逆襲の「とんねるず」超暴れん坊伝説

 東京のお笑いを体現する大御所が伝説の場所に帰還! 今なお最前線で戦う2人の足跡を回顧。

犬猿の仲ダウンタウン松本人志

「犬猿の仲とも言われたダウンタウンの松本人志が不在の中、石橋貴明(62)と木梨憲武(62)が、今一度テレビのど真ん中への復帰を狙っていると噂されています」(テレビ誌記者)

 コンビでの活動が久しくなかったとんねるずが、11月に29年ぶりの日本武道館ライブを開催することを発表した。

「2人がそろうとなれば、見に行きたいと思う往年のファンは多い。武道館がうまくいったらツアーをやる展開もありえます」(芸能レポーターの城下尊之氏)

 そもそもなぜ、テレビでは2人そろった活動がなかったのか。

ギャラが高い

「ギャラが高いんです。例えば、石橋が司会の『うたばん』(TBS系)のギャラは1本800万、2本撮りで週に1600万だったと言われています。今は単価を下げているが、それでも高い。ならば、成功すれば収益の大きいライブをやろう、ということだと思います」(テレビ局関係者)

 事情はどうあれ、令和の時代に復活の狼煙を上げた、テレビ界の常識をぶち壊し続けた暴れん坊の2人。改めて「コンプラ上等」な彼らの足跡を振り返っていく。

 同じ高校の同級生だった2人の芸能界入りのきっかけは、1980年に『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)へ挑戦したことだ。

 コント赤信号のラサール石井は、デビュー当初の彼らをよく知る。

「当時、とんねるずも僕らも日テレ系の芸人だったんです。それで、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の裏で『ダントツ笑撃隊!!』という番組に一緒に出ていました。3か月で終わったけど(笑)」

 レギュラー番組が不発に終わった彼らにとって、修業の場はショーパブだった。

「新宿にあった『昆』という店で、モノマネをやったりして一緒に盛り上げていたんです。その店にはコロッケや、のちのブラザー・コーンなんかも出入りしていましたね」(前同)

オールナイトフジでブレイク

 彼らがブレイクのきっかけを掴んだのは83年だ。

「僕らは事務所の社長が頭を下げて『ひょうきん族』に出させてもらうようになるんですが、とんねるずは、深夜番組『オールナイトフジ』(フジテレビ系)で人気が出たんです」(同)

 シロウト女子大生集団「オールナイターズ」の、いじり方が絶妙だった。

「いわゆる“とっぽいお兄ちゃん”という感じで、人気ブランドを着て、当時の若者文化を体現するような存在でした」(放送作家)

 ラサール石井は、こう考察する。

「寄席芸人の匂いがまったくない、そして師匠もいない。だからこそ、自分たちの好きにできる人たちでした。何よりカッコよくて、そこが80年代の若者にハマったんでしょう。いわば、彼らは時代と寝たんです」

 上にも下にもかしこまった様子を見せず、感情をむき出しにする。彼らの型破りな行動を象徴するのが、『オールナイトフジ』での「テレビカメラ破壊事件」。

「当時の彼らのヒット曲『一気!』を歌った際、興奮した石橋さんがテレビカメラを揺らして、倒してしまったんです。木梨さんは、ひと言“オレ知らね〜”。破壊されたカメラは約1500万円もするものだったとか」(前出の放送作家)

夕やけニャンニャンで人気爆発

 何をしでかすか分からない期待感を視聴者に抱かせた彼らの人気は、85年に始まった夕方の帯番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)で爆発する。

「〈タイマンテレフォン〉というコーナーは、“テメーこの野郎!”“うるせえ、石橋!”と、とんねるずと視聴者が電話で罵倒し合うもの。視聴者と対等な関係のお笑いというのは、それまでなかった」(石井)

 石橋が放送禁止用語を叫ぶなど異様な高揚感に包まれた企画だったが、「勝ち抜き腕相撲」も強烈だった。

「とんねるずが連れて来た腕相撲王者に一般挑戦者が挑む企画でした。試合終了後に、観覧席から客が躍り出て、フロアで大乱闘を繰り広げるという“お約束”があったんです。今では考えられないですよ」(前出の放送作家)

 客席をあおる石橋に過激な攻撃を仕掛ける観覧者も。

「飛び蹴りをされたり、ケチャップをかけられたり。それでも石橋さんは怪我をさせない程度に客をなぎ倒していく。今では考えられないです!」(前同)

歌番組で芸能界の力学を

 若者に人気だったとんねるずが、広くお茶の間に浸透したのは、歌番組に進出してからだった。

「それまで、芸人は歌手より格下の扱いでした。ところが、彼らは歌番組の常連になり、番組内ルールを破ることで、芸能界のパワーバランスを崩したんです」(芸能ライター)

 最初の大ヒット曲は85年の『雨の西麻布』である。

「ブレーンの秋元康さんは、当時のお硬いNHKが嫌いそうな曲調を避け、あえて演歌調の曲を用意。そして、“紅白を狙います”というセリフを間奏に入れた。これが人気のカラオケソングとなりました」(前同)

 人気歌手なってからも暴走は止まらなかった。

「石橋さんだけでなく、木梨さんもヤバかった。『歌のトップテン』(日本テレビ系)では、撮影スタッフからカメラを強奪して石橋さんの股間を撮影。また、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)では、飾ってあった胡蝶蘭の花びらを食べて、司会の芳村真理さんを怒らせました」(同)

 こんな大暴れが許されたのは、圧倒的に人気があったからだ。

恋愛リアリティショーねるとん紅鯨団

「85年開始の『とんねるずのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)は聴取率ランキングでダントツ人気。

 番組の最後の決めぜりふは“寝ろ!”。それも放送界ではタブーでした」(同)

 87年開始の『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)は、誰も見たことのなかった斬新な企画だった。

「一般視聴者による恋愛リアリティショーの嚆矢です。全国で“ねるとんパーティ”と称したお見合いパーティが開催され、番組内では“大どんでん返し”などの流行語も生まれました。彼らは社会風俗すら創ったんです」(同)

宮沢りえ小泉今日子チェッカーズらアイドルたちがコント

 88年の秋には初のゴールデンタイムの冠番組『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)が始まる。

「圧倒的な高視聴率で、裏番組だった怪物番組『ザ・ベストテン』(TBS系)を終了に追い込みます」(前出のテレビ局関係者)

『〜おかげです』では、宮沢りえ、小泉今日子、チェッカーズなどのアイドルたちが、従来ではありえないコントに挑んでいた。

「とんねるずは他の芸人と絡むことが少なく、逆にアイドルや俳優、アスリートなどとの距離が近かった。それは、独特のポジショニングでした」(前同)

美空ひばりに小言を食らい

 我流でテレビの中心に進出した彼らだったが、大物の懐に入るのもうまかった。

「美空ひばりさんには“タカ”“ノリ”とかわいがられていました。ただ、『夜ヒット』で大暴走したときには、番組を見ていたひばりさんに自宅に呼び出されて、お小言を食らったといいます。歌謡界の女王と、そんな距離感を保てる芸人なんて、いませんよ」(同)

 91年開始の『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)は、それまでバラエティ番組に縁がなかった著名人を使ったロケ企画で人気となった。

「にしきのあきら(現・錦野旦)さんが入っている露天風呂の底が抜けるドッキリカメラ企画や、定岡正二さん、輪島大士さんらがストリップに出演するなど、絶妙な人選と過激な企画が受けました」(同)

NHK紅白歌合戦に出場

 念願の紅白出場が実現したのも『情けねえ』がヒットした91 年だった。

「パンツ一丁で、石橋さんが白、木梨さんが赤で全身を塗っていたんです。背中を見せると“受信料を払おう”という文字がありました」(前出の芸能ライター)

 民放育ちの2人による痛烈な皮肉に、ファンは喝采を送った。権威を茶化し続けてきた2人が、分岐点を迎えたのは94年のこと。

事務所を設立し独立

「事務所『アライバル』を設立し、独立したんです。以降、ピンでの活動も目立ち始めました」(前同)

 97年に改題して再スタートした『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)では、おぎやはぎやバナナマン、カンニング竹山ら東京芸人のトップが、若手の頃と同じように体を張る様子もウケた。

「とんねるずに憧れて芸人になった者たちを招いて一緒にやるというスタイルも、この頃から目立ち始めましたね」(石井)

笑っていいとも!で爆笑問題の太田光に

 00年代以降はさすがにおとなしくなったが、終了間近の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)への登場は特に印象強い。

「テレフォンショッキングに出て黒柳徹子さんの最長出演記録(46分)を更新(48分22秒)。その場でタモリさんに直訴して、放送終了までの2か月間のレギュラーにもなりました」(前同)

 そして、伝説は訪れる。

「いいともの最終回では、ダウンタウンの松本さんが“とんねるずが来るとネットが荒れるから”と口走ると、出番の順番を無視して、とんねるずが堂々と舞台に。

 舞台裏では石橋さんが、爆笑問題の太田光さんに“太田いくぞ、殴り込みだ!”と声をかけたそう」(芸能ライター)

YouTuberとして活躍

 テレビ史に燦然と輝く奇跡を見せた後、石橋はユーチューブチャンネルを開設し、木梨は自伝を発売するなど、個別の活動を展開していった。そこに、まさかの復活宣言である。

「とんねるずの番組のディレクターだった港浩一氏が、フジテレビの社長になったことは追い風です。『食わず嫌い王決定戦』など人気企画を特番で復活させるかも」(前出の城下氏)

 暴れん坊たちは、新たな伝説を作ろうとしている。

80年代とんねるず年表

1980年3月 石橋はホテルセンチュリーハイアットに、木梨はダイハツ工業に入社するが、2人で所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京系)に出演。

1980年8月「貴明&憲武」名義で『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)へ挑戦し、4週目まで勝ち抜く。その後、研修を受けただけで会社を退社し、とんんねるずを正式結成。

1981年『モーニングサラダ』(日本テレビ系)のプロデューサーと揉めて降板、日テレを出入り禁止に。

1982年4月『お笑いスター誕生!!』に再挑戦。グランプリを獲得。

1983年 事務所を通さずに結婚式の司会を受けたことで、事務所と揉めてテレビからも干される。

1983年12月 フジテレビ系の深夜番組『オールナイトフジ』にレギュラー出演。女子大生いじりで注目を集める。スタジオにバーがあり酒が飲み放題だったという。

1984年12月 歌手としての正式デビュー曲『一気!』がヒット。

1985年1月『オールナイトフジ』にて『一気!』の歌唱中、石橋が1台1500万円するテレビカメラを横倒しにして破壊。

1985年『スーパージョッキー』(日本テレビ系)に歌手として出演し、出禁問題は手打ちに。

1985年『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の「ひょうきんベストテン」に出演。局内プロデューサー同士の確執もあってか、出演者たちからビール瓶で頭を殴られたり、顔にケーキを投げられ、ゴミに埋められるなどの過激な演出に発展。

1985年3月 ファーストアルバム『成増』リリース。A面の1曲目が始まる前に「ダビングすんじゃね〜よ!」という2人の声が入る。

1985年4月『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)で人気爆発。立見里歌など、おニャン子のメンバーにパイプ椅子を投げつけるなどの喧嘩。

1985年7月 初主演コント番組『コラーッ!とんねるず』(日本テレビ系)開始。

1985年9月 5枚目シングル『雨の西麻布』が発売。曲間のせりふで「紅白を狙います」と語る。歌番組では伝説多数。『ザ・ベストテン』(TBS系)の静岡からの生中継では殺到するファンに石橋がキレる。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)ではスタジオ屋上にて『炎のエスカルゴ』歌唱中、フェンスをよじ登り、木梨が落下する。

1985年10月 ラジオ番組『とんねるずのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)開始。内輪ネタで大人気に。

日本武道館ライブ開催

1986年1月 武道館公演を開催。

1986年4月 酩酊状態で『オールナイトフジ』に出演した野坂昭如が石橋を殴打。その後も言いがかりをつける野坂に石橋も「野坂先生にガタガタ言われる筋合いないですよ」と応戦。3日後の『オールナイトニッポン』内で「後楽園球場でも借りまして、入場料も取りまして堂々と闘おうじゃないですか」と宣戦布告。

1986年4月 ドラマ『お坊っチャマにはわかるまい!』(TBS系)に主演。展開を無視したミニコントや、スタッフやカンペの映り込みなどハチャメチャな展開。パロディなどの著作権の問題でソフト化ならず。

1986年8月 初主演映画『そろばんずく』が公開。木梨が後に妻となる女優の安田成美と共演。

1986年10月 江ノ島にディスコを設営し、そこで公開収録を行う『コムサ・DE・とんねるず』(フジテレビ系)開始。番組の最後は郷ひろみの『誘われフラメンコ』で演者も観客も入り乱れて踊るカオス状態に。

1986年11月 ホノルルマラソンに出場し完走。

1987年6月 下町の銭湯に集う人々を描く人情ドラマ『時間ですよ・ふたたび』(TBS系)に出演。

1987年10月『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)放送開始。裏番組のタモリ司会『今夜は最高!』(日本テレビ系)を終了に追い込む。

1987年10月 ドラマ『ギョーカイ君が行く!』(フジテレビ系)に主演。

1988年10月『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)放送開始。

1988年12月 石橋が秘密裏に一般女性と入籍し、翌日に各紙で報道されるも、「オールナイトニッポンでしゃべるので」とノーコメントを貫く。その後番組では「僕の夢はこの歴史あるオールナイトニッポンをすることと、オールナイトニッポンで生涯のパートナーを皆さんに発表できることでした。その二つがかなえられてとても嬉しい」と語る。

1989年1月 新春特番『とんねるずの仁義なき花の芸能界全部乗っ取らせていただきます』(日本テレビ系)放送。この番組で相模湖畔のボート乗り場をボディビルダーが持ち上げて湖に落とすドッキリを仕掛けられた落語家・鈴々舎馬風の「石橋ぃ~!」との絶叫は伝説。

1989年11月 芸人史上初となる東京ドーム公演を開催。

2024/5/2 12:00

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