、私生活ではとても仲が良かったと言いますから、いかにもプロレスらしい逸話でしょう」(プロレス記者)
ヒール役であっても、自分をスターに押し上げてくれたタイガーに小林さんは感謝していたという。古き良きプロレス黄金期を盛り上げてくれた偉人に、心よりご冥福をお祈りしたい。
(石見剣)