「子育て支援」を掲げる2人の政治家が見据える未来|明石市長・泉房穂×こどもの党党首・斎木陽平

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幾多の子育て支援策を打ち出し、人口増加、9年連続の税増収を実現した泉房穂・明石市長。そんな彼が見込んだのは、安倍晋三元首相の縁戚でこどもの党・党首の斎木陽平氏だった。次世代の日本を担う若者と「政治の在り方」について激論を交わしてもらった。

◆子どもというキーワードはこれからの時代の鍵になる

――実は斎木さんが泉市長と会うのは、これが初めてではないそうで。参院選のさなか、応援演説で東京を訪れた泉市長の元に斎木さんはアポなしで駆けつけたことがあるのだとか。

斎木:あのときは急に押しかけましたけど「あなたの名前覚えときますから、安心してください」と言っていただいて。ありがとうございました。

泉:第一印象がよかったんですよ。最初名刺をもらってね、「こどもの党」の党首なんて名乗っているから「ほんまかいな」と思ったけど、選挙ポスターに書いてあるし。実際話したら、社会性のあるしっかりしたお方やと思いました。子どもというキーワードはこれからの時代の鍵になる。若いのにそれを掲げて選挙に出るのは大変ですよね。そこにチャレンジする姿はすごく印象よかった。私が都民やったら斎木さんに入れたやろな。

斎木:ありがとうございます。結果は5万661票で落選でしたけど、僕としては善戦したほうだと思っています。

◆和やかな空気が一変。泉市長の目が光る!

泉:善戦? いや~、私はそうは思わないな(きっぱり)。

斎木:(とまどいながら)僕はあの頃、政見放送でふざけた内容を流すような候補にも負けるのではと不安でしたし、選挙カーも運転手と2人だけで回って、ほぼワンオペみたいな感じだったんで……。

泉:そこはえっと、ごめんなさい。私、まあまあ辛口で申し訳ないんだけど、じゃあ何で立候補したの? 別に名前売りたいわけじゃないんでしょ。何かしたいことがあるんでしょ。したいことがあるなら、通らなきゃその立場に立てないわけだから。つまり、選挙というものは立候補することに意味があるわけじゃなくて、ちゃんと当選して、政策を実現できる立場に立って仕事をしてこそ意味があるわけでしょ。斎木さんも「こどもの党」という名前を掲げて、子どものための政治を目指して立候補するんだったら、勝ち切らないと。きつい言い方かもしれないけど、一定の票を取ったからいいでは全く済まないでしょう。

◆「無理だ」と言われても…選挙に勝ち切った“秘策”

――選挙に勝ち切る秘策は、次の選挙を目指す斎木さんが、最も知りたいところでは。

泉:勝つ戦略ですか? 市民を味方につける。これに尽きます。私が明石市長選挙に初めて出た’11年、全政党が対立候補の側につきました。私は勝てないと全マスコミに言われていました。記者会見で「どうやって戦うんですか?」と聞かれて「市民を味方につけますから勝てます。どんな有力者よりも普通の市民のほうが多いから勝てます」と答えたら笑われた。

斎木:まあ、そうですよね。

泉:でも私には成算がありました。それまで10年以上、地元で弁護士として多くの方の無料相談にあたってきましたし、市民活動の支援も続けてきました。いわゆる有力者ではないけれど、地域に根差して暮らしている多くの市民と直接結びついてきたんです。全政党や市議が対立陣営についても、むしろ「市民対有力者」という構図になって勝てると確信していました。選挙に勝つ絵を自分の中で描くことができたんです。実際、最初の市長選は69票差で勝ちました。どちらが市民の味方か、の戦いに持ち込むことができたから、全政党を敵に回しても勝てたんです。

◆対極的な育ちの2人が子育て支援について激論!

――泉市長が実行した仕事が「子育て施策の充実」。斎木さんも子育て重視を掲げるからこその対談ですが、政治を目指した原点は正反対と言っていいほど違いますね。

泉:私は小学6年生のときに政治家を志しました。その原点は、障害のある弟と、家が貧乏だったことです。貧困と差別を生まれ故郷の明石からなくしたい、そのために市長になりたいと思ったんです。子どもって親の状況をよくわかっていますからね。欲しいものがあっても、したいことがあっても、親を困らせまいとして「いらない」と言うんですよ。子どもにそんな気を使わせたくない、不憫な思いをさせたくない。その一心で、市長になり、すぐに駅前の一等地に子どもが無料で遊べる施設、絵本を揃えた図書館、中高生が無料で使える音楽やダンスのスタジオを造ったんです。そしたら、3年前、暴言騒動で辞任したとき、スタジオを利用していた子どもや子育て層が署名活動を始めてくれて。「今度は私たちが市長を守る番」と言ってね。涙が止まりませんでした。

斎木:僕は曽祖父が山口県長門市の市長、祖父は安倍晋三さんの父、晋太郎さんの後援会長で病院を経営。経済的に何不自由なく育ちました。安倍さんとは縁戚関係で身近に感じていて、子どもの頃のあこがれの人で、政治家って社会に奉仕するかっこいい仕事だと思っていました。それで高校生のとき、将来自分が目指す政策を文章にまとめたことがあるんです。そのとき考えたのが、僕らの世代の一番の課題は人口問題だということ。国と社会を持続可能なものにするには人口問題の解決が欠かせない。そのためにはまず子育て支援が必要だと思うに至った。挫折を知らずに育ってきたと思われがちですけど、自分がゲイであることを誰にも相談できず辛い時期もあった。その経験が人に優しい社会を目指すきっかけになりました。

◆泉氏が喝!!区議より区長を目指す必要性を力説

――その斎木さんが目指す「次の選挙」は?

斎木:泉さんに叱られましたけど、参院選はホップ・ステップ・ジャンプのホップだと思っています。次は4月に統一地方選があるので、参院選東京選挙区での経験を生かして、東京23区での挑戦を考えています。泉さんは23区に何か期待をお持ちですか?

泉:それは何やかんや言うても出版やらマスコミやら東京集中やから、情報は東京発信になるよね。やっぱり東京が動くと全国が動く。明石が打ち出した子ども医療費の無料化にしても、最初は見向きもされなかったけど、次第に兵庫県内のほかの市に広がって、東京23区にまで広がった。

斎木:23区は割と財源の豊かなところが多いですから。そこを変えることで世の中を変えたいんです。「選挙に出るならまず当選を」と厳しい励ましをいただいたので、まずは統一選で23区の区議選を目指そうかと。

泉:なんで区議なの? なんで区長じゃないん? 議員は議会で発言はできてもできることは限られるよ。その点、区長になったらマジ変えられるから。トップだからね。権限があるから。無駄と思った予算はバンバン切れる。そのお金で市民のために必要と思う施策ができます。

斎木:区長ですか……。先ほどの泉市長の選挙必勝法で言えば、まだ区長選に勝つ絵を描けていないんです。

泉:いやあ、区長のほうがむしろ通りやすいと思うよ。首長選は一騎打ちに持ち込めば知名度がなくてもかなりの成算がある。私自身のエピソードを押しつけてもいけないけどね、最初の市長選のときは対立候補との一騎打ちに持ち込んで「どっちが市民の味方か」という構図をつくることができたから勝ったんです。その際に大事なのは、自分が当選したら何をするかの絵を描かないと。私は子育て施策を充実すれば人口が増える、街の商売人が潤う、税収が増える、そのお金を今度は高齢者施策に注ぐ、という循環を考えました。その狙い通りになったから市民が支えてくれました。斎木さんにはぜひ23区の区長になって成功事例を見せてほしい。そうすれば「じゃあ自分も」と後に続く若者もどんどん現れるでしょう。後続を促さないと。

◆泉市長が「反省している」こと

――泉市長は次の明石市長選に立候補せず、市議選で自分のこれまでの施策を支持する候補5人の擁立を発表しましたね。

斎木:これまで、市長派の市議を増やしていくことは考えられなかったんですか?

泉:そこはご指摘の通りで、私の反省しているところです。自分を過信していました。議会の反対があっても市民の支持があれば大丈夫だと思って、議会をそんなに気にしていませんでした。

斎木:では、これまで議会の意見が役に立ったことはありませんでしたか?

泉:それはあんねん。例えば保育所の待機児童の問題。あるとき、数年前だけど、議会で5人の議員が次々に待機児童の問題を言い出してね。地域の人たちから聞いた話として。明石はすでに人口増が始まっていたから問題が生じていたことに、議員の発言で初めて気づきました。それで急きょ待機児童緊急対策室という部署を立ち上げたんよ。「保育園落ちた日本死ね」という言葉で待機児童の問題が全国的に表面化する少し前のことでしたから、早めの対応ができて本当によかった。斎木くんももし(区などの)トップになったら、やりたいことをやりつつ、議会にも耳を傾けて。

斎木:もちろんです。

対談を終えたあと、泉市長の案内で明石駅前の子育て支援施設や地元商店街を見て回った。すると通りかかった人たちが次々に「あ、市長だ」と声を上げて一緒に写真を撮る。その多くが子連れの家族。この人気が泉市長を支えてきたのだろう。一人の男性が市長に語りかけた。

「辞めるのは残念ですけど、これまでありがとうございました」

泉市長はこの先どこへ行くのか? 斎木氏はどこへ進んでいくのか? 「子育て支援」を軸に置く2人から、これからも目が離せない。

◆ジャーナリスト・相澤冬樹が語る泉と斎木の魅力とは?

泉房穂市長と斎木陽平さん。年齢差がほぼ倍。対極と言える出自の2人が、政策では共通の立ち位置にいるというのが面白い。泉市長は私の大学の同級生にしてNHK同期入局の友人。そして斎木さんも、共通の友人を介して知り合った間柄だった。

泉市長は市民の熱烈な支持を集める一方、敵も多い。それは自分の信念を飾らない言葉で率直に語る一方、激情のままに思いをぶつけてしまうことがあるから。市長曰く「市民からは『あの子(泉市長)は育ちが悪いからしょうがないねん』と言われてるんや」と。

その性格はこの対談でもいかんなく発揮された。泉市長は対談後、こんな言葉を話した。

「とても辛口でしゃべってしまったけど、たすきはつないだと思います」

一方、斎木さんはどう受け止めたのだろうか。

「泉さんに宿題もらっちゃいましたね。難題ですけど、必ず答えは出します。今回の対談は、本当にすばらしい学びの機会になりました」

人口増には子育て支援。それなくして日本の未来はない。その一点で、2人の考えは一致する。泉市長の“宿題”が斎木さんの花を咲かせれば、この国の未来も花開くかもしれない。

【明石市長・泉 房穂氏】

’63年兵庫県明石市生まれ。東大卒後、’87年にNHKへディレクターとして入局。朝日テレビ記者、議員秘書、衆議院議員、弁護士などを経て、’11年より明石市長に

【こどもの党 党首・斎木陽平氏】

’92年福岡県生まれ。慶應大在学中にAO入試特化型の学習塾を起業。また自身がゲイだと’19年に告白した。’22年の参院選には東京都から出馬。安倍晋三元首相は遠縁にあたる

【ジャーナリスト・相澤冬樹氏】

’62年宮崎県生まれ。東大卒後、’87年にNHK入局。’18年、森友事件の取材中に記者職を解かれたことから退職。著者に「メディアの闇」がある

構成/相澤冬樹 編集/板垣聡旨(本誌)

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  • 日刊SPA!

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