【連載対談】【対談連載】エイアンドピープル 代表取締役社長 浅井満知子(下)

【恵比寿発】浅井さんが社長を務める翻訳会社エイアンドピープルの強みは、英文IRとのこと。IRとは投資家向け情報のことだが、日本株の外国人保有比率が3割を超える現在、英文による適切な情報開示は上場企業にとってとても重要だ。そして、いま注目されているのが本文でもふれるプレインイングリッシュ、平易な英語である。その普及は欧米を中心に進んでいるが、浅井さんは外国人にわかりづらい表現を払拭し、外国人投資家から日本企業を正しく理解してもらえるよう尽力しているのだ。

(本紙主幹・奥田芳恵)

●予想外の営業職への配属が

ビジネスパーソンとしての成長に結びつく

 歯科技工士の仕事から離れて「ただのOL」になるために転職したのに、入社したIT企業では総務ではなく営業に配属されたということで、いろいろご苦労があったのではないですか。

 そうですね。いきなり営業といわれて驚きましたが、その会社では何のIT知識もない私に、いろいろと勉強させてもらい感謝しているんです。

 最初は、どんな仕事をされたのですか。

 いまはネット経由で登録するのが普通ですが、当時はユーザー登録をハガキで受け付けていました。なぜか、そのユーザー登録ハガキが2、3年分もたまっていて、その入力を担当したのです。

 2、3年分ためてしまうというのもすごいですね。

 担当の方が忙しくて入力している暇がないというのでもちろん引き受けましたが、机の引き出し三つ分くらいありました。最初はタイピングがおぼつきませんでしたが、やっているうちにだんだん速くなって、2カ月ですべてのハガキの入力を完了させました。

 面倒な仕事を引き受けたことで、タイピングをマスターしてしまったというわけですね。

 タイピングがどんどん速くなり楽しかったですよ。お給料をいただきながら、スキルを身につけられるのですからありがたいです。なによりユーザーの声を知ることができ、ソフトウェアの理解もできました。

 仕事がつらいとか苦しいではなく、楽しかったと。

 そうですね。いきなり展示会の説明員として、1人で行かされたこともありました。もちろん、基本的な説明事項は頭に入れていくのですが、コンピューターに詳しい方から細かな質問を受けると、とても太刀打ちできませんでしたね。わからないことがあったら電話しなさいと言われていましたが、まだ携帯電話のない時代だったため、公衆電話から会社に連絡していろいろと質問した覚えがあります。

 IT業界の黎明期の勢いが感じられるようなお話ですね。

 当時、展示会に出展するのに100万円近くかかったはずなのに、IT知識の乏しい私1人を派遣する会社も度胸があると思いましたね。当時感じたのは、ITの世界は完成したものを提供するというよりは、スピード優先で柔軟に試行錯誤しながらサービスを提供して前に進むというイメージで、だからこそ進歩が速い業界なのだろうと思いました。

 そうしてIT業界での経験を積まれていくわけですが、営業成績という面ではいかがでしたか。

 営業はチームとして動くため、個人成績というのはわかりづらいのですが、私はソフマップさんやラオックスさんなどの量販店をこまめに回って、担当の方と仲良くなり、ときには皆さんと飲み会やスキー旅行などにも参加してネットワークを築いていきました。営業成績の評価は男性の課長につきましたが、私はまだまだ勉強中ということもあってそれは気になりませんでしたね。

●翻訳の世界との出会いと一生働いていくための起業

 それまでなじみのなかったIT業界の営業として活躍された後、浅井さんはさらに次のステージを目指されたのですね。

 営業として業界に身を置きながら、ITの勉強を続けていたのですが、習得したことがすぐに陳腐化し、その進歩の速さについていくのに精一杯で不安はありました。そんな中、同僚の転職話がきっかけで、軽い気持ちで受けたのが、翻訳会社のシステム事業部のアシスタントの仕事でした。「女性部長の右腕となる優秀な女性募集」というコピーに私はくぎ付けになりました。

 「女性部長の右腕」ですか……。

 当時は女性管理職なんて見たことのない時代ですから、その「女性部長」に会ってみたいと思い応募したら、あっさりと最終面接まで進んでしまいました。そこで社長から「部長は浅井さんを採用したいと言うが、もっと優秀な人がほかに応募している。いったい君の何がいいのか説明してほしい」と。

 すごい面接ですね。どう答えたのですか。

 それを聞いて、軽はずみな気持ちで応募した私をそんなふうに買ってくれた部長に申し訳なく思い、覚悟を決めました。タイピングも英語もそれほどできないけれど、成果を出すという意識は他人より強いと思うので、ミッションとゴールを示してくださればそれが達成できるよう頑張ります。もし半年で成果が出なかったら、クビにしていただいて結構ですと。

 また、クビをかけた背水の陣を敷いたのですね。それで入社されてからは、どんな実績をあげられたのでしょうか。

 システム事業部で扱っていた音楽ソフトがまったく売れていませんでした。製品の評判はよかったので、IT企業時代の伝手で秋葉原の家電量販店に置かせてもらい、それなりの売り上げをあげることができました。その後、本業である翻訳事業部の営業に抜擢されました。ありがたいことに、前職で培った人脈を頼りに、外国製のソフトウェアのマニュアルの翻訳を受注して、20人いた営業でトップの成績を収めることができました。

 IT業界での経験も生かし、順風満帆というわけですね。

 ところがそれが苦悩の始まりで、追われる立場になるとその位置をキープすることにプレッシャーを感じて辛くなりました。さらに、目標を達成するとノルマは倍に引き上げられる厳しい環境で、自分に決定的に欠けている弱さを補う必要性を感じました。それがビジネスの知識です。そこで青山学院大学で経営学を学び始めました。

 トップ営業になっても、理想の未来は見えなかったということですね。

 6年頑張って、何とかノルマを達成していましたが、いつしかお客様のために仕事をするのではなく、ノルマのために仕事をしている自分に嫌気がさし、これ以上いたらそんなことも感じなくなるだろうと、34歳のときにその翻訳会社を退職し、現在のエイアンドピープルを設立しました。

 激動のキャリア変遷を経て、ようやく起業までたどり着きましたが、エイアンドピープルの翻訳会社としての特色はどんなところにあるのですか。

 現在はIRの法的財務報告書の翻訳を多数お手伝いさせていただいており、説明責任を果たすために米国政府が法的に定める明確で簡潔な英語、プレインイングリッシュの普及に注力していることですね。この動きは世界的な潮流になっています。たとえば外国人投資家が日本企業のIR資料を読むとき、日本語特有の冗漫な表現が訳された英語は忌避されがちですが、それが簡潔で明瞭な英文になります。

 プレインランゲージとの出会いは2002年にトヨタ自動車から英文ドキュメントをプレインイングリッシュで作成する仕事を受注したのがきっかけで、10年以上対応させていただき、その手法を学び効果を実感しました。

弊社のもう一点の特色は、女性が主力の会社であることです。現代では当たり前のことで、特色と言えるかはわかりませんが、1998年に設立以降、年功序列もなく、年齢や性別による職務条件の差異もありません。自立心があり能力のある人が活躍できる会社を目指してきました。まだまだ壁はありますが、社員とともに少しずつその壁を乗り越えています。

 翻訳会社も、そうした社会や経済の新しい流れを見据えていかなければならないのですね。本日は有益なお話、ありがとうございました。

●こぼれ話

 ジリジリ照りつける太陽と眩しすぎるほどの空の青。梅雨は明けたのかなと思うような暑い日だった。恵比寿のオフィスに浅井満知子さんを訪ねた。東京都知事選挙の投票日を数日後に控え、各候補者が舌戦のラストスパートをかけている日でもあった。プレインイングリッシュの普及に尽力しておられる浅井さんは、英語に限らず、「早く・効率的で・理解しやすい」プレインランゲージで情報を伝えることが大切と持論を語る。今回の都知事選でも、プレインランゲージで上手く演説している候補者がいると教えてくださった。プレインランゲージを意識しながら、各候補者の伝え方に注目してみると、「伝わる伝え方」に技術があることを改めて感じることができた。過去最多の候補者が競った今回の選挙。さまざまな主張が乱立し、混とんとした情勢の中で、街頭演説や選挙カー、インターネットを通じて自らの政策を有権者にしっかり伝えるためには、今まで以上にプレインランゲージが重要だと感じた。

 歯科技工士からIT企業の営業職そして翻訳会社と、就いた職業が変化する中でも、浅井さんはそれぞれの仕事に全力投球してこられた。「成果を出すという意識は他人より強い」と断言できる根拠は、どの仕事にも誠実に取り組み、結果を残してきたことにあるのだろう。入社を希望した会社の面接では、自分には得意なことがないと自覚していたので、思いを伝えたと言っておられた。確かに、熱い思いを真っすぐに伝える姿が思い浮かぶし、その情熱が面接官にしっかり届いたことも容易に想像できる。浅井さんから発せられるエネルギーは、その場にいる人をポジティブな方向に持っていくような力がある。

 かつての日本企業ではまれな存在であった「女性部長」に憧れて、転職を決意した浅井さん。今は自身が経営者となって、性の差など関係なく、多様な人材が活躍できる会社をつくっておられる。社員はもとより、多くの人たちの目標となり、心の支えとなっているはずだ。その場を、明るいポジティブパワーで満たしてしまうその姿は、まさに夏の日差し向かって伸びていくヒマワリを思わせる。インタビューを終え、灼熱の太陽を浴びながら、そんなことを思いつつ帰路についた。

(奥田芳恵)

心にく人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

2024/7/26 8:00

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