59歳ガン死「大食い女王」菅原初代の壮絶人生と独自キャラ伝説

 3月17日朝、ツイッターに「菅原初代が3月9日深夜に亡くなりました」と投稿されると、瞬く間に「嘘でしょ」「信じられない」という反応が数多く寄せられた。

 菅原さんは大食い番組「元祖!大食い王決定戦」(テレビ東京系)に出演し、ギャル曽根などライバルたちを全く寄せつけず、08年、09年、10年と3連覇して殿堂入りした。

「大食い番組は視聴率が取れるのですが、赤阪尊子と白田信幸、そして菅原初代さんは次元が違う真の王者だったと思います。菅原さんは大食いの哲学者といった雰囲気で、場の空気を読まない辛辣なコメントには何度も笑いました。あんなキャラの立った方はなかなかいないですよ」(テレビ東京関係者)

 何を出されても顔色を変えず、ラーメン27杯、ステーキ5.6キロなど、黙々と食べ続ける姿は強烈で、視聴者はテレビに釘付けになった。

 大食い女王に輝いた08年、菅原さんは夫と別居の末に離婚している。もしかすると一人息子を育て上げるために、大食い選手権の賞金が必要だったのではないだろうか。

 菅原さんが生まれ育ったのは、岩手県南部の水沢市(現・奥州市)で、大谷翔平と同じである。初めて大食いの大会に出たのは、06年のことだった。15分で289杯のわんこそばを食べ、あっさり準優勝となったのだ。その後、45分間で480杯の大記録も打ち立てて、注目を浴びる存在に。

 そして「大食い選手権」に登場するようになったのだが、あまりの強さと愛想のない正直な性格が災いしたのか、優勝を繰り返すと番組に呼ばれない悪循環に陥ってしまった。

「やはり現場はある程度、華のある出演者がほしいようで、可愛さや若さを求めていたようです。でも視聴者には、化け物のような大食いを見たいという要望があり、2010年代後半からは、菅原さんがちょくちょく顔を出すようになりました」(前出・テレビ東京関係者)

 趣味でパンを焼き始めたのは10年以上前で、パン作りの本を読んで独学した。仲間に配ると好評だったので、盛岡市の自宅の一角に「カンパーニュ」をオープン。16年12月のことだった。

 店を開ける火曜日から土曜日は朝3時前に起床し、前夜に仕込みをしたパンを焼き始める。焼くのも売るのも、菅原さんひとりだった。

 昨年6月、体調がすぐれないので病院を訪れたところ大腸ガンのステージ4だと判明した。なんとか病魔から逃れてほしかったが、残念ながら天に召されてしまったのである。まだまだ若い59歳だった。

2023/3/17 17:35

この記事のみんなのコメント

1
  • トリトン

    3/18 12:44

    この人もはじめの頃から大食いブームを引っ張っていた一人でしたね。この世代の人はほぼ知ってるがまた良い人がいなくなりましたねご冥福をお祈りします

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