敗因はどこにあるのか/島田明宏

【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

 昨日は東北新幹線で郡山、今日は東海道新幹線で京都に行ってきた。明日は東海道線で鎌倉である。

 これだけつづけて遠出したのはいつ以来だろう。

 今、京都から東京に向かうのぞみの車内販売でコーヒーを買った。私は、コーヒーを飲むときはいつも、ミルクをチョボチョボすすりながら味わっている。非常にお行儀が悪いのだが、ミルクもコーヒーも1.5倍増しに美味くなる。

 いつからこんな飲み方をするようになったのか、思い起こすと、コロナ禍が深刻になった一昨年の秋ぐらいからだ。他人と距離を置くようになり、少々おかしなことをしても露顕しづらくなったからか。それだけではなく、マスクをして外出するようになったのでヒゲを剃る頻度が低くなるなど、総じてだらしなくなった。

 こんなふうにだらしなくなったことが人生における敗北だとしたら、私の「敗因」はコロナということになるのか。それとも三密回避やマスク着用ということになるのだろうか。

 サッカーW杯日本代表のコスタリカ戦の「敗因」にしても、吉田のふわりとしたパスなのか、その前の伊藤のヘディングなのか、権田が片手ではなく両手で弾きに行ったことなのか、それとも、ああいう展開になった戦術なのか、起用法なのか、そもそも代表の選び方なのか……と、どこまで遡ればいいのか、難しい。

「敗因」というのは、勝てると思われていた側に関してあれこれ言われるものであって、もともと勝てる可能性の低かった場合にはあまり云々されない。

 評価を誤り、本当は負ける要素満載だったのに勝てるものだと思い込み、「お前のせいだ、どうしてくれるんだ」と怒るケースもままあるだろう。

 ジャパンカップのシャフリヤールの「敗因」はどうか。敗れたといっても、勝ったヴェラアズールとは3/4馬身差の2着だった。しっかり走って力を出した、とも言える。勝ち切れなかった要因をしいて挙げるなら、15番枠からの発走だったため、スローで団子状態になった馬群の内に潜り込めず、後方の外々を回らされたことか。ただ、それも、6番枠から出て内の経済コースで脚を溜めることができたヴェラアズールと比較したうえでの「敗因」である。

 今回の場合は、シャフリヤールが何らかの「敗因」を抱えたというより、ヴェラアズールが非常に効力のある「勝因」を得た、というほうが正解に近いように思う。

 では、5着に終わったダノンベルーガはどうか。中団外目からの競馬となり、内と外とで馬場状態に差がなかったため、コースロスなく立ち回ったヴェラアズールやヴェルトライゼンデに及ばなかった。であるから、シャフリヤールのケースに近い。ラスト100m付近でそのシャフリヤールに寄られて下げる不利もあったが、突き抜けるだけの脚があれば挟まれていなかったはずだ。あの不利がなかったとしても、よくて4着か、もう少し差を詰めた5着止まりだっただろう。

 これは、プロ野球の野村克也元監督の言葉である。なるほど、サッカーW杯のドイツ戦とコスタリカ戦にも当てはまるし、競馬にも同じことが言えそうだ。

 次に紹介するのは、「文壇の大御所」と言われた菊池寛の「我が馬券哲学」のひとつである。

「敗因」になり得るものを抱えていても勝つこともあるし、案の定、それが「敗因」となることもある。「不思議の勝ち」と、「なるほどの負け」がある。ノムさんと菊池寛は同じことを言っているわけだ。

 今年のジャパンカップのあと、敗戦の弁として「前が詰まったこと」に言及した騎手が何人もいた。が、勝ったヴェラアズールだって何度も前が詰まっていたのに、「敗因」にはならなかった。また、芝を使われるようになってからの過去5戦の強さを見ると、「不思議の勝ち」でもなかったことがわかる。陣営は有馬記念を見据えているようで、恐ろしく豪華なグランプリになりそうだ。

 さて、ないはずの「不思議の負け」だが、エフフォーリアの大阪杯と宝塚記念は、もっかのところ、それに近い。

「敗因」が明らかになれば「不思議の負け」ではなくなるわけで、それはメンタル面なのか、フィジカル面なのか、それらの複合要因なのか。いずれにしても、有馬記念でまた以前のようなパフォーマンスを発揮してくれれば、大阪杯や宝塚記念との違いが浮き彫りになるはずだ。

「不思議の負け」のまま終わってほしくない。終わらないことを願っているし、信じたい。

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2022/12/1 21:00

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