歌舞伎町卍會総長と関係を築いた人々が語る、トー横を守るハウルの功罪

'22年6月、16歳少女への東京都青少年健全育成条例違反(未成年淫行)容疑で逮捕されたハウル氏。事件の一部は認める方向性で動いていたが、真相を話すはずだった裁判の前に東京拘置所で謎の死を遂げる。トー横界隈の動揺は計り知れない。

◆罪人としてネットで叩かれ続けた男が現代に残したもの

 '22年11月15日の昼下がり。珍しく閑散としたシネシティ広場の一角に、トー横の雰囲気には似つかない、一輪の白いバラが手向けられた。それに気がついた子どもたちは誰が示し合わせたわけでもなく、花束やエナジードリンクなど思い思いの品で弔っていく。そして最後にやってきたひとりが線香をあげた。その日はトー横界隈のカリスマであった歌舞伎町卍會総長・ハウル(本名:小川雅朝)の急死が報じられた日である。

「最初に供えられた白いバラには『心からの尊敬』という花言葉があるんです。誰が置いたのかはわかりませんが、思わず込み上げてくるものがありましたね。私も合掌したときは『また天国で清掃しような』と伝えました」

 ハウルとともにトー横の治安を守ってきた卍會幹部のJさんは、当日の様子をそう語る。ハウル氏は清掃や炊き出しの慈善活動を行い、200人近い会員がいるボランティア団体・歌舞伎町卍會(以下卍會)を率いていた。

◆トー横の治安維持の役割も担っていたハウル

「ハウルはなにかと見た目の美しさが持て囃されるトー横で、いかにカッコよく見られるかを意識していました。逮捕後にハウルの家を整理した際、彼が愛用していたブーツに20センチほどのソールが詰め込まれていて、そこで初めてハウルが身長を盛っていたことを知りました。ハイヒールのようなブーツを履くことで180センチほどの高身長を演出し、威厳を保とうとしていたのかと思います」

 このハウル氏の背伸びは、結果的にトー横一帯の治安維持にもつながっていたとJさんは続ける。

「彼のカリスマ性を持つルックスからか、彼の忠告に従うキッズは多く、案件(援交)やODへの防波堤の役割も担っていた。その証拠にハウル不在の現在のトー横は無法地帯ですよ。トー横キッズ同士での暴力沙汰も多くドラッグも蔓延。広場の女のコの話では『大久保の乱交パーティーに参加して欲しい』と悪い大人に売春の案件を持ちかけられたり、車で拉致されそうになったコもいたと聞いています」

◆ハウルの“カッコつけ”とも取れる言動の功罪

 一方で卍會幹部のHさん(仮名・41歳)は、こうしたハウルの“背伸び”には負の側面もあり、卍會はボランティア団体としての機能を失っていったと指摘する。

「ハウルはある時期から、メンバーの増員に注力するようになった。目立つために、YouTuberや某テレビ局取材班を”名誉幹部”として在籍させることも。団体の規模を拡大するほど箔が付いて、トー横で威厳を保てると思い込んでいたのでしょう。インフルエンサーへの憧れも強かったはずです。承認欲求も後押しして卍會は目的もなく拡大を続けました」

 しかし、人数が多くなればなるほど団体の統率は取れなくなっていくもの。Hさんが続ける。

「いつからか卍會の集会には、ただお酒を飲んでたむろする人が増えていった。地べたに座って大人数で飲むことがボランティア団体のあるべき姿なのか……。いくら清掃活動をしていようと、子供たちと同じ目線で相談にのっていようと、これじゃあ世間から周りのトー横キッズたちと同じように思われても仕方ないですよ」

◆「良くも悪くも単純」知られざる素顔

 当然、トー横で夜通しお酒を飲んでいれば、メンバーがトラブルにも巻き込まれる可能性も高まる。ハウルは頻繁に喧嘩の仲裁にも入っていたが、そのやり方にも疑問があったという。

「広場で揉め事や喧嘩が起こると、ハウルは1人で解決しようとするんです。卍會のグループチャットで『解決するまで集会は開かないでください』と伝え、揉め事を起こした当事者に対しては、知り合いの反社に電話して脅しをかける形で丸め込んでいた。ただハウルは良くも悪くも単純なやつ。正義感で喧嘩を止めていたとはいえ、片方の話を全面的に信用して、もう片方の言い分を聞かずに一方的に脅すなど、公平性は怪しかった。それにつけ込むキッズたちも出てきて、ハウルに好かれようと日頃からゴマをすったりと、ハウルがワンマン化している側面もあった」(Hさん)

 ハウルは良くも悪くも、卍會のリーダーとしてカリスマ性を遺憾無く発揮していたようだ。

◆ハウルのカリスマ性に惹かれた少年

 実際にハウル氏との関わりが強かった未成年たちはいま何を思うのか?いわゆる“キッズ”としてトー横に入り浸っていたKさん(仮名・17歳)も、ハウル氏のカリスマ性に惹かれた1人。出会いのエピソードをこう語る。

「僕が少年院を出たばかりで身寄りもないときにトー横を訪れたら、ハウルさんが『見たことない子だね。ご飯食べる?』と近寄ってきて。自分の境遇を話したら『お勤めご苦労さん!』とシルバーの指輪もくれました。それはいまでも大事にとっています」

◆交際していた女性に聞いた「普段の生活」

 ハウル氏と交際し、彼の活動を支えてきたMさん(仮名・21歳)は、2人の生活をこう明かす。

「同棲中はよく炊き出しに出す料理の味見を頼まれたり、トー横キッズの相談に乗ったりと、一緒に活動していました。小川さんは家でも卍會の話題が多かったから、生きがいだったはず。彼は激しい痛みを伴う群発頭痛という持病があり、逮捕直前は寝込む日も多かったですが、保険証がなくて病院には行けなかった。保険証がないということは、これまでそれなりに悪いことをしてきたのかもしれません。ただ体調が優れない状況でもトー横には必ず出掛けていました」

◆母子家庭で育ったハウル。浮いていた小学生時代

そこまでしてハウルが卍會の活動に心血を注いでいたのはなぜか。話はハウルの幼少期に遡る。

「逮捕後、小川さんのことを知りたくて幼馴染に話を聞いたことがあるんです。その方によれば、小学校高学年あたりから小川さんはシングルマザーの母とも疎遠になっていったらしい。当時から変わり者で、周囲から気を引きたいからか、学校では大音量で好きな音楽をコンポで流したりしていたそうです。どちらかというと浮いていていたとのこと。きっと家庭やクラスに居場所がなかった過去の境遇を、トー横にいる子供たちと重ね、力になってあげたいと思っていたのかもしれませんね」

 過去にはネットスターを目指し、配信者をしていた時期もあるハウル氏。インフルエンサーでもあった“歌舞伎町卍會総長・ハウル”は、小川雅朝の目立ちたがり屋な一面と、自分と同じ痛みを持つ子どもの助けになりたいという善意がちょうど交差する、人生の集大成だったのかもしれない。

◆ハウルが獄中で書き残した“最後の手紙”の中身

 逮捕後のハウル氏は、月2、3回のペースで彼女のMさんとやり取りをしていた。最後となったのは、亡くなる半月前、10月28日の手紙だ。

「手紙に泣き言は一切なく、前向きなことばかりでした。ほかにも『歌舞伎町は危ないので俺が釈放されるまでは実家にいてね』と私を気遣ってくれて。彼の死にはさまざまな憶測がありますが、少なくとも自殺の予兆は感じなかったです」

 現在、ハウル氏の遺骨を引き取る親族は見つかっていない状況だという。

「2年待って動きがなければ私が引き取りたい。以前は彼との交際に反対していた母も、逮捕後もマメに連絡する彼を認め、私の意思を尊重してくれています」

 トー横の治安を守るため奮闘し亡くなったハウル氏と、彼を陰で支えたMさん。死別後もふたりの絆は続いていく。

取材・文/SPA!歌舞伎町卍會取材班 写真/グレート・ザ・歌舞伎町

―[歌舞伎町[トー横キッズ]最新事情]―

2023/2/15 8:53

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