NHK『どうする家康』の“BL描写”をやたら批判する人たちの勘違い

 どうもBLドラマに対する誤解というか、無理解が目についてしまう。

 松本潤が、徳川家康を演じる大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合、毎週日曜日よる8時放送)のBL描写が、ネット上で騒がれている。つぶさに確認してみると、危うい意見もかなり多く……。

「イケメンとBL」をこよなく愛する筆者・加賀谷健が、その是非を問いながら、本作で描かれるBL描写を解説する。

◆視聴率を上げるポテンシャル

 今年の大河ドラマ『どうする家康』の視聴率が伸び悩み、議論を呼んでいる。さまざまな推測がネット上を駆け巡っているのだが、原因の矛先は、あらぬ方向へ。

 なんと、本作のBL(ボーイズラブ)演出が、その要因だという意見だ。普段から、BL的な妄想には余念がない筆者だが、これはさすがに見当違いもはなはだしいと感じた。

 このBL演出が、“一部のファン”(腐女子)が支持するものという内容なのだが、これは不確かな表現ではないだろうか。BL文化が、これまで多くの腐女子の眼差しや自由で豊かな想像力によって支えられ、育まれてきたことは、事実である。でも今や、BLを語る文脈は広い。一部なんてことはなかろうに。

 例えば、KADOKAWAのBLレーベル「トゥンク」とMBSがタッグを組み、BLドラマだけを放送する「ドラマシャワー」枠の存在はどうか。2022年4月から1年限定でスタートしたが、好評につき2023年度も継続している。

 こんな画期的な放送枠を新設したことに、BLにやっと時代が追いついた感じがしたし、これは紛れもなく革新的な試みだ。だから、BL的な演出を求めるのは、「一部」では決してなく、むしろ視聴率を上げるポテンシャルですらある。

◆BLとは、夢の世界に近い

 はたまた、BL的な要素を感じる描写について、LGBTQへの「配慮」という見方もある。BL世界をこよなく愛する筆者からすると、こうした見解にもやはり首を傾げてしまう。

 そもそもBLとは、必ずしも現実のLGBTQ文脈では、語りきれないところがある。BLが、男性同士の恋愛を描くからといって、それをLGBTQの「G」であるゲイ的なものだと決めつけてしまうのは、いささか乱暴というか、早計だと思うのだ。

 高山真の同名小説を原作に、鈴木亮平と宮沢氷魚が見事なゲイ像を体現した『エゴイスト』(2023年)は、BLではなく紛れもない「ゲイ映画」だった。

 同作を現今のLGBTQの文脈で読み解くのは当然可能だし、あの作品世界には、当時のゲイ界隈を生きた作者の実体験が自伝的に込められてもいる。ゲイ映画と現実のLGBTQは、確かに不可分な関係性にある。

 対するBL世界では、そこまで現実の社会状況をダイレクトに反映させる必要性をあまり感じないのが、筆者の持論だ。BLとは、もっと夢の世界に近い感覚。よりフィクション性が強い。

 例えば、現在のBL文化に深い影響を与えた漫画家の萩尾望都が、創作態度としてきた「ここではない、どこか」は、まさに夢の世界へも憧れではないか。

◆肉弾戦のような激しい展開

 では、ドラマ内での問題(筆者にはごく普通だが)の描写は、どうなっているのか。BL要素を一番強く感じるのは、やはり松平元康(後の徳川家康、松本潤が演じる)と織田信長(岡田准一)の関係性だろう。

 元康と信長は、旧知の仲だ。信長は、人質となっていた少年・元康をまるでペットのように扱っていた。不良集団の最年少に元康を引き入れ、いろいろ連れ回すのだが、特に信長が熱を入れたのが、相撲。

 すでに成熟し、男臭さがプンプンする信長の剛腕にかかれば、元康は、いちころ。元康は、果敢に取り組むが、倒せる相手ではない。次第に相撲というより、男たちの肌と肌がぶつかる肉弾戦のような激しい展開になる。

 この触れ合いを見て、どうもこの集団は、うっすらセクシャルで、怪しいなと思ってみるのだが。

◆恐ろしいくらい甘い「アメとムチ」

 この相撲場面は、現在の元康のトラウマ的記憶として、回想される。第4回では、絶壁から川へ飛び込む訓練の様子が描かれる。信長の指示で、男たちはどんどん川底めがけて、飛び込んでいく。

 これが青春ドラマのひとコマなら、水々しく、ごくありふれた場面として見ていられたかもしれないが、信長を中心に、男たちの雄々しい足元が取り囲む光景は、やっぱりどこかセクシャルで、生々しい。この生々しさ、明らかな男色の香りが、濃厚ではないか。

 そんな記憶が元康の頭に浮かぶ中、苦渋の決断の末、今川家を裏切り、清州城で信長に謁見する。入城する元康は、今にも縮みあがりそうだ(この場面での松潤の表情が、ほんとうに素晴らしい)。

 元康のことを「白兎」と呼ぶ信長は、彼を肉体的に屈服させ、精神的にも支配しようとする。元康が、今川家との和平を口にすると、上から見下ろし、顎のラインを撫でたかと思うと、激しい平手打ちを浴びせる。

 ひやぁ、なんて激しい「アメとムチ」なんだ、信長様! それでいて元康を撫でる瞬間の愛おしそうな眼差しは、恐ろしいくらい甘いけれど。

◆大スター松潤の存在が可能にするBL的な妄想

 第15回は、特にネット上を騒がせた。松平から徳川に改めた家康が、連戦のあと、信長に会う場面でのこと。「乱世を終わらせるのは、誰じゃ」と耳元で囁く信長が、家康の左耳をそのままパクっとする。いや、がぶりに近く、ニュルッと生々しい音が鳴る。

 あっけにとられる家康に対して、信長は、褒美を与える。ちいさな漆器の中には、金平糖が。ああ、信長のムチはつらいが、その分だけアメが、激あまなのだ。

 姉川の合戦で、浅井・朝倉軍を撃破した後の本陣でもまた同様な描写が。家康の首をきつく締め、今度は右耳に囁やき、がぶり。まるで吸血鬼の勢い。血が出るのではないかと思うくらい強く、長く、噛みつく。

 2度目となると、衝撃を通り越し、もはや恐怖。確かにこうした演出には、唖然としてしまうところがあるかもしれない。が、ここで、すでに(いや、当初から)感覚が麻痺している筆者は、あらぬ妄想を。それは……。

 作風がぐっと急旋回、松本潤の代表作「花より男子」シリーズ(TBS系、2005年~2007年)の劇場版『花より男子ファイナル』(2008年)でのワンシーンを思い出そう。無人島に放置された道明寺司(松本潤)が、海にざぶざぶ入って、ベストなタイミングで、牧野つくし(井上真央)のほうへ振り向くあの瞬間を。

 大スター松潤の存在が、永遠に感じられたあの振り向きが、もしやいつの日か、信長にも適用されるのではないか。正真正銘、そんなBL的な妄想を可能にする大河ドラマは、なんて素晴らしいのだろう。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】

音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

2023/6/4 8:45

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