2度の流産を経て「涙も枯れ果てた」女性経営者が思い知る「社会貢献は自分の都合では決してできない」意外な事実

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好きなことを仕事にしている人は、いきいきと輝いて見えるものです。しかし、好きなことを仕事にして成功を手に入れるには、困難や挫折を乗り越えられるだけの情熱と覚悟が求められます。

 

高校2年生でモデルオーディションに合格。華やかなモデル業を続けるなかで、「この現場をつくる側に行きたい」との思いが芽生え、映像制作の世界に足を踏み入れた平川アズサさん。映像制作会社に入社して、編集技術を学び、30歳でクリエイティブエージェンシー「株式会社真面目」を立ち上げました。

 

圧倒的なパッションで幾多の試練や挫折を乗り越え、株式会社真面目は今期で12期目を迎えます。そして、平川アズサさんは今、新たな挑戦に臨んでいます。ローカルディスティネーションホテル事業への新規参入です。この事業は、単なる宿泊施設を超え、ホテルで過ごすこと自体を目的にし、訪れる人々に体験価値を提供することを目指しています。今回は起業家平川アズサさんの情熱あふれるストーリーをご紹介します。

 

長い間、背が高い自分が恥ずかしかった。でも、それは自分を「食べさせてくれる」武器だった

「小中高と、ずっと身長が高いことがコンプレックスでした。当時は、少しでも背を低く見せようと、いつも猫背にして3〜5センチ背中を丸めて過ごしていました。でもある時、『私はこのまま一生背中を丸めて生きていくのだろうか。身長が高いことが武器になる仕事って何だろう』と考え、思い至ったのがモデルという職業です」

 

そう語るアズサさん。高校2年生の時にファッションショーモデルのオーディションを受け、みごと合格。学業とモデルの仕事を両立していましたが、モデル業に専念することを決意し、高校卒業を機に地元岩手県から上京しました。

 

「上京してすぐは、仕事に恵まれ、いろいろなCMや大手企業の広告に起用していただきました。しかし、お化粧も覚えて、髪も染めて、東京での生活に馴染んできた頃から、だんだんオーディションに受からなくなってきて……。今振り返ると、『上京当時の垢ぬけなさ、未完成さが、素材として最適だったんだな』と理解できます。でも、当時23歳だった私は思い悩み、このままモデルをずっと続けるのが正解なのだろうか、と考え始めました」

 

自ら脚本、出演、演出を手がけた映画が完成。唯一自分でできなかった編集にチャレンジしたい

「モデルは、撮影現場の一番光の当たる場所で仕事をします。ある日の現場で、ふと光の当たらないモニター前で何やら意見を出し合う、監督やプロデューサー、プランナーの仕事ぶりが目に止まりました。スポットライトの当たらない場所でこの現場を取り仕切る彼らを見て、『かっこいい』『私も現場を作る側に行きたい』と思いました」

 

カメラの前で「可愛い」と言われるより、現場を指揮して「かっこいい」と思われる仕事がしたい。この思いが、アズサさんが今後どう生きていきたいのかを考える分岐点になったと言います。

 

アズサさんは、その後、約2年半かけて脚本を書き上げました。自分が出演する映画の脚本です。そして、自ら演出もおこない、1年かけて長編映画を完成させました。

 

「最終的に渋谷の単館の映画館で上映することができました。自分のやりたい気持ちだけで、脚本も書けたし、制作費も集められたし、出演も演出もできたことは、すごく自信になりました。でも唯一自分でできなかったことが『編集』で、編集技術を学ぶために、映像制作の会社に入ろうと思ったのです」

 

映画制作の過程で、自分が「こうしたい」と思うことを、誰かに頼むしかないことにもどかしさを感じたアズサさんは、編集作業も自分でできるようになりたいと、26歳で映像制作会社に入社します。1年間で習得したい技術を全て習得して、27歳でフリーの映像ディレクターとして独立しました。

 

離れていくメンバー。「何のためにやっているのかわからない」と突きつけられた言葉に、会社の存在意義を考える

「30歳になった時、自分の好きなことを社会貢献に繋げたいと思うようになり、今の会社『株式会社真面目』を立ち上げました。とは言え、思い立ってから3ヶ月程度で起業したので、壮大な事業計画やビジョンなどがあったわけではありません。当時は『会社立ち上げました』『何か映像をつくる予定ないですか』と知り合いに宣伝して、頂けるお仕事は何でもがむしゃらに引き受けていました」

 

予算5万円や10万円といった仕事にも真摯に取り組んだことが信頼につながったと語るアズサさん。モデル時代の人脈は活用できなかったのでしょうか?

 

「モデル時代は、大手広告代理店の方たちとたくさん交流がありました。そこで、起業したときに、映像の仕事を頂けないかとアポを取って商談に伺ったのですが、『すでに取引のある制作会社があるから』とあっさり断られて撃沈。代理店からの受注が難しいとわかって、メーカーや事業会社へのアプローチに切り替えました。ちょっと考えが甘かったという反省点でもありますが、よかったこともあります。これがきっかけとなり、当時から今まで、当社は代理店を経由せずに、ぼぼクライアント様からの直案件です」

 

今年で12期目となり、順調に事業成長したように見える株式会社真面目ですが、起業当時は仲間集めにも苦労したそう。

 

「当社は2期目から、新卒採用を続けていますが、立ち上げ後数年はメンバーの出入りも激しかったです。『何のためにやっているのかわからない』と直接言われたこともあります。『そんなことを考えるより、目の前の仕事に全力で取り組むしかないでしょ』と思っていた自分も、何のために存在するのか、会社として掲げるミッション・ビジョン・バリューがないと、中長期的に人はついてこないんだな、とようやく気づくことができました」

 

ミッション・ビジョン・バリューを掲げ、事業基盤が安定

「見よう見まねで言葉を掲げてみて、ブラッシュアップしながら、今のミッション『この1本で誰かの人生を変えていく。』が完成しました」

 

株式会社真面目のミッション・ビジョン・バリューが出来上がったのは、2019年。長年アズサさんの中にあった想いを言語化し、社員と共有できるようになったことで組織が安定していったと言います。映像制作も、企業・組織の活性化を促すイベントや採用ブランディングに特化した映像企画を主軸とするようになりました。

 

「明確に、企業の組織活性やブランディングの映像を手がけたいと思うようになったのは、組織活性のイベントをプロデュースするお仕事を頂いたのがきっかけです。個々人のさまざまな思い、さまざまな価値観、さまざまな視座を集結させた映像で人の心を動かしたい。形のない『心』『想い』を集めて、それを見た人が、明日への活力を得たり、1歩踏み出す勇気をもらえたり、新たな価値観に出会えたり、そんな映像を作りたいと思ったのです」

 

その後、事業はますます軌道に乗りました。アズサさんによると、初回は100万円の映像制作から始まった依頼が、翌年にはイベント全体のプロデュースも任され1,500万円に、さらに依頼の幅が増え3,000万円、6,000万円と、3年で60倍の売上になった案件もあるそうです。

 

「私はいつも、『売上は社会からの期待値』だと言っています。売上が伸びているのは、私たちがきちんとクライアント様の期待に答えられている証拠だと受け取っています」

 

つづき>>>思いがけない流産。メンバーには『今日はもうこれで先に帰るね』とだけ言って、帰宅したあと……( https://otonasalone.jp/?p=409377&preview=true )

2024/4/25 11:30

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