人類史上最もおぞましい再現ドラマ  悪の凡庸さ『ヒトラーのための虐殺会議』

 ヴァン湖(ヴァンゼー)はドイツの首都ベルリンの西郊外にある行楽地として知られている。そんなドイツ市民に愛されるヴァン湖の湖畔にある瀟洒な別荘にて、恐るべき秘密会議が第二次世界大戦中に行なわれた。ユダヤ人大量虐殺を、ドイツが国策として行なうことを決定した「ヴァンゼー会議」である。

 ナチスドイツの高官15名と秘書1名が参加したこの会議が開かれたのは、1942年1月20日。「ヴァンゼー会議」から80年を記念して、ドイツ映画『ヒトラーのための虐殺会議』(英題『THE CONFERENCE』)が制作された。日本では1月20日(金)より劇場公開される。

 戦後に発見された議事録に基づいた形で、本作は映画化されている。ナチス親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒ(フィリップ・ホフマイヤー)が召集したこの会議を、リアルに再現している。600万人ものユダヤ人が虐殺されることになる悪名高き会議が、実にあっさりとしたものだったことがより恐ろしさを増幅させる。

 この会議にはナチスドイツ総統であるアドルフ・ヒトラーは出席していない。ヒトラー、ヒムラーに次ぐNo.3の座に就いていたハイドリヒが議長を務め、かねてからの懸案事項だった「ユダヤ人問題の最終的解決」が議題として進められていく。ハイドリヒはすでに解決策を用意しており、内務省、法務省、外務省などを仕切る官僚たちの賛同を得るための集まりだった。

 会議中、虐殺(ジェノサイド)という表現はいっさい使われない。代わりに「特別処理」という言葉が使われる。ドイツ国内だけでなく、ヨーロッパ全土からユダヤ人を一掃するための方法が論じられる。会議には豪華なランチも用意されていた。会議の合間に美味しい食事を楽しみながら、全ユダヤ人の運命が決められていく。

 ハイドリヒは官僚たちを相手に、声を荒げることなく議事進行していく。ホロコーストを指揮することになるアドルフ・アイヒマン(ヨハネス・アルマイヤー)は議事録作成係として、ハイドリヒをサポートする。速記に追われる女性秘書(リリー・フィクナー)のために食事を取り分けておくなどの心遣いも、アイヒマンは忘れない。女性秘書は「楽しい職場です」と休憩時間に笑顔を見せる。

 16人の知的で紳士的なドイツ人たちが、理想の国家を実現するために穏やかにユダヤ人大量虐殺について語り合う。

 ケネス・ブラナーやコリン・ファースら人気俳優たちが出演したテレビ映画『謀議』(2001年)も同じく「ヴァンゼー会議」をドラマ化したもので、ケネス・ブラナー演じるハイドリヒら親衛隊側に官僚たちが押し切られていく様子が描かれていた。本作では親衛隊側と官僚たちとの軋轢は控えめで、淡々と会議が進んでいく。こちらのほうが、より史実に近いのではないだろうか。

 人類史上最もおぞましい会議についての再現ドラマと称したい。

 ナチス政権下では、すでに1939年から「T4作戦」が実施されていた。身体や精神的な障害を持つ人たちを安楽死させようという政策だ。国家に対して有益な人間だけが生き残るべきだという「優生学」に基づいた考え方が、当時はドイツだけでなく世界中で広く支持されていた。

 この優生学的考えを、より拡大解釈したのが「ユダヤ人問題の最終的解決」だった。ドイツだけでなく、ヨーロッパ中からユダヤ人を排除することで、アーリア人にとっての理想社会をつくろうとヒトラーは本気で考えた。ユダヤ人たちを強制移住させた「ゲットー」はすでに飽和状態となっており、占領国の担当官たちからもユダヤ人に対する早急な対応を求められていた。

 1,100万人いると概算されていたユダヤ人をすべて排除するには、どんな手段が有効なのか。銃殺刑では到底追いつけない数字だ。女性や子どもたちにまで銃を向けることを嫌がるドイツ兵は多かった。PTSD状態に陥り、ドイツ軍全体の士気にも悪影響を与えてしまう。

 そこで考案されたのが「ガストラック」だった。トラックのコンテナにユダヤ人を押し込み、排気ガスを充満させるという処刑方法である。トラックをどこにでも運べるという利点はあるが、排気ガス死させるのに時間が掛かるのが難点だった。

 会議中、何度か「人道的配慮」という言葉が使われる。これはユダヤ人に対してのものではなく、処刑に関わるドイツ兵の精神面を気遣ったものだった。心優しいドイツ兵たちがユダヤ人を大量虐殺しても罪悪感を感じずに済む方法が、会議後半で提案されることになる。

 この画期的なアイデアの考案者こそが、アドルフ・アイヒマンだ。アイヒマンは机上でシミュレートした計画を朗々と説明する。ポーランドにあるアウシュビッツ収容所に、新しい棟を建設する。建設には、収容所で暮らしているユダヤ人たちを使う。新しい密室性の棟で毒ガスを使って大量処理すれば、ハイドリヒが目標に掲げる1,100万人という数字は不可能ではない。また、ユダヤ人たちが処理される様子をドイツ兵は直接見ることはないので、罪の意識を感じずに済む。

 普段は地味で目立たないアイヒマンだが、このときの彼は自分が持てる才能をいかんなく発揮してみせる。会議に参加していた他の高官たちも、アイヒマンの有能ぶりに感心するばかりだった。

 ヒトラー不在の会議で、15人の高官たちはヒトラーが求めていた答えを導き出すことになる。会議に要した時間は、わずか90分だった。「ヒトラー総統なら、どう考えるだろうか?」という権力者への忖度が、この会議を動かしていた。人間が持つ想像力が、とてつもなく邪悪な事態を招くことになる。会議の参加者たちは、ヒトラーの代用品と化してしまっていた。人間としての感情を持たない人工知能と同じだった。

 テレビ映画『謀議』と同様に、内務省次官のヴィルヘルム・シュトゥッカート(ゴーデハート・ギーズ)が官僚サイドとして最後まで抵抗を試みるが、それはユダヤ人の命を守るためではなかった。ドイツ人とユダヤ人とを区別する「ニュルンベルク法」の起草者として、シュトゥッカート自身のプライドを守るために過ぎなかった。反論はした、というポーズにしか映らない。

 他の高官たちも同じだ。今ある自分の立場を守ることができればよかった。自分と家族に与えられた権利を享受できれば問題はなかった。かくしてアイヒマンが提案した「ユダヤ人問題の最終的解決」案に、会議出席者全員が賛同することになる。

 その結果、600万人ものユダヤ人、さらに障害者や同性愛者たち、ロマたちも「特別処理」されることになった。そして会議から3年後には、「千年王国」と謳われたドイツ第三帝国も崩壊する。

 会議参加者たちのその後だが、議長を務めたハイドリヒは占領下のチェコで爆破テロに遭い、会議の4カ月後に亡くなっている。ハイドリヒ亡き後、ホロコーストを実行に移したアイヒマンは戦後は南米に逃れていたが、モサド(イスラエル諜報特務庁)に拘束され、1962年に処刑された。それぞれ、『ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺計画』(16)や『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(15)などの劇映画で詳しく描かれている。

 もうひとり、会議で抵抗を試みた官僚のシュトゥッカートだが、彼は1953年に交通事故で亡くなっている。「ニュルンベルク法」の起草者だったことからモサドに狙われ、事故に見せかけて暗殺されたと囁かれている。

 米国に亡命していたドイツ出身の哲学者ハンナ ・アーレントは、裁判で無罪を主張するアイヒマンのことを「悪の凡庸さ」と評した。上司に気に入られたい、波風は立てたくない、会議を滞りなく終わらせたい……。そんな平凡な小市民的な考えが、人類史上最も恐ろしい会議を成立させてしまった。

 ハイドリヒたちが夢見た「千年王国」は実にあっけなく崩壊した。だが、「ヴァンゼー会議」に参加した彼らの名前は、おそらく1000年後まで語り継がれることになるだろう。

『ヒトラーのための虐殺会議』

監督/マッティ・ゲショネック

出演/フィリップ・ホフマイヤー、ヨハネス・アルマイヤー、マキシミリアン・ブリュックナー

配給/クロックワークス 1月20日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開

©2021 Constantin Television GmbH, ZDF

klockworx-v.com/conference

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2023/1/12 20:00

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