「マンションの壁が血で染まった」家庭内暴力を受けたアイドルが“傍観する母親”に感じた絶望感

―[家族に蝕まれる!]―

“世界に違和感を覚える人と共に生きるコミュニティを目指す完全セルフプロデュースアイドルグループ”――地下アイドル『アイドル失格』の公式X(旧Twitter)のプロフィールに書かれた言葉だ。

 若さや可憐さを武器にするアイドルのイメージと一線を画し、世の中に媚びない強い意志さえ感じられる。

 表現者なら誰しもその裡に耐えがたい葛藤を抱えているが、華々しくステージを舞う蝶たちが見た「違和感」の景色とはどのようなものか。その生き様に迫る。

「実の父親はヤクザです」

 そう話すのは、アイドルグループ『アイドル失格』の生みの親・えんじてゃ氏だ。同氏はプロデューサー兼リーダーとして辣腕を振るう。

「父は、泣いている3歳くらいの私の口に延々とティッシュを詰めて黙らせたり、飼っている猫の鳴き声がうるさいからと冷蔵庫に入れたりと、凶暴な発想の持ち主でした」

 淡々と語られるエピソードはどれも顔をしかめずには聞けないものだが、えんじてゃ氏の「ただ、本当に危険なのは、父ではないんですが」の一言ですべてがひっくり返る。

◆母は“男性からモテる要素を詰め込んだ女性”

 

 父親の暴力がひどくなり、えんじてゃ氏と母親、妹が逃げてきたのは、氏が5歳前後のこと。いかにも頭の回転が速く、鼻っ柱の強い自律的な女性を思わせる氏だが、母親とはタイプが真逆だと述懐する。

「母親は可愛くて茶髪のゆるふわロングで、簡潔にいうと“男性からモテる要素を詰め込んだ女性”だと思います。それが災いして、粘着質な男性との縁が切れない人でもありました

◆母の彼氏と同居するようになるが…

 父親から逃げた先でしばらく生活保護を受けながら一家で暮らしていたが、経済的な安定が欲しい母親は、自らの魅力で虜にした男性に依拠するようになる。

「母の彼氏と目される男性はひっきりなしに自宅に出入りしていましたが、歴代の男性でもっとも危ない人間を彼女は選び取りました。私が小学校5年生くらいのころ、その男の所有するマンションに引っ越すことになったんです。

 その彼氏は、通常は人が怒らないようなことで激怒するなど、どこに地雷が埋まっているかわからない人でした。くわえて、私は生意気でよく口答えをしていたためか、家族のなかでも目をつけられていて、標的にされていました

◆塾の体験授業に行ったら「3時間正座させられた」

 男性の突発的な怒りは、たとえばこんなことで頂点に達する。

「一例ですが、チャーハンを作ってくれた母の彼氏に『味、濃くない?』と聞かれたんです。なので、『濃いけど美味しいよ』と答えました。するといきなり逆上して、食べていたチャーハンに水を掛け、『これで薄まっただろう! さぁ食えよ』と……。

 あるいはこんなこともありました。塾で学びたいと思っていた私は、母の彼氏に打ち明けましたが、返事は『塾なんか行かなくても中学生くらいまではなんとかなるよ』という曖昧なもの。そこで私は友達と、塾の体験授業に行ってみることにしました。すると、『貴様は俺から金をむしり取ろうとしているのか!』とすごい剣幕で怒鳴られ、3時間も正座をさせられました

◆「言葉の暴力」で容姿に自信が持てなくなった

 それだけでも十分な暴力と呼べるが、実際に手をあげられたことも数え切れない。

「ある冬の日に、逆上した母の彼氏に外へ出されて、頭を殴られました。ぱっくりと頭部は切れて、白かったマンションの壁が血で染まったのを覚えています

 男性から刷り込まれていたことが、えんじてゃ氏の性格にも影を落とした部分がある。

「母の彼氏からは、『太っている』『顔がでかい』『頭が悪い』とずっと言われ続けていました。『だからお前は人権がない』というのが、彼の理屈で。だから、自分の容姿にはまったく自信が持てないまま中学生時代を過ごしました。

 一方で、性的な虐待も経験しました。『服を脱げ』と言われて、指示通りに衣服を脱ぐ私をずっと母親の彼氏が眺めていたこともあります

◆どんな目に遭っていても、母はあくまで傍観者…

 男性の言動はどれも常軌を逸しているが、より驚愕すべきは、母親だ。

「母はその様子を微笑みながら傍観していました。反抗すれば彼氏が怒るので、ことを荒立てたくないという心理があったのだと思います。一度、私が母に『理不尽だと思う』と話したときは、『経済的に助けてもらっているから、我慢して』という趣旨の返事があったと記憶しています」

 母親の徹底した事なかれ主義は、たとえばこんな発言にもみてとれる。

「中学生のころ、あまりにも私が母の彼氏に殴られすぎて追い込まれていたとき、母は物件を探して『あなたが一人暮らしをしなさい』と言ってきました。どうも、私がいなくなれば家庭が丸く収まると考えていたような節があります

◆凶行の標的が「寵愛されていた妹」に

 だがえんじてゃ氏の不在は、凶行の歯止めにはならなかった。

「一人暮らしこそしませんでしたが、高校に入学してからは、バイトや生徒会の活動で家を空けることが多くなりました。すると、標的は妹になったのです。

 妹は私に比べて何でも覚えるのに時間がかかり、反面、甘え上手で、母も明らかに可愛がっていました。その妹が殴られるのは、母も我慢がならなかったようです

◆母に「手のひら返し」された結果…

 結局、妹への攻撃を契機として、親子は家を出た。だが男性はストーカーとなり、母子家庭を支援してくれる施設を転々とすることになった。最終的に逃げた先は沖縄県。すでに高校3年生になっていたえんじてゃ氏は、大学受験を巡って母親との亀裂をはっきりと自覚した。

「母は当初、『MARCH(明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学)に入れるなら、いくら借金してでも入れてあげる』と言っていましたが、いざ模試の結果がじゅうぶん射程圏内であることがわかると、『東京の私大なんて通えるわけないでしょ』と手のひらを返しました。

 このショックが引き金で、私は自殺を図り、精神病院へ入院しました。母は『家で自殺されたら困るから、治療して』などと言っていました。私は入院中、大学受験について調べ、生活保護世帯なら学費などを優遇してくれる国立大学があることを知り、結果的にそこへ進学することができました」

◆「家出してから会っていない」母に対して思うこと

 えんじてゃ氏は母親に対して、こんな見方をしている。

「母は先を見通したり、本質的なことを考えるのを避けて生きてきたのではないでしょうか。母の彼氏が私にしてきたこと、そしてそれを傍観していた母の態度は、間違いなくいじめの構造です。それぞれ社会ではあまりうまくいかなかった人たちが、家庭のなかでは無敵に振る舞うことが許されて、弱い立場の私がすべての責任を引き受けさせられていたのかなと思います」

 高校3年生の家出以来、えんじてゃ氏と母親は直接会っていない。アイドル兼プロデューサーとして頭角をあらわした氏が社会に出て感じたと語る印象は、これまでの生活の閉塞感を想像させる。

「現在は、セルフプロデュースという形で自分たちのやりたいエンターテイメントを体現できていますし、それを応援してくれたり、力を貸してくれる存在に支えられています。社会に出て、世間にいい人が多くて安心しています。世の中が生きづらいと思ったことはありません

◆壮絶な家庭環境を生き抜いたからこそ…

 とはいえ、壮絶な家庭環境を生き抜いたえんじてゃ氏の嗅覚は、アイドル業界のほころびを捉えてもいる。

「収益構造がアイドル個人の努力にあまりに依拠しすぎていたり、自己実現の名のもとにやりがいが搾取されている点など、気になる点は多々あるので、仲間と一緒に改善していけたらと思っています。一部の誰かだけが血を流して、他の人が得をする構造を見過ごせないのは、もしかすると家庭環境が関係しているのかもしれません。

 セルフプロデュースは、アイドル業界のなかでも厳しい環境です。もがきながらも“最良”を目指して活動する『アイドル失格』のライブによって、いま苦境に立たされている人に希望を与えられる存在になるのが目標です。

 だからこそ、自身の体験をありのまま発信して、似通った体験をした人たちの琴線に届くような作品を紡ぎ出そうと思っています

 そう語るえんじてゃ氏の眼差しは、より遠くの未来を手繰り寄せているようでもあった。踏み躙られてきた過去を隠匿も忘却もせずに、ひたすら放流すること。自己開示を一切厭わない膨大な勇気によって、彼女の言葉は一層の熱を帯びて聞く者に染み渡る。

<取材・文/黒島暁生>

―[家族に蝕まれる!]―

【黒島暁生】

ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

2023/9/19 8:53

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