古代ギリシアの最強軍隊「スパルタ」の教育方法が鬼過ぎる! 生まれた瞬間に崖からダイヴ!?

 古代ギリシア時代の都市国家・スパルタが栄えたのは、現在のペロポネソス半島(ギリシャの大陸部分南端に広がる島)の南部スパルティ地方。これまで数多くのスパルタを題材にした映画が公開されてきたが、そのほとんどで描かれている通り、当時スパルタは世界最強と称される重装歩兵軍を誇っていた。

 スパルタには3つの身分があり、“ヘイロータイ”と呼ばれる事実上の奴隷、“ペリオイコイ”と呼ばれる、軍事的な義務はあるものの参政権を持たない不完全市民。そして、それらの上に立つのが“スパルタ人”だ。そんなスパルタ人が行っていた、最強兵士を育成するためのヤバすぎる“スパルタ教育”をご紹介しよう。

■生まれてすぐの選別!

 最強兵士となるための試練は、この世に生を受けた瞬間から始まっている。子どもが生まれると入念な検査が行われ、未熟児や形態などに異常が確認され健康体と認められなかった場合、父親に非情な命令が下される。それは、「生まれたばかりの我が子を洞窟に放置してくる」というもの。時には、「崖から投げ落とすよう命じられる」こともあったという。

 さらに、この検査をクリアしても生き延びられる保証はない。「乳児は検査後、すぐにワインで洗われる」ここで痙攣を起こしてしまうと、虚弱児であると判断されて捨てられてしまうのだ。このスパルタ検査によって、生まれたうちの約半数が殺されたのだ。

■検査を乗り越えてもさらなる試練が!

 厳しい検査を乗り越え、スクスクと成長したスパルタの子どものうち男の子は、7歳になると強制的に軍隊の駐屯地に集められ、同じ規律の下で新たな生活を始める。その規律とは、「命令に服従すること」「試練に耐え、闘いとなったら必ず勝つこと」。そこで5年間鍛えられて12歳になると、全裸での生活をはじめ、沐浴も禁止される。ちなみに、この生活は30歳になるまで続く。

 意図的に食べ物を与えないことで、仲間の食事や駐屯地の畑から作物を盗むように仕向けられることも。これは、兵士にとって大切な大胆さなどを身に付けさせるためであったとされる。しかし、盗みが見つかることは決して許されず、見つかった場合は厳しく鞭打たれたようだ。

■教育といえば戦闘のこと!

 スパルタ人であることは、最強の兵士であることだ。読み書きの類いは必要最低限で、タフであること、戦うことだけを徹底的に叩き込まれていく。スパルタは13歳で成人を迎えるのだが、成人になると短剣を一本だけ持って町を追い出され、1年間は町に戻ってはいけなかったと伝えられている。この期間の食料は、自身で奴隷の町から奪うことで生き抜かなければならない。

 過酷な教育を受けたスパルタの戦士たちは、古代ギリシアで最強の名を欲しいままにした。「スパルタに攻め入ることは自殺行為」とは、当時の敵国からすると常識でもあった。紀元前371年に起きた“レウクトラの戦い”で敗れるまで、スパルタの支配地に侵入できた軍隊は存在しなかったという。

 生まれた瞬間から試練を与えられ生き抜いてきたスパルタ人だが、最期を迎える時もまた厳しい。スパルタでは、老齢で死ぬことに栄誉はなく、墓石すら与えられない。墓石を得ることができるのは、戦闘で死亡した兵士だけだ。闘いのために生き、闘いのために死んだ気高きスパルタの伝説が、現代まで語り継がれているのも当然かもしれない。

(文=須永温士)

 

※当記事は2016年の記事を再編集して掲載しています。

2024/9/1 23:00

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