軍事クーデターから2年余り。在日ミャンマー人たちが日本政府に望むこと

 ミャンマー国内で、国軍最高司令官ミンアウンフライン率いる国軍によるクーデーターが起きたのが、2021年2月1日。いまもまだ国軍の武力弾圧は続き、多くの市民が犠牲になっている。

◆在日ミャンマー大使館前で抗議の声

 クーデターから2年経った今年2月1日、在日ミャンマー人たちが東京・品川区にあるミャンマー大使館前で抗議行動をするために集まった。主催者発表では600人。ビルマ、カレン、カチン、モン、そしてロヒンギャなど、各民族の人々がこの場に集結して抗議行動を行った。

 2年前の2月1日は、ミャンマーの首都ネピドーで新しい議会が始まる日だった。2015年、アウンサンスーチー国家顧問が率いるNLD(国民民主連盟)が選挙で圧勝して以来、民主化を押し進めようとしていた。2008年に国軍により作られた憲法を改憲しようと本格的に乗り出し、議員たちがネピドーに集まっていた。

 憲法の内容をわかりやすく抜粋すると、「選挙で軍政が負けたとしても権力は譲らず、主要3省(国防、内務、国境)を軍政下におき続け、緊急事態には全権を軍に委譲する」というものだ。

 さらには「外国籍の配偶者や子がいる者は大統領になれない」という条項があり、まさにイギリス人の夫がいたアウンサンスーチー氏に向けたものともいえる。

◆自国民を殺害し続けるミャンマー国軍

 2020年の選挙もNLDが圧勝したため、追い詰められた国軍は「不正選挙」と難癖をつけて、スーチー氏をはじめ多くのNLDの議員たちを一網打尽にし、逮捕した。現在でもほとんどが自由を奪われた身のままで、2022年にスーチー氏は禁固33年という判決を下されている。

 恐怖政治は再び始まり、それに反対する一般市民によるデモ隊に警察は無差別に発砲したり、村を焼き討ちしたり、または小学校や人が多く集まる場所に爆撃したりと非道の限りを尽くしている。多くの人が家を追われ、命を落とした人は子供を含め2900人以上に及ぶと言われている。

◆「軍事政権を認めないで」在日ミャンマー人が申し入れ

 抗議行動の当日、「在日ミャンマー人コミュニティ」の代表者たちが、申入れ書をミャンマー大使館のポストに投函した。内容は以下のとおりである(一部抜粋)。

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ア、ウィンミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問を含め、不当に拘束された市民の即時解放に協力すること。

イ、軍評議会が2023年に実施を報じている総選挙を認めないこと

ウ、国際社会は国民統一政府と公式な外交関係を樹立し、軍事独裁体制の根絶を支持すること。

エ、連邦制民主主義の樹立のために尽力すること。

オ、テロリストの指導者ミンアウンフラインを含む、犯罪を犯したミャンマー軍に対する責任を迅速に追求すること

カ、ミャンマー国民を殺害し続けている軍部への指示や援助を即時中止すること。

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◆ミャンマーで拘束されたジャーナリスト北角さんに聞く

 ミャンマー大使館前で取材をしていたジャーナリストの北角裕樹さんにも話を聞いてみた。彼は2021年ミャンマーで取材中、軍に拘束された。

「他のジャーナリストが捕まっている中、自分も可能性を感じて注意はしていたが、(ミャンマーの)家が家宅捜査され、1ケ月収監されて強制退去となった。再びミャンマーに行くことは、公式には刑事訴追が全て取り下げられていると聞いているので、表向きは問題ないのですが、表向きが通用する国ではないので今は行くことができない。可能であればいつかミャンマーでもう一度取材をしたい」(北角さん、以下同)

国軍の目的は?

「ミャンマーでのデモに、軍は無差別に発砲していた。若者を連行し、摘発が行われていた。自分たちに逆らえないように恐怖を叩き込む。逆らえば酷いことになるから黙って従うことを市民の間に浸透させようとしている。永久に軍が政治を仕切りたい、国民を奴隷にしたい。国民はその恐怖と絶望と闘いながら、どうやって将来を切り開いていくか考えている」

◆諦めずに発言し続ける

状況が変わる可能性は?  

「この2年間、ミャンマー人たちは諦めずに勇気を出して助け合って、いろいろと行動してきた。そうでなければ、もっと酷いことになっていた。市民が自発的にグループを作って助け合ったり、追われている人をかくまったりして命を救われた人もいた。そうしてきたおかげで今も声をあげられる人がいる」

今後の活動は?

「私にとって彼らは友人たちなので(迫害を受けることは)他人事ではない。友人が捕まり、刑務所にいる人もいる。私の取材した人も拷問を受けて死んでいる。今は日本でミャンマーの取材を続けているが、ミャンマーの友人たちにジャーナリストが多く、逃げながら情報発信しているので、その人たちと協力してミャンマーのことを伝えていきたい」

◆日本政府は、ミャンマーとの外交を見直してほしい

「在日ビルマ市民労働組合」の会長であるミンスイさんにも話を聞いてみた。

 ミンスイさんは1992年に来日し、労働問題で悩んでいるミャンマー人たちを助け、軍政下のミャンマー人のために募金活動をしたり、日本の政治家に対して発言したり、デモや講演会によって母国の現状を世の中に伝えるなどの活動を精力的に行っている。

 ミンスイさんは、「日本の市民は私たち民主化の活動に寄り添ってくれているが、日本政府はミャンマーとの外交が本当に正しいのか見直してほしい。ミャンマー国軍のパイプを持っていると言いながら、今のところ改善の様子が見られない」と肩を落とす。

◆軍事政権から勲章をもらった麻生太郎氏ら

 日本ミャンマー協会の会長・渡辺秀央氏(元・郵政大臣)と日本財団の笹川陽平会長は、自分は軍政寄りの立場であることを、発言などで明らかにしている。

 渡辺氏は日本政府の代理人としてミャンマーを複数回訪問している、と現地で報道されていた。日本の外務省に問い合わせると「渡辺氏は日本政府の代理人ではない」と言う。ならば、ウェブサイトなどでそう表明してほしいと何度も苦言を呈しているが、実行する様子はない。

 渡邊、笹川両氏が軍政を応援するなら、暴力の共犯者ではないだろうか? 

 さらに2月20日、渡邊氏と麻生太郎・前財務相は、ミャンマー国軍から勲章と名誉称号を授与された。両国の友好に貢献したという理由だが、市民を多数殺害している国軍からの勲章を、なぜ受け入れてしまったのか。

 日本の政権が代わっても、官房長官が代わっても、外務大臣が何人代わっても、このままではミャンマーは変わらない。日本とミャンマーの関係を、いま一度考え直してほしいとミンスイさんは語る。

◆いま日本人にできることは……?

「2018年ごろの、ミャンマーが『最後のフロンティア』と呼ばれた時代に戻ってほしい。軍政下になってみんな、あの時のことを忘れてしまった。ミャンマーに平和が戻ったとしても、きっとすぐには豊かな国にはならないので、自分たちがしてきた経験を若者にバトンタッチしながら、自分は今まで通り、国内からではなく日本に残りミャンマーを外側から支えていたい。そして日本に残るミャンマー人もいるだろうから支えていきたい」(ミンスイさん)

 ミャンマーと仲の良い日本は、今後も国軍と仲良くし、金銭面などの支援を続けていくのだろうか。正しくない政治をやめるように忠告することもまた外交ではないのだろうか。今後も日本の行動が試されている。

 ミンスイさんをはじめ民主主義と平和を望むミャンマー人たちの想いが叶うことを願ってやまない。

<取材・文・撮影/織田朝日>

【織田朝日】

おだあさひ●Twitter ID:@freeasahi。外国人支援団体「編む夢企画」主宰。著書に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)、入管収容所の実態をマンガで描いた『ある日の入管』(扶桑社)

2023/3/14 8:51

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