宮崎駿の最高傑作『天空の城ラピュタ』放映 スタジオジブリの衰退はいつから始まった?

 金ロー名物「バルス祭り」が今年の夏もやってきました。2024年8月30日(金)の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)は、宮崎駿監督の劇場アニメ『天空の城ラピュタ』(1986年)です。浮遊都市ラピュタで迎えるクライマックス、主人公のパズーとシータと一緒に、決め台詞「バルス!」を唱える人がネット上に溢れることになりそうです。

 日本テレビ系での地上波放映は今回で19回目を数えます。最高世帯平均視聴率は1989年7月21日の22.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、以降ずっと二桁視聴率をキープし続けています。ご存知のとおり『天空の城ラピュタ』は、スタジオジブリの記念すべき第1回作品です。それだけに宮崎監督も気合が入っていました。

 前作『風の谷のナウシカ』(1984年)に続いて、東映動画時代からの盟友・高畑勲氏がプロデューサーを務めています。また、売れっ子アニメーターの金田伊功氏が「原画頭」と特別にクレジットされ、オーニソプター(はばたき飛行機)などのアクションシーンを手掛けています。日本アニメの粋を集めたような124分間となっています。

 ヒロインのシータが「飛行石」を輝かせながら空から舞い降りてくるという、序盤からまず魅了されます。これ以上はないファンタスティックな「ボーイ・ミーツ・ガール」の始まりとなっています。炭鉱町で働く少年パズーは、空中海賊のドーラ一家や特務機関の諜報員であるムスカ大佐から天涯孤独な少女シータを守るため、数々の冒険を経験することになります。

ケルト文化に触れたウェールズ旅行

 宮崎アニメの最高傑作と評されることが多いのが、この『天空の城ラピュタ』です。進化しすぎたテクノロジーに対する批判や大量破壊兵器の恐ろしさを声高に叫ぶことなく、パズーとシータの胸のすく冒険活劇の中できちんとメッセージ性が伝わってくるところが人気の要因でしょう。『風の谷のナウシカ』の制作中に亡くなった宮崎監督の母親をモデルにしたと言われる空中海賊一家の女親分・ドーラ、2024年3月に永眠された俳優・寺田農さんが声優を務めた悪役のムスカなどのキャラクターもそれぞれ生き生きとしています。

 時代設定は産業革命の頃。パズーが暮らす炭鉱町は、英国のウェールズがモデルとなっています。スタジオジブリの設立で忙しい時期でしたが、高畑プロデューサーは雑用を引き受け、宮崎監督をロケハンのためにウェールズ旅行へと送り出しています。ジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』(41年)の舞台になるなど、炭鉱業で知られるウェールズですが、ケルト文化の名残りを感じさせる土地でもあります。

 ケルト文化には、キリスト教が広まる以前の、いにしえの時代からの神々や精霊たちへの信仰心が息づいています。『天空の城ラピュタ』に漂う“もののあはれ”感は、衰退へと向かっていた炭鉱業やすでに滅んでしまったケルト文化などの影響を感じさせます。高畑プロデューサーに勧められてのウェールズ旅行は、宮崎アニメに大きな成果をもたらしたと言えるでしょう。

宮崎駿監督のしたたかな一面

 宮崎駿監督が天才的アニメーターであることは誰もが認めるところです。しかし、映画業界でヒットメーカーとしてサバイバルしていくためには、ただの聖人君子ではいられません。したたかな一面も持っています。『天空の城ラピュタ』の裏テーマともいえる「滅びの美学」ですが、その元になっているのはインドの古典的叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』です。

 実は宮崎監督のところに、『ラーマーヤナ』をアニメ化しないかという依頼があったそうです。『ラーマーヤナ』は美しいシーター姫をめぐる争奪戦を描いた戦いの物語です。宮崎監督は脚本を読んだ上で、これを断っています。しかし、かつて地球には超高度な古代文明があったものの、超常兵器の使用で滅んでしまったというアイデアは、ちゃっかり『ラーマーヤナ』から引用しています。ムスカが口にする「インドラの矢」はその残滓のようです。

 その後、哲学者であり、スーパー歌舞伎の作者としても知られる梅原猛氏からも古代メソポタミアの英雄譚『ギルガメシュ』のアニメ化を打診されますが、宮崎監督はやはり断り、しばらくして『もののけ姫』(97年)をつくっています。『もののけ姫』の「森の神殺し」というテーマは、『ギルガメシュ』からのいただきです。

 断った作品からも、しっかりエッセンスは吸収してしまうという抜け目なさを宮崎監督は持ち合わせています。すべては自分が手掛ける作品を最高に面白くするためです。クリエイターとしての強烈なエゴは、ある意味ではムスカ以上のものを感じさせます。

 今でこそ評価の高い『天空の城ラピュタ』ですが、公開当時の興収は11.6億円と低迷しました。続く『となりのトトロ』(88年)も、高畑監督の『火垂るの墓』(88年)と同時上映ながら11.7億円どまりでした。宮崎駿と高畑勲という日本のアニメ界の至宝とも言える両巨匠の劇場アニメをつくるためにスタジオジブリは設立されたので、この段階で店じまいしてもおかしくありませんでした。

 しかし、宮崎監督がプロデューサーも兼ねた『魔女の宅急便』(89年)に、ジブリ設立の出資会社である徳間書店の編集者だった鈴木敏夫氏がプロデューサー補として参加。以降のジブリ作品は、鈴木氏がプロデューサーとして辣腕をふるうようになります。

 有名児童小説を原作にした『魔女の宅急便』から、日本テレビが全面的にバックアップし、さまざまなタイアップ企画が組まれていきました。その一方、ジブリの次代を担うことを期待され、『魔女の宅急便』で監督デビューを果たす予定だった片渕須直氏は、演出補に降格。知名度のある宮崎監督が続投することになります。スポンサー企業の要望を断ることができなかったのです。

 その結果、『魔女の宅急便』はジブリ初のヒット作(興収43億円)となり、このスタイルを発展させた形で、『もののけ姫』(97年)は201.8億円、『千と千尋の神隠し』(2001年)は316億円という歴史的メガヒットを記録します。

 興収的には大成功を収めた『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』ですが、シネコンのスクリーンをジブリ作品だけで占拠してしまったことから、「映画界から多様性を奪っている」という批判も浴びることになります。声優には主役から脇役までずらりと人気俳優をキャスティングするようにもなりました。宮崎監督がいわゆる「アニメ声」の声優を嫌っていることもありますが、人気俳優の起用は宣伝効果も狙っていることは間違いありません。

 人気ブランド化した組織としての宿命でしょうか。単純に子どもたちが楽しむ冒険ファンタジーとして『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』を制作していた頃のスタジオジブリとは異なり、大企業たちを相手にしたパワーバランスの中でスタジオジブリは走るようになっていきます。巨大スタジオを設立するなど栄華を極めたスタジオジブリですが、気づいたときには後継者は誰もおらず、日本テレビホールディングスの子会社として存続することになったのです。

 宮崎監督自身が「飛行石」となり、かつてのスタジオジブリはまさに天空に浮かぶラピュタのような凄まじいパワーと影響力を放っていました。しかし、昨年公開された宮崎監督の自伝的アニメ『君たちはどう生きるか』(23年)を観て、スタジオジブリは一時代を終えたことを痛感したファンも多かったはずです。

 シータとパズーが口をそろえて叫ぶ「バルス!」は、滅びの呪文です。今夜の『天空の城ラピュタ』で唱える「バルス!」には、これまでとは違う苦味とせつなさが感じられるのではないでしょうか。

2024/8/30 16:00

この記事のみんなのコメント

2
  • 自分は紅の豚あたりかなあえてみたいとおまえていた時はまあ今でもテレビで見たら面白いのもあるのだが魅力的な作品がないのだよね。

  • 「魔女の宅急便」や「紅の豚」で、スタッフの一員として名を連ねていた、京アニの八田社長と木下氏。加藤登紀子が原因で、放送の度に物議を醸す「紅の豚」。一方、「鬼滅の刃・無限列車編」が登場する迄、国内興行収入トップ(現在は第二位)だった「千と千尋の神隠し」…!

こちらも注目

新着記事

人気画像ランキング

※記事の無断転載を禁じます