1998年のベイスターズ優勝メンバー、ボビー・ローズがSNSで「意外なメッセージ」を発信する理由

 1998年以来の「優勝」――セ・パ交流戦で初優勝を遂げた横浜DeNAベイスターズ。さらなる「頂点」を目指す厳しく長い戦いが再び始まった……

◆優勝を意識して戦えたのはチームの大きな財産

 パ・リーグ6球団とのセ・パ交流戦を11勝7敗で戦い抜いた横浜DeNAベイスターズが、交流戦初優勝を達成した。

 ペナントレースの年間総合成績に含まれる交流戦での優勝は、143試合の長丁場を戦う選手やスタッフに大きな自信をもたらすだろう。そして米国からは1998年の優勝メンバー、ボビー・ローズがSNSでの発信と応援を始めた。

「交流戦最後の連戦がはじまるとき、交流戦の優勝を意識したなかで戦っていこうとチームに伝えた。そんななかで最後の最後まで戦えた。チームにとっても大きな財産になるでしょう」

 1998年の横浜ベイスターズ優勝メンバーの三浦大輔監督は、交流戦の最終戦に惜敗した直後の会見で改めて「優勝」の二文字を口にした。

「レギュラーシーズンに戻っても、チーム力はついてきていると思う」

 15名ほどの番記者に囲まれた三浦監督の表情からは、最終戦を勝利して自力優勝を決められなかった無念さと、18試合の交流戦を11勝7敗で戦い終えた安堵感が入り交じった充実感が伝わってきた。

◆ここ一番の大舞台で勝ち切れないもどかしさ

 ’05年から始まった交流戦はベイスターズにとって鬼門だった。昨年までの通算勝率は4割1分4厘。しかし今年は違った。

 交流戦最終戦を11勝6敗の「マジック1」で迎えた横浜DeNAベイスターズは、最終戦に勝つか引き分けで、優勝が決まる状況にあった。横浜スタジアムには、月曜夜の振替試合にもかかわらず3万人超のファンが集った。結果は3対4の惜敗。自力で優勝を決められなかったもどかしさは、どこか懐かしく感じた。

 勝ち切れないもどかしさ。

 25年前の光景と重なった。1998年10月、38年ぶりのリーグ優勝まで「マジック3」としたベイスターズは、ホームで前年首位のスワローズに3連敗を喫し、足踏みした。このチームはいつもそうだ。ここ一番の大舞台でスカッと勝ちきれない。そうかと思えばワンサイドで大勝ちをしてみたり。ムラっ気のある戦いは、ホエールズ時代からの名残に思えてならない。

◆1998年の優勝を想起させる公式戦最終戦

 交流戦最終戦は、しびれる展開で進んだ。相手ベンチには北海道日本ハムファイターズを指揮する新庄剛志。

 1998年10月8日。甲子園球場で進藤達哉が逆転の2点タイムリーを放ちベイスターズは優勝を一気に手繰り寄せた。1点リードで迎えた最終回2死。抑えのエース大魔神・佐々木主浩が新庄を打席に迎えた。フルカウントからのフォークボールに新庄のバットは空を切りベイスターズは38年ぶりの優勝を決めた。

 勝利して、自力ですっきり初優勝を決めたかった今年の交流戦最終戦。1対1の同点で迎えた7回裏、ベイスターズはキャプテンの佐野恵太がセンターに2点タイムリーを放って勝ち越し、それは進藤達哉のタイムリーヒットと重なった。

 交流戦の初優勝までアウト6つ。新庄監督率いるチームを倒し、ベイスターズが優勝。美しいシナリオは整った――はずだった。

◆優勝目前の延長10回表。運命の結果は?

 そして、迎えた3対3の延長10回表。抑えの山崎康晃が、万波中正にレフトスタンドへ決勝アーチを許した。

 月曜の午後10時。トランペットの応援が鳴りやんだあとも満員の観客は席を立たず、最後まで選手に声援を送った。ベイスターズのチャンスには、ライトスタンドから地鳴りのような大歓声が響くスタジアム。それは25年前の優勝時、身震いしながら、そして勇気をもらったあの声援と同じだった。

◆1998年のベイスターズ優勝の立役者、ボビー・ローズ

 そんな折、先週アメリカに帰国したボビー・ローズからこんなメッセージが届いた。

「ところで\横浜優勝/ってどんな意味なの?」

 1998年のベイスターズ優勝の立役者、ローズは人見知りだ。そんなローズが、ツイッターやインスタをはじめたのも驚きだったが、このメッセージにはさらに驚いた。

 聞けばローズは6月の来日を機に、末娘のリアンナさんから「SNSを始めようよ!」と口説かれ、意を決した。デジタルネイティブのリアンナさんは1998年10月生まれ。まさに、ベイスターズ優勝に合わせて誕生した彼女はローズにとっての女神なのだ。

◆\横浜優勝/はファンが喜びを表したネットスラング

 交流戦のスペシャルサポーターを務めたローズは、アメリカに帰国後、ベイスターズ戦を日々、追いかけるようになった。本人のツイッターアカウントでは、ベイスターズに関するツイートを頻繁に投稿するようになった。あのローズが、だ。

「\横浜優勝/は、負けが続いて弱かった時代に、ベイスターズが勝利するとファンが喜び(アイデンティティ)を表したネットスラングだよ」

 こんな説明を返した数日後、トレバー・バウアーが来日初完投勝利を記録した。するとローズがすかさず「トレバーを称えて、チームを鼓舞したい。最後に\横浜優勝/をつけてもOKか?」と尋ねてきた。

 交流戦3先発で3勝を記録したバウアーと、25年前のV戦士のローズは、デジタル上でも繋がった。

◆今の打線は、1998年の打線よりも強力

 ローズとともに、マシンガン打線の中心として1998年のベイスターズ優勝に大きく貢献した石井琢朗チーフ打撃コーチに尋ねてみた。

「投手の技術が大きく変わっているから一概に言えないけど、1998年の打線よりも、今年の打線の方が強力だと思うよ」

 マシンガン打線の主力2人も認める’23年のベイスターズ打線は、交流戦の初優勝でその実力を証明した。

 得失点率差という条件下での優勝とはなったものの、’23年のベイスターズは19年目のセ・パ交流戦において初優勝した。11勝の中には今や日本を代表する投手・佐々木朗希を攻略した大きな勝利も含まれる。

◆ボビー・ローズがSNSを通じて声援を送る

 三浦監督のコメントが過去の負け癖を一掃するかのごとく心地よく耳に響く。

「選手たちは自信にすればいい。全員が意識した中で戦った経験は絶対に(ペナント後半や今後に)生きてきますし、生かさないといけない。大きな財産になったと思います」

 アメリカからは、V戦士ローズが、SNSを通じて声援を送るようになった。日程を見ると8月末に甲子園で天王山が組まれている。

「オレたちが優勝を決めたのは甲子園。今度はオレが応援に行こうか」

 逞しい後輩たちに魅了されているローズはこの夏、甲子園からベイスターズを応援する計画を立てはじめた。暑い夏がやってくる――。

撮影/小島克典 写真/時事通信社

―[横浜ベイスターズ優勝を信じる男たちの軌跡 1998年の遺伝子]―

【小島克典】

1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

2023/7/20 8:50

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