新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【20】馬場と猪木「オールスター戦会見」での舌戦

 1979年3月8日、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の会談が東京・六本木の中華店「梅紅」で実現した。2人で同じテーブルに着くのは71年11月に日本プロレスの改革について話し合って以来、実に7年5カ月ぶりだった。

 2人を引き合わせたのは、東京スポーツ新聞社の高橋典義編集総長と櫻井康雄運動部長。この年、東スポは創立20周年を迎え、記念事業として全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレスが一堂に会する「プロレス夢のオールスター戦」を企画したのだ。

 当時の日本プロレス界の状況は、新日本と国際は対抗戦を行い、過去に交流していた全日本と国際の関係も問題なし。ネックになっていたのは旗揚げから企業戦争を続けてきた全日本と新日本の関係だ。馬場と猪木が首を縦に振らなければオールスター戦は実現しないのである。

 そこで東スポは2月に馬場と猪木を個別に本社に呼んで協力を依頼。二つ返事で協力を約束した猪木に対して、馬場は義理のある東スポの打診を無下にすることはできず、「前向きに検討します」と答えた。

 それを踏まえて東スポは馬場と猪木を引き合わせたのである。高橋編集総長と櫻井運動部長は40分間席を外して2人だけにしたというが、戻ってきたら和やかに昔話をしている馬場と猪木を見て、櫻井運動部長は「これなら大丈夫」と確信したという。

 そして老舗の国際の吉原功社長にも協力を依頼。3団体の基本的合意を得た上で、東スポは5月23日付の1面で「三団体に〝初対決〟実現か、馬場・猪木戦」という記事をぶち上げた。

 だが、いざ公にしてから難航した。馬場と猪木が3月に会談していることを知らない東スポ以外の報道陣は、馬場の出方に注目していたが、馬場の口から出た言葉はかなり厳しかった。

「3団体協力といっても、そう簡単にいかない部分がある。各団体との過去の経緯もいろいろあったから。猪木の挑戦を受けないと言っただけで『もう永久に全日本プロレスは相手にしない。同じリングに上がることもない』とまで新日本の関係者に言われたこともあった。そこまで言われた相手と同じリングに上がるのは抵抗があるし、今回の東スポの企画を実現させるためには、新日本と猪木が過去の問題をクリアするのが第一だと思う。そうなれば俺も前向きに考える」と、とても猪木と和やかに話したとは思えない言葉が飛び出したのだ。

 こうした状況の中、6月14日に東京プリンスホテル「紅梅の間」において午後12時30分から馬場、猪木、吉原の3代表が出席しての「プロレス夢のオールスター戦発表会」が行われたが、ここで問題が噴出した。

 当初は午前11時30分から3代表と東スポの本山良太郎代表、高橋総長、櫻井運動部長の最終的なミーティングが予定されていたが、巡業先の山形から朝一番で戻る予定だった馬場が搭乗した飛行機が悪天候のために大幅に遅れ、馬場が東京プリンスホテルに到着したのは会見12分前。

 ここで本山代表はメインイベントのカードを馬場vs猪木にすることを最終確認したが、馬場は「やることについては基本的には賛成だけれども、そのための筋道が必要だし、過去の経緯もクリアしないと」と難色を示し、本山代表が「どうしても無理な場合は、馬場さんと猪木さんでタッグを組んでもらうというプランはどうですか?」と持ちかけた。すると今度は猪木が「それは安易な発想じゃないですか? その場合はタッグ結成後に馬場vs猪木を確約するような念書を作ってもらいたい」と反論。これに馬場が「そんな約束はできないよ」と拒絶。発表会見直前に馬場と猪木の主張は平行線に。

 長老の吉原氏の「今日のところはカード発表を控えて、とりあえず東スポさんが企画したオールスター戦に3団体が合意したという発表だけにとどめたらどうですか?」という提案を東スポも了承し、予定より13分遅れの午後12時43分から記者会見がスタートした。

 結局、ここで発表されたのは、8月26日の午後6時30分から日本武道館で「プロレス夢のオールスター戦」を開催するということだけで、あとはギクシャクぶりを露呈。

 過去の経緯のクリアについて聞かれた猪木は「絶対にやらないと言っていたことが、それらの問題をクリアするならば、やってもいいということは大きな前進だと思います」と前向きに答えたが、馬場は「まあ、クリアできたら結構です。そう簡単に解決できないと思うけれども、猪木選手が〝解決しよう〟と言っているのだから、話し合いは無駄ではないよ。ただ、それでも8月26日までには間に合わないと思うよ」と手厳しい一言。

 これには記者団から思わず笑いが漏れた。

 何年にもわたって挑発し続けてきた猪木が正式に謝罪しなければ、この計画は一歩も進まない状況に持ち込んだ馬場。駆け引きでは一枚上だった。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

2022/10/2 18:00

この記事のみんなのコメント

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  • トリトン

    10/2 19:34

    確かに今のプロレスのレスラーは本当に頑張ってるのがわかるが、外道とかレフリーなんか昔なら反則負けになるのもないし、軍団抗争考えてると思うが、昔のプロレスならいつまでも心に残るのに今のプロレスは気のせいか、残らないのだよね必殺技も昔なら決まる技を連発まあ今のファンにはたまらないのかもしれないが、でも三沢の時プロレス見てなかったがYou Tubeでいま見てもすごいなと感じますからね。

  • AC/DC

    10/2 18:58

    馬場も猪木もいない、鶴田、長州、藤波、前田もいない、高田、三沢、小橋、武藤、橋本に蝶野も今は昔。そんな全日と新日などクリープを入れないコーヒーと同じだ。なんて古い例えを持ってきてしまう昭和のプロレスファンが何を言うと言われてしまえばそれまでだが、時代と共にレスラーが小粒となっていることは間違いない。戦争する前に合体しなされ。それでも小粒なんだから。

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