藤井五冠への挑戦権を得た羽生九段、30年の全盛期を築いた「驚異的な復活力」/倉山満

―[言論ストロングスタイル]―

◆政治は岸田内閣の朝令暮改がひどすぎる

 岸田内閣の朝令暮改がひどすぎて政治の記事が書けないとのボヤキを聞く。つまりすぐに状況が変わるので、すぐにネタが腐ってしまうのだ。

 既に1か月で大臣が3人辞任の新記録(?)を樹立。3人目の寺田総務大臣の辞任のプロセスは、マスコミが実況中継の如く報道する有様だった。それに何の意味があるか? 岸田内閣が政権担当能力を無くしている証拠を示しているだけなのだが。

 また、朝に「岸田首相、内閣改造の方針を固める」の報が流れると、昼の官房長官会見で否定。それでもマスコミ各社は構わず記事を流し続けた。文字通り、朝令暮改だ。

 ということで、政治に明るい話題が無いなと思っていたら、文化では清々しい話題が。

◆羽生九段が最強の藤井五冠への挑戦権を得たという快事

 今の将棋界で最強の棋士は、藤井聡太五冠なのは衆目一致だ。その藤井五冠が持つタイトルの一つ、王将に羽生善治九段が挑戦を決めた。

 王将戦は1年をかけて予選を戦い、決勝リーグは7人で争う。強豪ぞろいで、藤井五冠の他に「四強」と言われる、渡辺明名人、永瀬拓也王座、豊島将之九段も顔をそろえる。この王将戦の挑戦者決定リーグを羽生九段は全勝で勝ち抜けた。もっとも最終戦は4勝1敗で追う豊島九段が相手だったので、負ければ5勝1敗の同星で、プレーオフとなった。どうなるか展開がわからなかった薄氷の勝利だったのだ。勝負の世界では「結果は大差に見えるが、中身は僅差」ということはよくある。

 20歳にして「史上最強」との呼び声が高い藤井五冠に、明らかに絶頂期を超えた52歳の羽生九段が挑む。将棋は競技可能年齢が高いとはいえ、基本的にスポーツと同じで若い方が強い。脂が乗っている棋士をなぎ倒し、最強の藤井五冠への挑戦権を得た。それだけで快事ではないか。

◆驚異的な復活力で30年間君臨し続けた

 ちなみに、羽生の前に時代を築いた中原誠十六世名人は引退前まで「羽生さんと大舞台(タイトル戦)で戦いたい」と述べていたが、果たせなかった。

 かつての羽生九段は、当時将棋界に存在した七つのタイトルを全冠制覇。七冠王になったこともあり、その時は一般マスコミにも大きく取り上げられた。一方で将棋界では「羽生さんは負けた時だけがニュース」と言われたものだ。それを30年間続けた。

 では、なぜ続けられたかと言うと、驚異的な復活力だ。

 羽生九段は、15歳の時にプロに。中学生棋士は、史上5人しかいない(他に加藤一二三九段、谷川浩司十七世名人、渡辺明名人、藤井五冠。全員が名人経験者で、藤井五冠も今年は史上最年少名人の記録がかかる)。

 若い頃は、強引な攻め将棋。力で押し潰す。強敵と当たって不利になった時は、普通の棋士なら諦める局面で、どんなに屈辱的な展開になっても諦めない。そうすると相手が間違え、勝ちを逃す。いつしかその逆転術は、「羽生マジック」と呼ばれるようになった。

◆「歴代名人すべての長所を兼ね備えている」

 ベテラン棋士からは「将棋に品が無い」などとも言われたが、先入観にとらわれず最善手を追求する姿勢は他の棋士の模範となっていく。

 オールラウンダーで、あらゆる戦法を指しこなす。「歴代名人すべての長所を兼ね備えている」とも言われ、攻めにも守りにも強く、特定の勝ちパターンを持たない。いかなる形にも対応できる。水のように、柔らかく曲線的に包み込むが、時に激流にもなれる棋風へと進化していった。

 19歳の時、名人と並ぶ将棋界最高のタイトルである竜王を獲得。頂点を極めた。これでもまだ発展途上。

 翌年、谷川浩司に敗れる。この時は谷川との力の差は歴然だった。しかし、敗れたが1勝4敗。「その1勝が大きかった」と羽生自身が語っている。2年後に挑戦、今度は4勝3敗1引き分けの末に竜王を再奪取。以後、27年間無冠にならない。

◆羽生は同じ相手に3年連続負けなかった

 24歳で名人を奪取。名実ともに棋界の第一人者となった。

 26歳で、七冠独占。これは「相撲にたとえると横綱が1年間6場所全勝優勝したような偉業」と称えられた。だが、実は七冠制覇に一度失敗して翌年に達成している事実は知られていない。六冠を達成、谷川浩司王将に挑戦したが敗れた。しかし、そこから一年間、六冠を保持。そして翌年、谷川にリベンジを果たしたのだ。つまり2年間で14のタイトル戦全てに登場、13回勝った。

 18年間「無敵時代」を築いた大山康晴15世名人もそうだったが、仮に一度負けても翌年に必ず勝つ。同じ相手に二年連続は負けないので、第一人者で居続けられた。

 羽生の場合は、同世代に強敵が多く、名人就任者だけで他に3人(森内俊之、佐藤康光、丸山忠久)。「羽生世代」とも言われ、これほどの強豪が同世代に集中するのは将棋の歴史500年で、この世代だけ。

 世代のトップでいるために、羽生は同じ相手に3年連続負けなかった。リベンジマッチは受けて立って勝つ。自分のリベンジマッチは勝つ。負けても3回目で勝つ。いつしか、対羽生戦の勝率が5割に迫ると「羽生キラー」と呼ばれるようになった。

◆二冠だと不調と言われる、感覚が麻痺するような超一流棋士に

 羽生世代で最大のライバルは、小学生の将棋大会以来のライバルである、森内俊之十八世名人だ。

 ’97年の時点で羽生が名人3期。羽生の失冠後の’03年に森内が初の名人奪取だが、翌’04年に羽生が勝利。この時点で羽生が4期、森内が1期。名人5期で永世名人なので、誰もが羽生が先になると思っていた。ところが翌’05年から森内が4連覇し、先に十八世名人に。羽生は十九世名人。

 ’03年から’16年までは羽生と森内のみが名人を奪い合う「2人の世界」と呼ばれ、引き離されない。結果、羽生は名人9期。森内は8期。トータルでは羽生の勝ちか。

 ちなみに将棋のタイトルは1期とれれば一流棋士。羽生の場合は二冠だと不調と、感覚が麻痺するような超一流棋士となった。

◆「さすがに終わった」と思われていた羽生に100期の夢がかかる

 将棋は完全に実力の世界。上を突き上げ、下を叩きのめし、実力で30年の全盛期を築いた。

 そんな羽生も、’18年に三冠すべてを失い、無冠となった。その後は不調が続き、「さすがに終わった」と思われていた。しかし、そこから這い上がった。現在タイトル99期、100期に夢がかかる。

 という記事を書いていたら、ワールドカップで日本がドイツに勝った。超大番狂わせだ。

 ならば次の日銀総裁に若田部昌澄副総裁の昇格があってもおかしくない。などと考えてみる。

―[言論ストロングスタイル]―

【倉山 満】

’73年、香川県生まれ。憲政史研究者。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している。主著にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』や、『13歳からの「くにまもり」』を代表とする保守五部作(すべて扶桑社刊)などがある。『沈鬱の平成政治史』が発売中

2022/12/5 8:53

この記事のみんなのコメント

1
  • 観音寺六角

    12/5 18:27

    アナログVSデジタル🤔どちらが勝つだろうか?将棋の戦いの方が心理的にイメージがいいからな😶日本がどことも対局することがないことを祈るまでだな

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