安倍氏銃撃事件は「下級国民のテロリズム」?山上容疑者を支持する声が浮かび上がらせるもの
安倍晋三元首相の銃撃死事件を巡っては、凶行に及んだ容疑者・山上徹也に極刑を望む意見がある一方で、その不幸な生い立ちから擁護する声も上がっている。ネット上に溢れる言葉は、同情、共感、憧れ、好意……と、どれも殺人者には不似合いなものばかりだ。この熱狂の正体は何なのか。8月23日発売の週刊SPA!では山上容疑者を通して、現代社会の闇に光を当てる特集を組み、さまざまな人の声を拾った。
◆山上徹也は新しい「下級国民の神」か
「山上容疑者は、経済的・社会的弱者にとってのダークヒーロー、“下級国民の神”になりつつあると感じます」
そう話すのは、作家の橘玲氏だ。ネットから生まれた「下級国民」という言葉の定義は多々あるが、ここでは本来は社会の主流派(マジョリティ)であるはずなのに、社会からも性愛からも排除され、「いつのまにか底辺に追いやられた」と感じている人たちを指す。
「アメリカで最初に登場した“神”は、’14年5月にカリフォルニアで起きた銃乱射事件の犯人、エリオット・ロジャーです。ネットのインセル(非モテ)向け掲示板で活動していたロジャーはYouTube動画などで犯行声明を公開。『社会や女性への復讐』という動機に共感が集まり、模倣犯が次々と現れた。
日本ではそれに先立って、’08年の秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大について、ネットの一部で“社会に復讐を果たした神”などと呼ぶ声がありました」
◆「人はここまで孤独になれるのか」
橘氏は銃撃事件を「下級国民のテロリズム」と表現する。
「山上容疑者は映画『ジョーカー』に強い関心を示し、私の解説記事も読んでいたようです。私はそこで、社会から排除された白人男性の主人公が絶対的な悪へと変貌する物語を『下級国民の反乱』と述べました。山上も自身の境遇をジョーカーに重ね合わせたのではないでしょうか。
報道を見ても、自衛隊退官後に複数の職場を転々としていた時期の同僚や友人の証言がほぼ出てこず、本当に誰とも交流がなかったのかもしれない。人はここまで孤独になれるのかと、考えさせられました」
◆山上への共感の増加は「推し活」でもある
山上容疑者を崇拝する声があるのは、“下級国民”が増え続ける日本の縮図でもある。
「リベラル化・知識社会化が進む社会では、『自由な競争』や『自分らしく生きる』ことが至上の価値とされる一方で、競争に敗れた者は『自己責任』として社会の底辺に追いやられる。こうして“ルサンチマンを抱えた弱者”が増えていけば、いったい何が起きるのか……怖さを感じます」
ただ、山上容疑者に惹かれて崇拝する声には、“推し活”的な空気も感じるという。
「山上容疑者へのネットの称賛の声には、『こんなの(殺人者)を推すのってバカだよね、だけどそういう自分が好き』という、まさに推し活のノリも感じます。減刑を求める署名運動も、そのひとつと言えるのではないでしょうか」
◆善悪二元論だけで片づく話ではない
一方で、「統一教会に私怨を抱き長年の恨みを果たした」という単純なストーリーで事件を理解しようとする風潮には、疑問を抱いている。
「むしろ、社会から徹底的に排除された山上容疑者が、『なぜこんなことになったのか』と人生を遡った結果、『すべての原因は統一教会だ』と思い込むようになったのではないでしょうか。カルトに家族を壊された人たちはたくさんいるものの、そのほとんどは犯罪とは無縁なのですから、『統一教会=悪、山上=犠牲者』という善悪二元論だけで片づく話ではないと思います。今後はメディアも含め、慎重な議論が必要となるでしょう」
殺人は決して許されない。だからこそ、一人の41歳男性の孤独や絶望を生んだ社会の問題に目を向ける必要がある。
【作家・橘 玲氏】
’59年生まれ。’02年、小説『マネーロンダリング』でデビュー。『無理ゲー社会』(小学館新書)などベストセラーを多数執筆
取材・文/週刊SPA!編集部
※週刊SPA!8月23日発売号の特集「安倍銃撃男[山上を崇拝する]社会の闇」より
―[安倍銃撃男[山上を崇拝する]社会の闇]―
トリトン
9/1 17:45
明治維新のアホの民たちの考えと同じ殺してもいいとはとんだアホが増えたものだよな。暗殺しまくって今の腐った世間になったことすら考えない、朝鮮人の考えることを忘れるか考えることのできない昭和の人より劣化したクソどもが増殖してるね。
おこそほのともよろを(スマホ買い替えました)
8/25 13:21
山上容疑者も社会への不満があったようだ。だけど殺人はダメ。
おこそほのともよろを(スマホ買い替えました)
8/25 13:20
無差別に襲うのはどうかと思う。