人骨から解明される残酷な死7選! 暗殺、処罰、生贄…古代社会の謎に迫る

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 何世紀も前の人骨が発見されることで、当時の社会で行われてきた暴力や信仰されてきた宗教に関する手がかりを得られる。一方で、人骨から明確に情報を得られるとも限らない。このような謎に満ちた残酷な死を7例紹介しよう。

暗殺者集団に殴り殺された男

 2017年、スコットランド・ローズマーキーの洞窟で、約1,400年前に殺害されたとされる30代男性の骨が発見された。男性は、同国ハイランド地方を支配していた強大な部族ピクト人だった可能性が高い。法医学的検査の最中に彼の顔が復元され、その顔がハンサムだったことから、「ローズマーキーの男」として世界的にも話題となった。

 ローズマーキーの男は強靭な肉体を有していたため、暗殺者集団の巧妙な方法によって殺害されたとみられている。暗殺者の最初の3回の打撃で歯が折れ、後頭部と顎を骨折した。4回目の打撃は頭蓋骨が飛び出るほどで、さらに5回目の打撃が加えられた。彼は残酷に殺されたものの、埋葬は丁寧だった。特に、洞窟への埋葬は、「冥界への入り口」に遺体を安置する儀式だった可能性があると指摘される。

 2019年の研究では、ローズマーキーの男の生前がより具体的に解明された。死因となる外傷以外の傷がなかったことから、彼は戦士や労働者ではなかった。さらに、豚肉しか食べていないという、当時としては異常に高タンパクな食事をしていたことも判明した。このことは、彼が王族か酋長だったことを示している。

窒息死した子供の骨

 2018年、イタリア・カンパニア州ポンペイ遺跡で、考古学チームは古代都市の中央浴場を再調査した。19世紀には「完全に発掘された」と考えられていた場所だが、スキャン機器を利用したことによって、7~8歳の子供の骨が下層の土壌に埋まっているのが発見された。

 子供は死亡時一人だったことも判明した。家族がどこに行っていたのか、何が原因で子供が死亡したのかなど、当時の状況は明らかになっていない。しかし、子供は何かに怯えているようだった。

 研究者たちは、79年のヴェスヴィオ火山大噴火で発生した火砕流で子供が死亡した可能性があると指摘する。灼熱の灰が建造物の上に堆積し、窓からも流れ込み、子供は窒息死したと考えられる。この噴火では、当時2万人だった人口のうち約2千人が死亡したという。発掘された子供もその一人だったのかもしれない。

マヤ文明の謎を解明するトロフィーの頭蓋骨

 2019年、ユカタン半島の付け根にあるベリーズ・パクビトゥンで、マヤの戦士の墓が発見された。この墓には、戦利品である頭蓋骨2個も埋葬されていた。どちらもネックレスとして着用できるように加工され、装飾されていた。1つには「トロフィーの頭蓋骨」を意味すると考えられる象形文字が刻まれていた。これらの頭蓋骨は、マヤ文明最大の謎を解明する手がかりとなるかもしれない。

 マヤ文明の最盛期は3~10世紀の古典期とされ、社会や政治体制、建築、軍などが整備され、何百年にもわたって栄えた。しかし、8世紀からの150年間で急速に衰退した。その理由は現在でも解明されていないが、干ばつや暴力、人口過剰、権威の弱体化などが複雑に絡み合った結果であるというのが定説である。

 パクビトゥンで発見されたトロフィーの頭蓋骨は、他の頭蓋骨とともに、戦争によってベリーズを含む南部の都市が不安定化したことを示している。トロフィーの頭蓋骨は、発見された場所にかかわらず、ほとんどが北部の人々の所有物で、南部の人々の遺体から作られた。北部の民族は、衰退している南部の王朝を滅ぼすために移動したと考えられる。

プロの殺し屋に刺殺された男

 2019年、シチリア島で考古学チームが30~40歳の男性の遺体を発見した。チームは、遺体がうつ伏せの状態で発見されたことに違和感を覚えた。というのも、中世シチリアではこのときまで、うつ伏せの遺体が発見されたことはなかったからである。

 調査の結果、男性は11世紀に何度も刺されて死亡したことが判明した。彼の遺体が埋葬されていた墓は、穴が浅く、副葬品もなかった。さらに骨格をスキャンしたところ、彼はひざまずいた姿勢で、背後から少なくとも6回刺されたことが明らかとなった。

 彼を殺害したのはプロの殺し屋である可能性が高い。心臓を何度も突き刺して、素早く確実に死に至らしめたとみられるからである。男性は、抵抗できないように長いロープで結ばれたのか、両脚がぴったりとくっついていた。研究者は、遺体や埋葬の状態から、男性が無法者であった可能性があるという見解を示している。しかし、彼がどのような人物だったのかは現在も謎のままである。

馬上槍試合で死亡した騎士

 1997年、スコットランドのスターリング城から約12体の人骨が発見された。そのうちの1体は、1388年のトーナメント中に死亡した英国人騎士のものだった。12~16世紀に西欧で流行したトーナメントでは、「馬上槍試合」と呼ばれる模擬戦争が行われた。槍などの武器と鎧兜を装備した騎士たちが馬に乗って実際に戦った。

 発掘された遺体のうち1体は、ロバート・モーリーと呼ばれる、20代半ばの筋肉質な騎士のものだった。遺体の傷から、モーリーはトーナメントを含む厳しい生活を送っていたことが判明した。胸に矢が刺さったり、斧が頭蓋骨を陥没させたり、馬から転落して数本の歯を失ったりした痕跡も見られるからである。数々の傷を負いながらも生き延びたモーリーだったが、顔に剣が突き刺さり、鼻と顎が引き裂かれたことで死亡した。地面に横たわっているときに致命傷を負ったとみられている。

手足を切断された遺体

 2001年、ポルトガル・アレンテージョ地方エヴォラ県エストレモスにある遺跡で、100人近くの遺体が発掘された。ほとんどの遺体は自然死と見られるが、3体は手足が切断されていた。切り落とされた手足は、胴体の下や横に置かれていた。

 犠牲者は生きながら切断されたと考えられる証拠もあった。遺体には、斧か剣で手足を切り落とされた以外の外傷はなかった。このことから、彼らは出血多量で死亡したと考えられる。

 13~15世紀にかけて、18~35歳までの3人が何者かに憎まれ、手足を切り落とされたのは事実だが、その切断の理由は不明である。中世の法律には、重大な犯罪の刑罰として切断があったので、遺跡から発掘された3人は犯罪者だったのかもしれない。

生贄にされた子供

 近年、ペルー・フアンチャコのパンパ・ラ・クルス遺跡で子供の骨が大量に発見された。同地域には850~1470年頃、チムー王国が存在し、月を信仰し、精巧な金属加工を行うチムー文化が栄えた。1465~1470年にかけて、チムー王国はインカ帝国に征服され、文化や技術はインカに吸収された。

 2019年には、遺跡を調査していた考古学研究チームが、子供137人、成人3人、ラマの赤ん坊200頭以上の骨を発掘した。人骨には心臓が取り除かれた痕跡があり、生贄にされた可能性が高いと考えられている。

 遺跡は15世紀の食肉処理場と見られていたが、通行人が砂から露出した人や動物の骨を発見したことから、発掘調査が行われることとなった。最初の調査では、子供43人とラマ74頭の骨が発見された。2019年の発見は、この調査から数年後のことだった。さらに2022年には、子供76人分の骨が新たに発見された。

 殺された5~14歳までの子供は海の方を向いていて、ラマは山の方を向いていた。大規模な儀式殺人の理由は不明である。しかし、骨に大量の泥が付着していたことから、雨季は壊滅的な被害を受けたため、神々の怒りをなだめるために生贄を捧げた可能性が高いとされる。

動画は、「YouTube」より

参考:「Listverse」、ほか

  • 11/13 11:30
  • TOCANA

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