愛しているからあなたも愛して!危険すぎる“くれくれ”思考
私のこと、大切だと思ってる?
好きな人に大事にされたい。1番大事にされて、誰よりも優先されたい。 だからこそ、
「忙しくてもメールは返せるでしょ!」
「好きなら時間を作ってよ」
「記念日くらい、ちゃんとしてよ」
といった要望を抱き、そして当然の権利だと思い込んでしまいがちです。
かくいう私もずっとそうだと思っていたし、だから彼とか親とか大事な人に“大事”な扱いをされないと、そのつど怒り、悲しみ、そして当人にぶつけたり、ひどく落ち込んだりしていました。
でも最近、些細なことがキッカケで、「大事に思っているなら評価してよ」という感情には危うさが潜んでいると思うことがありました。
「大事にされなかった」というモヤモヤの正体
それは父親とのやり取りの際に気づいたのでした。
幼少からパパっ子だった私は、現在仕事の業界が近いということもあり、頻繁に仕事や私生活の話をしあう仲で、なんなら三人姉妹の次女である自分が、父親から1番頼られている、すなわち大事にされているという、恥ずかしい勘違いと自惚れがありました。
そんな私がある日、一人で本家のお墓参りに行くことになったとき、モヤっとする事件が起きたのです。
お墓参りのキッカケは、お盆に顔を見せに行けなかったからという私個人の動機だったのですが、なんとなく「お墓参りに行くよ!」と父親に報告すると、「ありがとう」と褒められると思い込んでいました。
しかし返ってきたのは「ご先祖様に、妹の就活祈願を頼みます」という一言。反射的に「え? 私じゃなくて、妹? なんで私に対してご苦労様とか、ありがとうとか言ってくれてないわけ?」と、カチーンときてしまったのでした。
「そもそも本人(妹)が自分でお墓参りに行けよ…」と、妹にまで怒りを抱いたのですが、反射的に抱いたムカムカを振り返ってみると、「大事な人が喜ぶことをしたのに、大事にされなかった」という個人的な押し付けの気持ちに気づいたのです。
それはつまり、“好きな人には、尽くした分だけ大事にされるべき”という思い込みがあるのかもしれないと思ったのでした。
他人からではなく、自分で自分を評価できるように
この思い込みは恋人関係でも発動するのでしょう。でも、本来好きな人のために何かをするのは、自分がしたいからしているのであって、感謝されたり大事にされたりすることの対価ではないはずです。
それなのに、なぜかどこかのタイミングで「これだけしたんだから、相手からのお返しがあってしかるべき」という期待の感情にすり替わり、相手のリアクションに一喜一憂してしまう。
冒頭の「忙しくてもメールは返せるでしょ!」「好きなら時間を作ってよ」「記念日くらい、ちゃんとしてよ」などは、全部このパターンに当てはまります。
その心の奥には、自分の存在価値を、大事な人の評価や、してもらった事の大きさで決めてしまう思考癖がある。
健気と言えばそれまでですが、他人の評価で一喜一憂する生き方は、考え方によってはとても危険といえなくもありません。
子どもの頃から親や友達や恋人など、その時々で1番評価されたい人の気持ちや希望を読み取り、叶え、喜んでもらうことで、結果的に自分の評価を上げてきたという経験があります(そうじゃない人もいるかもしれませんが)。
だからこそ、ナチュラルに相手に何かをすると、同時に期待をする思考回路が組み上がっているのかもしれませんが、自分の評価は他人がしてくれたことの大きさで決まるものではありません。自分の気持ちで自分の人生を決めていくことが必要なのです。
「他人から嫌われるのが怖い」とか、「彼が何かをしてくれたから幸せ」という感覚はごく自然に抱いてしまうものですが、もしかしたら自分の価値を決める権利を自ら放棄する行為かもしれません。
私は私の人生や自分の価値は、私が決めていると、堂々と言えるようになりたいです。
あなたの人生や価値は、誰が決めているでしょうか?
Text/おおしまりえ
初出:2018.09.26