「もしかして、夫はケチ?」結婚1年で違和感を感じた妻。挙式も婚約指輪もなかったし…
お金も時間も自由に使える、リッチなDINKS。
独身の時よりも広い家に住み、週末の外食にもお金をかける。
家族と恋人の狭間のような関係は、最高に心地よくて、気づけばどんどん月日が流れて「なんとなくDINKS」状態に。
でも、このままでいいのかな…。子どもは…?将来は…?
これは、それぞれの問題に向き合うDINKSカップルの物語。
▶前回:「バレてないと思ったのに…」夫と一緒にいてもスマホが気になる妻。こっそり見ていた、意外なモノ
梓・29歳。夫はミニマリスト【前編】
「今日もお掃除が楽チンだなぁ」
ある休日のお昼前、四ツ谷駅徒歩5分の賃貸マンション。
55平米・1LDKのリビングを、私は上機嫌で片付けていた。
片付けといっても、やることはほとんどない。
ルンバを走らせながら、ローテーブルを拭き上げたり、1つだけ置いている観葉植物の手入れをするくらいだ。
財閥系大手メーカーで働く夫・雄司はいわゆるミニマリストだ。必要最低限のモノだけを揃え、それ以外は手元に置かない主義。だから、この部屋にはほとんど無駄なモノがない。
PR会社で働く私は、もともと特にそういった主義は持っていなかった。けれど26歳の時にマッチングアプリで雄司と出会い、2年付き合って結婚した。結婚して1年の今は、すっかり“持たない暮らし”に染まっている。
「梓、掃除終わった?出かけられそう?」
水回りの掃除をしていた雄司が、カウンターキッチンから顔を出す。
「うん、もう行けるよ」
今日は雄司の姉・舞子さんとランチの約束をしている。
真っ白いTシャツにデニム姿の雄司と、生成色のワンピース姿の私。
2人で一緒に家を出た。
「雄司、梓さん。久しぶり!」
神楽坂の『クレイジーピザ アット スクエア』に着くと、舞子さんは既に到着していた。白ワインの入ったグラスを片手に出迎えてくれる。
「姉ちゃん、久しぶり」
「ご無沙汰してます」
言いながら、席に着く。舞子さんと同じグラスワインをオーダーし、白カビチーズをつまみに乾杯した。
「あなたたち、相変わらずシンプルな格好ねえ」
「姉ちゃんが派手すぎるんだよ」
32歳の舞子さんは、全身ハイブランドで固めている。
隣の椅子に置いているのは『ボッテガ・ヴェネダ』のミニジョディ、胸に引っ掛けたサングラスも同じボッテガのものだし、ほっそりした指には『ブシュロン』のキャトルが光っている。
身につけているゆったりとしたシルエットのオールインワンも、上質そうに見える。
「商社総合職としてバリバリ働いてるんだもの。自分を甘やかさないとやってられないじゃない?」
「ホント、俺と対極の生活してるよな。同じ家で育ったとは思えない」
シグネチャーメニューの5種チーズピザ「クレイジーチンクエフォルマッジ」を味わいながら、雄司が肩をすくめる。
舞子さんと雄司の父親は、2人が10代の時に事業に失敗し、大きな借金を負ったそうだ。そのせいでお金に苦労したという。
2人とも奨学金を借りて、舞子さんは東京外国語大学を、雄司は一橋大学を出た。
社会に出た後、舞子さんは「ずっと貧乏だったからお金を使うのが楽しい」とショッピングを楽しむ一方、雄司は「二度とあんな思いはしたくない」と倹約に励む――そんな対照的な人生を送っているようだ。
「それにしても、梓さんも雄司に影響されてミニマリストになってるなんて、意外だわ。初めて会った時から、ずいぶん雰囲気変わったよね」
「たしかに、服装は変わりましたね」
「雄司に合わせて、無理してない?」
舞子さんが心配するのも無理はない。
私が初めて彼女に会ったのは、3年前――雄司と付き合いだしてすぐの頃だ。
その頃は、当時流行していたラベンダー色のブラウスに、タイトなシルエットのレーススカートをよく着ていた。今は、流行を追いかけるとシーズンごとに買い足す必要があるので、シンプルな服装になった。
「この生活が気に入ってるんです」
私は自分に言い聞かせるように言う。実際、本音でもある。
雄司と知り合った26歳の頃、私は今より経済的に苦しかった。
法政大学を出て就職した青山のPR会社での仕事は、やりがいがあった。でも、年収はたった450万円。コロナ前で第一次結婚ラッシュでもあった当時、毎月のように結婚式に呼ばれ、ご祝儀にオケージョンスタイルにと、出費はかさむばかりだった。
おまけに、学生時代から付き合っていた彼氏にもフラれ…そんなとき、新しい恋を求めて登録したアプリで、雄司に出会ったのだ。
彼の暮らしぶりを知っていくうちに、「これだ」と思った。
オシャレを追求することをやめて、生活の無駄を削ぎ落とし、シンプルにしていく。
「私は持たない主義なの」と周囲に宣言すれば、新しいモノを持っていなくたって、ちゃんと言い訳が立つ。シーズンごとに服を買い替えるのをやめたら、心理的にも経済的にも、ずいぶん楽になった。
今は転職して収入が上がり、年収700万になったけれど、生活スタイルは変えていない。
「ホント、梓が“こっちの世界”に来てくれて、よかったよ。理解してくれる人って、なかなかいないからさ。それも結婚の決め手だったんだよね」
得意げに語る雄司に、無言で微笑み返す。
この暮らしも、彼の思想にも、不満はない。けれど…実は、引っかかっていることがある。それを、私は彼に伝えられていなかった。
帰り道。
スーパーで買い出ししたあと、四ツ谷のマンションまで、雄司と一緒に徒歩で帰る。
「舞子さん、いつ会ってもキレイだよね。明るいし、ゴージャスだし、ステキだなぁ」
「そうかぁ?俺はもっと、ナチュラルな雰囲気の方がいいと思うけどね」
「女性は、ああいう人に憧れるものなの!今日つけてた指輪も、かわいかったなぁ…」
言いながら、チラリと雄司の顔を見る。
しかし雄司は、私の視線には気づかない様子で、「だいぶ涼しくなってきたな〜」なんていいながら、空を見上げている。
私はそっとため息をつく。うつむくと、自分の左手が目に入った。
― やっぱり、婚約指輪だけは…プレゼントしてほしかったな。
舞子さんの指に輝くキャトルを見て、彼女のそれは婚約指輪ではないと知りつつも、モヤモヤとした気持ちが募った。
私の左手の薬指には、かなりマイナーな国内ブランドのマリッジリングが1つあるだけ。
雄司から「梓もすっかりミニマリストだから、婚約指輪はいらないよね?」と言われた時、反論できずに流されてしまったのだ。
当時は交際して1年ぐらいで、「雄司と結婚したい」という気持ちが強く、婚約指輪の1つで結婚への流れを止めたくなかった。今さら言い出せず、ここまできている。
― 結婚式もコロナでできなくて、フォトウエデイングだけになっちゃったし…。
友達の結婚式にさんざん参列してきたから、高級ホテルでのウエディングに漠然とした憧れがあった。
でももちろん、「必要最小限のモノに囲まれた暮らし」を志向する雄司が、それを望むわけもない。折衷案として、私たちは家族と近しい友人だけを招いたレストランウエディングを行う予定だったけど…コロナのせいで、中止になってしまったのだ。
― あの時、『結婚式ができないなら、せめて婚約指輪だけでも欲しい』って言えればよかったなぁ。
しかし、「浮いたお金で米国株を買い足そう!」とむしろ喜んでいる雄司に、そんなことは言いづらかった。
「ミニマリストってケチなのか?」とたまに思うこともあるけど、雄司との暮らしは、心地よい。
無駄にモノを多く持たないからか、色々なことがとてもスムーズだ。
小さなことかもしれないけれど、家事にしても出かける準備にしても、お互いに迷うことがないから、衝突も起きない。
でも、婚約指輪についてだけは…しっくりしない気持ちを抱えつつ、今に至っている。
◆
「梓、ちょっといい?これなんだけど…」
夕食にカレーをつくって食べた後。
キッチンを片付けていたら、ダイニングでMacBook Airを広げていた雄司に話しかけられた。
「前から話してたけど、俺、FIREに興味あってさ。ちょっと、このセミナーに一緒に行ってみない?」
「ああ…たしかに、前にそんな話してたね」
FIRE――“Financial Independence, Retire Early”という概念は、アメリカ発祥のものだそうだが、ここ数年日本でもよく取り上げられている。
60代、70代と言わず、人生のアーリーステージで資産を築き、経済的自由を目指すものだ。
以前から、雄司は「生涯働くのはイヤだ」と言っていた。
事業に失敗したあと、父親と母親が2人して働きづめの暮らしだったせいで、お金にも時間にもゆとりのない暮らしだったらしい。
ミニマルな暮らしを続けて資産を築き、FIREを実現できれば、経済的にも時間的にもゆとりのある暮らしができるのだと、彼は以前に熱弁していた。
「いいよ、一緒に行くよ」
そう言うと、雄司がパッと顔を輝かせた。普段は神経質な印象を与える白い顔が、心なしか紅潮している。
「やった。じゃあ、申し込んでおくから」
彼の、この表情が好きだ。ごくたまに、子どもに戻ったかのような、無邪気な顔をするのだ。
特別、FIREに興味があったわけではないけれど…。
「雄司のこの顔が見られたから、イイか」と、この時は軽く考えていた。
▶前回:「バレてないと思ったのに…」夫と一緒にいてもスマホが気になる妻。こっそり見ていた、意外なモノ
▶1話目はこちら:「子どもはまだ?」の質問にうんざり!結婚3年目、32歳妻の憂鬱
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夫とセミナーに行く梓。そこで、ある人と出会う。