「正義の戦争」 に歯止めをかけよ<哲学者・加藤尚武>

◆根源的な問題は「主権国家体制」の欠陥である

―― 加藤さんは『戦争倫理学』(ちくま新書)で戦争と倫理の問題を論じています。哲学者、倫理学者の立場からウクライナ戦争をどう見ていますか。

加藤尚武氏(以下、加藤) ロシアによるウクライナ侵攻は既存の国際法秩序を破壊する暴挙であり、ロシアは罰されるべきです。しかし、国際社会には主権国家より上位の第三者が存在しないため、ロシアを罰することは現実的に困難です。

 つまり、ウクライナ戦争は人類に対して「国際社会では大国が悪を犯しても罰することができない」という事実を突きつけているのです。これは「主権国家体制」そのものの欠陥です。我々は主権国家というシステムを根本から見直すべき時に来ているのです。

―― ウクライナ戦争はロシアの問題ではなく、主権国家そのものの問題だということですか。

加藤 そういうことです。最大の問題は、主権国家の行動が制限できず、「正義の戦争」に歯止めがかけられないことです。

 主権国家の正義とは自国の主権や独立、国益を守ることであり、他の主権国家はそれを脅かす存在です。それゆえ、主権国家はお互いの正義を守るため、それぞれ「正義の戦争」を掲げて争い合うことになります。

 しかも、国際社会には主権国家より上位の第三者は存在せず、主権国家は誰にも縛られず、誰にも従うことがない。国際社会は基本的に無秩序であり、主権国家同士の戦争を止めることも、他国を侵略したり民間人を虐殺したりした国家を罰することもできない。

 こうして主権国家は「一国の正義」を守るため、「正義の戦争」を繰り返した。その結果として行き着いたのが、二度の世界大戦です。

 しかし、このまま主権国家同士の戦争が無秩序に続けば、平和は永遠に実現できず、人類そのものが滅びかねない。それを避けるためには、何とかして「正義の戦争」に歯止めをかけなければなりません。

 そのためには「一国の正義」を超えて、国家と国家の間に「共通の正義」を生み出すしかない。一国の主権や独立、国益を超えて、全国家が従うべき「共通の秩序」を作り出すしかない――世界で初めてこのことに気づいたのが、哲学者のカントとベンサムです。

 だから、我々の課題はいかに「一国の正義」に基づく主権国家の行動を制限し、国家間の「共通の正義」「共通の秩序」を実現するかということです。そのために哲学者や法学者は必死の努力を続けてきました。その成果が、長い歴史の中で積み重ねられてきた既存の国際法秩序です。

 ただ、主権国家より上位の第三者が存在しない以上、国際法が成立したとはいえ、主権国家がそれに違反しても罰することは難しいままです。国家と国家の間に「法」は成立したが、「法の支配」が確立したわけではない。この点は注意する必要があります。

―― たとえば、国連憲章は重要な国際法ですが、あまり機能していないのが実態です。

加藤 国連憲章は「武力による威嚇又は武力の行使」の禁止を定め、世界で初めて法的に戦争を禁止しました。これ自体はとても画期的なことだったと思います。

 しかし、国連憲章は「武力の行使」の例外として個別的・集団的自衛権の発動を認めています。それゆえ、特定の国が軍事行動を起こした場合、それが「不当な武力行使」なのか「正当な自衛権の発動」なのかを判定することはできません。

 また、特定の国が国連憲章に違反した場合、安全保障理事会が主導して制裁を加えるとしています。しかし、安保理はほとんど機能していません。

 その要因は、戦勝国の特権です。米英仏露中の5か国は安保理常任理事国として拒否権などの特権を持っています。しかし、お互いに対立して拒否権を多用するため、国連の安全保障システムはほとんど機能しなくなっています。

 そもそも国連は「常任理事国は国連憲章に違反しない」という前提で組織されています。また、常任理事国の特権は「国際平和に対して他国よりも重い責任と義務を負う」という前提で許されたものであるはずです。

 ところが、その一角であるロシアがウクライナに侵攻するという事態が起きてしまった。これによって我々は「常任理事国が国連憲章に違反しても罰することができない」という国連そのものの欠陥を突きつけられたのです。

 今、国際社会では国際法秩序が揺らいで、無秩序な時代に逆戻りしようとしています。そうであれば尚のこと、我々は国際法秩序を強化して、「一国の正義」を超える「共通の正義」の実現を目指さなければなりません。 

◆米国も国連憲章に違反している

―― これまで西側はロシアと一切妥協せず、徹底的に戦う方針を貫いています。

加藤 その方針は正しいと思います。ロシアによるウクライナ侵攻は国連憲章違反であり、ロシアの勝利は許されません。西側がロシアと妥協して領土侵略を認めれば、強国は弱小国を侵略してもよいという前例が生まれます。そうなれば、既存の国際法秩序は崩壊し、国際社会は無秩序に逆戻りしてしまいます。

 また、ロシアによる人権侵害は尋常ではありません。「ブチャの虐殺」に象徴されるように、ロシアの軍隊や警察は占領地域で拉致、拷問、強姦、虐殺などの人権侵害を組織的に行っていることが強く疑われます。チェチェン紛争の時と同じです。

 この状況で停戦を行えば、ロシアによる非人道的な占領を受け入れることになります。ウクライナが停戦を拒否してロシアに徹底抗戦し、西側がそれを支援するのは当然です。

 ただ、それでも核保有国であるロシアを軍事的に敗北させることは難しいでしょう。ウクライナの継戦能力や西側の支援がどこまで持つかも分かりません。どこかのタイミングで西側が自国の利益を優先して、ロシアとの妥協に転じる可能性は否定できないと思います。

―― しかし、ウクライナ戦争が続けば、やがて核戦争に発展する恐れがあります。

加藤 西側はその事態も覚悟しているのではないか。西側はプーチンが核を使った場合でも自陣営の結束が崩れないよう、プーチンが核兵器を使用した場合の対応策について事前に協議しているでしょう。表には出てきませんが、裏では間違いなく議論しているはずです。

 ただ、西側とロシアが核を撃ち合えば、双方は共倒れになります。規模にもよりますが、「核戦争に勝者はいない」というのが原則です。

―― 加藤さんは『戦争倫理学』で米国のアフガン、イラク侵攻も批判しています。

加藤 米国は同時多発テロに対する報復としてアフガンとイラクに侵攻しましたが、これは明らかに国連憲章に違反する行為です。国際法秩序の崩壊はロシアがウクライナに侵攻してから始まったのではなく、米国がイラクに侵攻した20年前から始まっていたのです。

 米国の人権侵害も尋常ではありません。ジョン・W・ダワーの『アメリカ 暴力の世紀』(岩波書店)によれば、「第二次世界大戦以降、アメリカの秘密工作活動の結果死亡した数は少なくとも600万人にのぼっている」といいます。ベトナム戦争やイラク戦争では多くの民間人が犠牲になり、その数はそれぞれ200万人以上、20~50万人以上にのぼるといわれています。

 また、NATOは米国主導でユーゴ空爆やアフガン空爆、リビア空爆を行ってきましたが、そこでも多数の民間人が犠牲になっています。これらの軍事行動も国際法違反というべきです。

―― 西側は自由や民主主義、人権、法の支配を掲げる価値観外交を展開していますが、国際社会から広く支持されているとはいえません。

加藤 そもそも欧米は数百年間にわたって世界中を植民地化していました。あれだけ世界中の人々の人権を蹂躙してきた欧米が人権を理由に他国を批判しても説得力はありません。

 それゆえ、グローバルサウスの国々はロシアに批判的でありながらも、西側とは一線を画しています。彼らはロシアも西側も「どっちもどっち」だと考えているのでしょう。だから、ウクライナ戦争でも中立的な立場を取り、等距離外交を行っている。

 その気持ちはよく分かります。しかし、それは間違いです。目の前で起きている国際法違反と人権侵害を許してはならないからです。人類は長い時間をかけて国際法秩序を形成し、世界がより安全な場所になるよう努力してきました。この歩みを止めてはなりません。

◆核兵器の保有に罰則を設けよ

―― この5月にはG7広島サミットが開催されます。

加藤 広島サミットは、新たな国際法を確立する契機とすべきです。我々は国際法を強化して国家主権を制限する必要がある。それと同じように、国連改革を行って常任理事国の特権も制限する必要があります。

 ロシアのウクライナ侵攻は国際法違反です。それと同じように、米国のイラク侵攻やNATOの空爆も国際法違反です。ロシアも欧米も、「一国の正義」に基づいて国家主権や常任理事国の特権を無制限に行使している点は共通しています。ロシアだけではなく米国や西側も変わらなければなりません。

 しかし、米国は反対するでしょう。これまでも米国は自国の特権的地位を断固として譲らず、勝手な行動を繰り返してきました。自国に不都合であれば国連決議にも、国際司法裁判所等の判断にも従わない。ブッシュは単独行動主義(ユニラテラリズム)を掲げてイラクに侵攻した。オバマは核兵器の先制不使用を宣言しようとしたが、ペンタゴンの反対で潰された。トランプはアメリカファーストを掲げて、様々な国際機関から脱退して国際合意を反故にした。

 米国がこのような独善的な態度を改めない限り、国家間の「共通の正義」は実現できません。しかし、それでは米国のリーダーシップや西側の影響力は失われていく一方でしょう。それが嫌だというならば、西側は自らの特権を見直すべきです。広島サミットでは、このような議論を進めてほしいと願っています。

―― 広島でサミットを行う以上、G7は核軍縮や核廃絶について議論すべきです。米国はいまだに原爆投下を正当化していますが、その非を認めて謝罪すべきです。

加藤 「非戦闘員の殺傷の禁止」は最も伝統的な国際法です。しかし、第二次世界大戦では空爆が有効な手段であると見なされ、「非戦闘員の殺傷をしてはならない」という原則が無視されるようになりました。その結果が東京大空襲であり、広島と長崎への原爆投下です。

 これらの行為は国際法上、明らかに違法です。しかし、当時の国際法では戦争における国家の責任を問う、という考え方は定着していませんでした。それゆえ、原爆投下は違法であるが、米国の法的責任を問えるかどうかは微妙なところです。

 ただ、原爆投下の歴史を踏まえて「非戦闘員の殺傷禁止の厳格化」や、核保有国に特別の義務を課すなど「核保有の罰則化」を検討することはできるはずです。米国は反対するでしょうが、国家間の「共通の正義」を実現するための新しい方向性を打ち出すべきです。

◆主権国家が人類を滅ぼすのは時間の問題だ

―― 国家主権を制限しなければ、人類の運命は危い。

加藤 軍事兵器による殺人の効率は加速度的に上昇しています。第一次大戦では機関銃、第二次大戦では空襲と原爆、戦後は核兵器や誘導ミサイル、そして現代はAIやドローンがそれぞれ導入され、殺人の効率は飛躍的に高まり続けています。

 こうした殺人技術の向上にさらなる拍車をかけるのが、AIの進歩です。人間はすでにAIが生み出す情報を理解できなくなりつつありますが、ある研究によれば、現在の世界の情報量は毎年2倍に増えているそうです。AIの進歩によってその傾向はますます強まり、AIを導入して開発した新兵器は核兵器同様、人間の手に負えなくなるでしょう。

 主権国家はこのような軍事兵器を大量に保有し、国家主権の発動として軍事力を無制限に行使することができる。これでは主権国家が人類を滅ぼすのは時間の問題です。それを避けるためには、国際法を強化して国家間の「共通の正義」を実現するしかありません。その糸口はあります。

 たとえば、自然環境は国家を超えた共通財産ですから、新たな国際法の基軸として環境法を導入し、環境倫理を国家間の「共通の正義」として実定法化することが考えられます。私は長年、そのための研究を続けています。

 また、国家を超えた学者グループを結成して、恒久平和の実現に向けて共同研究を行なうことも考えられます。私はその第一歩として、恒久平和の実現に必要な古今東西の基礎文献を収集・翻訳して、シリーズで出版する企画を進めているところです。

 問題は、間に合うかどうかです。人類に残された時間は少ない。世界中の学者が集まって「ああでもない、こうでもない」と議論しているうちに、人類が滅んでしまったという結末は十分ありえます。

(5月2日 聞き手・構成 杉原悠人 ※本取材は5月19日~21日のG7広島サミットに先立つ5月2日に取材しております)

初出:月刊日本2023年6月号

1937年東京都生まれ。東京大学大学院文学研究科(哲学)博士課程中退。千葉大学文学部教授、京都大学文学部教授などを経て、現在、鳥取環境大学学長。専門は生命倫理学、環境倫理学、応用倫理学。『哲学の使命―ヘーゲル哲学の精神と世界』(未来社)で第3回和辻哲郎文化賞受賞

―[月刊日本]―

【月刊日本】

げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

2023/6/3 8:51

この記事のみんなのコメント

3
  • ↓そのとおりだと思います。国連の基本は「力のある者が正義であり、力の正義が世界を誘導し守る」が基本です。ただ、ある意味これは現状正解といえるのかもしれません。力=正義を無くすのならば、武力的大国は弱小国に変わらなければならないからです。それゆえ現在、大国の庇護の下でしか繁栄はないのかもしれません。国家や民族の垣根、差別的意識が人々からなくならない限り難しいと思います。せめて日本からでも…と思います

  • トリトン

    6/3 20:46

    子供の頃の西部劇インデアンが白人の村を襲い殺戮され白人のガンマンがライフルやピストルで倒して平和を守った話なんだよね。でも本当は平和に暮らしてたインデアンの土地に白人が乗り込んて虐殺したのだよね。知らなかったらインデアン悪党だと今もおもってたかと、ウクライナも大半の中立かロシアが悪いとは、思って無い国もかなりあるそうですよね。でも日本とかアメリカはロシアが悪いとしているからね(実際は知らないが)

  • ばんび 

    6/3 20:17

    ロシアも悪いけどアメリカも悪いという左翼お得意の論法ですね😅欧米は過去にこんな酷い事をしたという事例をたくさん持ち出して焦点をぼかしてしまいロシアだけを責められないんだとの結論に誘導するんですよねぇ😤

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