愛とはどういうものかしら―夫婦と親族の話/カワウソの結婚

カワウソです! 今回が連載の最終回です。結婚した後に持ち上がる問題といえば、義両親や義兄弟・姉妹など親族との付き合いについて。カワウソの新しい親族との関わりを振り返ります。

「愛してる」と言葉にするとき

カワウソたちの結婚からほどなくして、夫のお婆ちゃんが亡くなりました。御歳90歳を超えても達者な人だったので、みんな深く悲しみ、別れを惜しみながら故人を見送りました。

お婆ちゃんを見送りに集まった親族は、義父母とその兄弟、配偶者、孫、ひ孫……と総勢20人ほど。この人たちはすべてお婆ちゃんとお爺ちゃんの2人を発端に産まれ、出会い、家族になったのだと思うと、その偉大さに頭が下がるようでした。

しかし、悲しんでばかりもいられません。お婆ちゃんのお葬式は、新しく一族に加入したカワウソにとって初めての親族行事であり、まだ見ぬ親族と顔を合わせる貴重な機会でもありました。

初対面の親族の1人である叔父さんは、遠方在住で、夫も10年以上ぶりに顔を合わせたといいます。朗らかな人で、カワウソたちの結婚をとても喜んでくれ、「結婚式はしないの?」と聞かれたので、前回の記事に書いたようなことを説明しました。そして、結婚前の夫が「他の兄弟が先に結婚して子供もいるから、自分はみんなに気にされていないと思う」と話していたことをチクりました。すると叔父さんは驚き、大きな声で「何言ってるの、愛してるよ!」と言ったのです。

夫は照れて笑っていましたが、カワウソは内心ものすごく驚いていました。これまで恋人でなく家族、まして親族に向かって「愛してる」と言葉で発し、耳に聞いたことがあっただろうか? 決して不仲ではないけれど、実家では思い当たらない。甥に向かって咄嗟に「愛してる」が出てくるなんて、なんて、なんていい叔父さんなんだ……。

カワウソにとっての親戚

カワウソの血縁にも、大好きな大叔父がいました。親族のみならず、仕事仲間でも地域の付き合いでも、関わる人全てに親切で、一族の長のような人でした。頻繁には会えなくても、人生に迷ったときに「おいちゃんに聞いてみよう」と思える心の支えだったので、亡くなったときには深い喪失感がありました。心もとないこの世へ置き去りにされた気分だったのを覚えています。

新しい親族に囲まれ、甥に向かって「愛してるよ!」と言ってくれる叔父さんを前にして、カワウソは社会人モードが解け、子供に戻ったような心持でした。

そういえば、同じように、こんな風に可愛がってもらって大きくなったなぁ。夫とお互いに「結婚しよう」「そうしよう」と呼吸が揃った理由も、なんとなく合点がいきました。自分の親族とは違う。違うけど同じ、知っている何かを持った人たちなんだ。

そう思うと、心の中に金銀財宝がぞろぞろと列をなして運び込まれたような気分でした。

結婚することのメリット

結婚してまずメリットを感じたのは、誰を愛すればいいのか定まったことでした。どこからか湧いてくる「人を愛したい」という気持ちに、決定的な行き場ができました。

また、義理の両親をはじめ、新しい親族が素敵な人たちだったことで、愛の矛先を1人に向け続けて煮詰まる状況を避けられそうなのは、嬉しい発見でした。恋愛を“2人っきりの小部屋にこもるようだ”と感じていたのに対し、結婚には大きな窓が開かれていたわけです。

これまでの人生をなんとか走ってきたのは、夫1人と結婚するためだけではなく、更にその先にいる家族や親族……なんというか、この「群れ」に合流するためだったのではないか?自分の直接の子供でなくても、親族の誰かに良い報せがあれば、一緒に喜び、幸せを感じる。不幸があれば助け、悩んだり苦しんでいる時は逃げ場になる。これまでそうして可愛がってもらったように、これからは自分が周囲を愛すればいいのだと、そんなことを思いました。

私たちの群れ

かつて、友人宅で適当な酒を飲み散らかし、死屍累々となって、朝方に復活した時のこと。その日はなぜか友人に「グレート・ジャーニー」の話を聞きました。飲み会で最後まで生き残った人だけができる類の話です。

アフリカ大陸で生まれた人類は、群れを成して世界中に長い長い旅をした。5万キロに渡る道のりを歩くとき、人類は黙っていたのではなく、歌ったり、楽器を鳴らしたりしていたはず——。大学時代の友人は、その道のりと音楽について研究をしていたらしい。

朝の冷えた部屋の空気、太古の昔の人々が鳴らす音楽。まだ学生の姿の友人が、はるか遠くの人々の群れを追いかけていく姿のイメージが重なり、今までに聞いた飲み会明けの話でも一番好きなエピソードになっています。

そして、今になって、見たことのない風景を想像するのです。

カワウソ夫婦が合流した群れには、それぞれの両親や兄弟夫婦、甥や姪、叔父さんたちがいる。大人たちと荷物を分かち、子どもたちと手を繋ぎ、年長者の肩を支え、ぶらぶらと野山を歩いていく。集団の先頭や後ろになりながら歩みを進め、昼には楽器や歌声が交じり、夜には松明を灯す。いつしか群れは小さく遠くなり、大地の果てに消えてしまう。

雑なキンフォーク

夫は休日の朝になると、「お腹すいたお腹すいた!!」と叫びながら勢いよく寝床を飛び出してゆき、しばらくすると「ご飯だよ!!!!」と起こしに来ます。テーブルには、どんぶり飯に炒めた卵やウインナー、肉団子などがぶち込まれた凄まじい朝メシ。

起き抜けにどんぶりでエサを与えられるので、毎回爆笑してしまう。でも夫は、いつでも必ず家族分までエサを確保してくれる人なのです。富める時も、貧しき時も、それは多分変わらないと思う。

オシャレな暮らしのお手本として名高いライフスタイル誌『Kinfolk(キンフォーク)』のタイトルは、「一族」という意味の言葉だそうです。キンフォーク的な暮らしとは似ても似つかないけれど、カワウソも同じ「一族」を愛する意識を持っている。

ボロは着てても心は錦。暮らしは雑でも、これがワイのキンフォークや!!!

お気に入りの人間と暮らして、キミだけのオリジナル家族を作ろう!!!

— カワウソ祭 (@otter_fes) 2013年3月2日

好きな人と、好きな形で家族になり、その後は大小の群れを成して長い旅を続ける。いまのカワウソにとって、人生とはそういうものかなぁと思います。そして、どうせなら配偶者や自分の子供だけでなく、親族や友人を含めた群れ全体を愛していれば、遠い未来まで愛は誰かを伝って生き続ける。これはもはや、永遠の命を得たも同然では……?

妖怪のようなことを書いてしまいましたが、焦りがちなカワウソと、のんびりした夫。お互いの歩幅をなるべく揃えて、どこまでも一緒に歩んで行けるといいなと思います。

(おわり)

Text/カワウソ祭

初出:2017.12.25

2024/6/14 12:00

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