「絶望犯罪」が増える冷たい世の中で、弱者が生き残る術/だめ連

ロシアによるウクライナ侵攻など、国家間の戦争が重い問題として浮上している。一方で、日常生活の世界でも大阪の心療内科への放火や京王線の「ジョーカー」事件など、周囲を巻き込んで図る「拡大自殺」とでもいうべき事件も発生する昨今。世の中、どうしてあまりにも暗くしんどいのか、どう打開できるのか? 90年代以降、社会でよしとされる価値から距離を置く生き方を模索してきた「だめ連」の2人が、トークの中から考える。

◆「絶望犯罪」が生まれる背景とは

ぺぺ:ちょっと前の「SPA!」の特集が、「会社がツライ」。内容はグチのオンパレードなんだけど、とにかく辛すぎる、と。産業カウンセラーが「ここは我慢してください」とかいろいろと言っているわけだけど、もうもろもろがリミットに来ている。ただ首を括るか、なんかやらかすか、ということになっている。

神長:自殺する人もいれば、「拡大自殺」で周りを巻き込む事件も起きている。行き詰まって、生活が立ち行かなくなるのが、犯罪の背景にはある。「絶望犯罪」とでもいうべき犯罪。仕事もうまくいかない、つけない、展望がなくなる。借金があることだってある。やっぱり生活保護が重要。生活保護を取りやすくして、なおかつバッシングされないようにする必要がある。競争からこぼれ落ちる人は絶対にいるから。

ぺぺ:新自由主義的な経済システムの崩壊というのはあるはずだけど、決定的なのは、大阪の心療内科に放火した事件、あの犯人が生活保護を断られていた。生活保護を断られて犯行に及ぶ、と言うのは決定的な事件では。

神長:犯罪ってだいたい生活に行き詰まって起こる。そして、希望が持てない社会ということも大きい。

◆「カネを持ってない人生はみじめ」という思い込み

ーー犯罪の発生件数自体は減っていますが、電車の中とかで目立つ、人の耳目を引くような犯罪をおこなう。そこに横たわっているものはなんでしょうか。

ぺぺ:それは格差や貧困が拡大して「社会の底が抜けてきている」ということのあらわれでは。もう持たない。

神長:社会の底はずっと抜け続けているけれども、その流れが加速している。

ぺぺ:格差との関連で言えば、上の方の階層はのほほんとやってるようにも見えて、「このぐらいやらないとわからないだろ、わからせてやる」という流れが社会の下層から出てきているのでは。「わからせる」という言葉にどういう意味を持たせるか、というのはあるけれども、たとえば、京王線のジョーカーの事件について今年2月に行われたトークイベントの参加者が「共感はするけど賛同はしない」という話をしていた。

神長:小田急線でも事件があったが、あれは「フェミサイド」とも言われていて、実際、女性に対する攻撃。犯人には「イケてる女の人を見るとムカつく」というようなのが動機にあった。勝ち組に対するルサンチマンというか、攻撃する側からすると女性がイケていて、楽しそうに見えるんだろう。

ぺぺ:それはそれでわからなくもない。

神長:いっぽうで、自分はイケてなくてすごくみじめ、生きていても意味がない、しょうがない、という感覚を持ってしまう。やはり、資本主義が抱える問題は大きい。資本主義のシステムに適応してカネを持っていないといけない、そうでない人生はみじめなんだ、ダメ人間なんだ、と思い込まされているというのはある。「生産性が高いかどうか」とか「経済的な意味で役立っているか」など、資本主義のものさしで価値基準を考えるようになってきてしまっている。

◆資本主義がもたらした“冷たい社会”

ぺぺ:そして、最近では資本主義に適応しているはずの平均的な人たちでも、「会社がツライ」になっている。

神長:資本主義社会で普通にやっていく、ということ自体のハードルが非常に高くなっている。いろんなことを我慢し、感情も良心も押し殺して労働しなくてはならない。

ぺぺ:社会がなんらかの限界に突き当たっていて、そのあらわれとして犯罪がある。

神長:資本主義の当然の帰結というか、非常に冷たい社会になっている。でもそれではだれも幸せにならない。自分だけよかれというエゴイズムの問題が出てきている。自分だけ得しようとか、競争のなかで相手を蹴落として生きていこうとすると、結局、回り回って自分もみんなも生きにくくなる。このような状況のなかで煮詰まっているところから、何人かが犯罪に走る、と。

ぺぺ:犯罪は特殊な人がやっているわけではないと認識した方がいい。社会の多くの人が、薄々そう思っているのではないか。

神長:小田急線の事件とかで、あれは「フェミサイド(性別を理由に女性を標的とした殺人)」だということで女の人が声をあげたけれど、それに対してバッシングが多くされた。でも、加害者とバッシングをする人間は同じ思考パターンなんじゃないのか。

◆ネット上に散見する“良心の欠如”

ぺぺ:おまえたちも同じだよ、というのがはっきりとにじみ出ている。

神長:ネットでも、声を上げた女性たちへのつっこみを入れる書き込みで「犯人と思考回路が同じ」という内容のものを見たことがある。同じなのはそちらでは、と思う。で、なぜ女性たちをバッシングするのか気になった人がいて取材をしたが、答えてくれる人があまりいなかった。結局、1人探し出したけれども、内容は、(該当記事あり)「そんな抗議をしたって我々なんて何をどうすることもできないだろうし、女性だから被害にあったと言っても何を言ってるのかなと、だったら犯人に言うべきことであってデモなんかするのはお門違いだろう」とかいうもの。こういう「批判」はほかのデモなどに対してもあって、「デモなんかやったって意味がない」など、そういうことをいう人は多い。けれども、こういうのは、端的に言って良心があんまりない人ではないか。さらに、女性の問題だと「女は黙っていろ」というような差別的な内容も出てくる。資本主義による人心の荒廃が、小学校の先生がいうような、あまりにもベーシックな話をしないとならない段階に来ている。

ぺぺ:これは新自由主義の時代の一つの帰結。新自由主義はもう終わったのかもしれないけど、人間の心はすぐには変わらない。それを引きずったまま、新しい状況に入っていく。

神長:資本主義社会は依然として続いている。

ぺぺ:けれど、決定的な危機には陥っている。

神長:問題は、だからそこでどうするか。資本主義に見切りをつけ、競争社会に巻き込まれないように「降りる」のがいいと思う。資本主義はやっぱり冷たい。こぼれ落ちる人もどんどん増えていくし、こぼれ落ちないためには大変な苦しみというか、自分の精神までも搾取される。生活はできても自分の心を売り渡さないといけない、それが激しくなっている。もう降りるしかない、他の生き方を模索するしかないでしょう。実際にそうしている人もいっぱいいる。資本主義的な価値観から距離をとって、もうちょっと違ういい感じのものを作って生きていこう、みたいな人がいっぱいいるし、増えてきている。

◆「友達を作る」はムリゲーなのか

ーー一方で、資本主義から降りるのが怖い、降りたところで自分がどうなるのかわからないという人もとても多いとは思います。

神長:たしかに、「イケてる人になれ」などという「だめプレッシャー」も大きいし、おれも老後どうなるかなどはわからない。けれども、大して収入はないけど、楽しく面白いことして生きている、という友達が一人でもいればちがう。助け合うこともできるし。

ぺぺ:同じく「SPA!」で見たんだけど、「40〜50代で友達がいない人が5割」というのがあって。これはなにが友達というハードルが上がってる感じのインタビューだったから、本当にそうかな、と思って。

神長:そういう人もいると思う。

ーー本当かもしれませんね。

ぺぺ:おれの親父も言ってた。「大学のうちに友達を作っておけよ、会社では友達はできないから」って。

神長:おれも言われてた。友達がいない人は多いと思うよ。

ーーサラリーマンになるということは、「人間関係を友情で作るということじゃない」ということを受け入れることだ、と思っている人は多いでしょうから。

ぺぺ:サラリーマンという設定がそう。

神長:時間も機会もないし、友達を作る、というのはむずかしい。

ーー資本主義社会から降りる、友達を増やす、といいますが、展望はありますか。

神長:(ロシアによるウクライナへの侵攻)で動乱期、なんだけど、資本主義の本性剥き出しとも崩壊とでもいうべき状況もずっと継続していて、生存的にも生きる内容的にもつらくなっている。資本主義から距離をとって別の生き方を模索していくしかない。現実的な話として、そういう人はすでにいっぱいいる。そんなに稼がなくてもいいから、精神的に楽しく豊かになって、それで世の中も少しずつよくなって、という感じでやっていく。そのあたりが展望では。勝ち組でも負け組でもなく、抜け組。そういう人は本当に色々いる。インディーズのミュージシャンなどで、バンドをやって、ある程度資本主義社会から降りてやってるんだけど、日本中に同じような仲間のミュージシャンとかがいてつながってたり。自給自足的に畑なんかを始めてる人も今は多いじゃないですか。中国では「寝そべり族」なんて人たちもでてきている。

ぺぺ:二、三人の鍋会でもいいから、言いたいことを言える環境がある、というのが大事。でも、そういったものがかなりなくなっているんじゃないか。「デモなんかやっても意味ないんだよ」ってネットで言う人とかって、自分が職場で誰の悪口も言えないと言うか、とほうもない無力感の中で生きていて、それがデモなんかやっても意味がないだろ、という話になるのでは。「おまえは直接自分を抑圧している人間の文句も言えないだろう、ならそんなことしか言えないだろう」とも思うけれども。そんな人間の在り方が支配的になっているというか。でもそれは奴隷の発想でしょう。2〜3日、奴隷根性という問題について考えている。動乱期に入ったから、動乱期の人の本を読むのが現実的かなということで、昨日も魯迅入門を読みながら、「奴隷根性の革命がなければ一切の革命がないかな」と。危機の時代から動乱の時代に入ったから、諸々一新せねばならん、と。

◆耳を傾けるべき「奴隷側の声」

神長:どう一新する?

ぺぺ:それは手探りで考えていくしかない。どう変わるかは誰にもわからない。だから、「どうしたいか」を考える。想像力の問題。最悪、第三次世界大戦が、とかメディアで普通に言っている状況のなかで。現実的な話として大事なのは、社会的な劣位に置かれているとされる人から学ぶこと。ホームレスだけどなんだか明るい、とか。

神長:ある種の開き直りとか重要になってくるけど、どう学ぶ?

ぺぺ:学ぶというのであればどんな人からでも学ぶべき。世の中、「偉大な経営者に学ぶ」「イケてる起業家のようになりたい」とかそういうのとかばかりだけど、そういうのではなくて。死ぬのがいいのかどうなのか、となった時に、でも世の中にはいろんな人がいるんだな、と考えられる感覚。そういった学び方のほうがリアル。

神長:言いたいことはなんでも言うし、やりたいことはなんでもやるというか。カネはなくても心を失わなければみじめじゃない、とか。そう言うように開き直れれば、言いたいこともやりたいこともできる。

ぺぺ:高円寺駅の北口にホームレスの人がいて、「飢えることはない」って言っていた。これは本当のことを言っている。まだ餓死するほどの状況ではないから、精神の瓦解の方が差し当たりリアルな問題。

神長:餓死する人も出ている。

ぺぺ:けれども、餓死も精神の崩壊とつながっている。たとえば、せっぱ詰まったときに二千円貸してくれる友だちがいればいい。それで米が買えるわけだから。

神長:精神の瓦解は重要な問題だ。希望が持てない。希望を持つにはまずは楽しい時間をすごすことが重要なんじゃないか。友達とカネをかけずに気取らずに遊ぶのがいい。ハイキングでもホームパーティーでも。自分の悩みとか今の世の中の問題点を語りあったりするのも重要だ。そういうところから少しずつ希望や展望が芽生えてくると思う。

ぺぺ:これは特集をしてほしいとも思ってるけれど、「コミュ力」「コミュニケーションスキル」などという問題設定は根本的に間違っているのでは。「コミュニケーションスキル」って、ビジネスの文脈で浮上してくるものだけども、コミュニケーションは、もともとそんなものじゃないだろうと思う。

◆内向型人間は“出会いの質”が高い

ーー「コミュ力」という言葉はある時期から多く流通するようになりました。しかし、それは技術の問題ではない、と。

ぺぺ:そういうことが言われているというのは聞いていたけど、ここまでとは思わなかった。

ーーしかし、状況がせっぱ詰まっていたり、コミュニケーションをとるのが難しいなど、いわゆる「厳しい」ところにある人ほどそういうのを作るのが大変なのでは。

神長:そう。けれど、厳しい人同士で会うと思いの外なんとかなることもある。コミュニケーションにもあるフレームがあって、コミュニケーションが苦手な人、「厳しい」人であっても、そういった人同士でだめ連交流会などに来て、けっこう喋ったりするなどということがある。引きこもりの人同士で会ったら、話が盛り上がる、とか、友達ができるとか、そういうこともあるし。コミュニケーションの世界も広いというか、複雑というか。少なくとも単純なものではない。

ぺぺ:「おれは内向型人間だ」という人がいるんだけど、その人には「内向型人間が出会える場を作っていきたい」という展望がある。内向型人間は、人に100人会わないとしっくりくる人がいないそう。

神長:それも大変だ。

ぺぺ:大変だろう、と思ったけど、なるほどな、とも思った。そして、仮にしっくりくる人がいたとして、その出会いの質はすごいものだと思う。

神長:だから、まさに今これからどういうようにやっていくか、というのが、地道に大事。助け合いじゃないけれど、1人だけ幸せになるんじゃなくて、みんなで幸せになれるものを作っていく重要な時。

ぺぺ:まず目の前の戦争に圧倒されてしまうのはある。けれど、サマー・オブ・ラブ(※1967年頃より、ヒッピーなどからアメリカ合衆国を中心に発生した社会的・政治的ムーブメント)なども、厳しい社会状況のなかだからこそ出てきた、というのもある。

◆希望は「連帯すること」

神長:サマー・オブ・ラブの話が出たけれど、厳しい時期だから出てくる、できることがある?

ぺぺ:厳しいというか、動乱期だから出てくる。サマー・オブ・ラブは危機に対する応答だから。そして、1967年と(80年代後半に発生したイギリスのレイヴカルチャーなどに代表されるセカンド・サマー・オブ・ラブと)前の二回はリハーサル。今、2022年が本番のサマー・オブ・ラブ。セカンド・サマー・オブ・ラブのときには社会主義圏の崩壊などがあった。これは、日本では微妙な形で現れたけど、おれは当時社会党でバイトしてたから、その瓦解を見ている。

神長:このころ、左派の人には夢が破れた、というようなものがある。

ぺぺ:わりとはっきり見えてた。(東西が統一した)ドイツとかにいたら途方もない変動なんだろうけど。

神長:日本でも、これで資本主義が勝った、と言われた。

ぺぺ:時代の変化が資本主義の勝利というかたちで理解されてしまった。

ーーでも、バブル期の30年前も本当は終わっていたのかもしれないですね。

神長:そう、終焉が明るみになってきている。

ぺぺ:サマー・オブ・ラブって、最初が(ベトナム戦争期の)ウッドストックみたいな感じで、セカンド・サマー・オブ・ラブは社会主義圏の崩壊とリンクしている。そして、それぞれドラッグが絡んでいる。最初はLSD、次がエクスタシー。「では、サード・サマー・オブ・ラブはあるのか」という話をこの間友人としていたんだけど、それは激動の時代であるいま、じゃないかと。それでドラッグの話になって、LSD、エクスタシーと来ていて、次のドラッグはあるのか、という話になった。ドラッグがないなら、どのようにないのか、など。

神長:それは、ドラッグではない、という気はする。最初のLSDは意識の拡張、というようなものがあって、エクスタシーも、他人と抱き合ったりとか、自他の壁がなくなる。どっちも重要だし、そのエッセンスは取り入れて、けれど、究極的にはドラッグなしで。なくてもできるというのが一番いい。

ぺぺ:こういう状況で、日本では大麻の厳罰化が問題になっている。大麻は使用罪がないんだけど、厳罰化すると。医療目的では緩和するけど、一方で。日本という国を表していると思う。ここで以前に神長くんの言ったことで締めると、サマー・オブ・ラブにはドラッグが随伴していたけど、でも、3回目はどうかというと、「サード・サマー・オブ・ラブは、愛そのものだ」。

だめ連

1992年、早稲田大学第二文学部の同窓であった神長恒一、ぺぺ長谷川により結成された、「賃労働をしない(できない)」「恋愛しない(できない)」「家族を持たない(持てない)」といった者たちが、そのような諸々を「だめ」とするプレッシャーを与える社会に問題があるのでは、との観点からオルタナティブな生き方を模索する集団。SPA!などメディア出演も多数。著書に『だめ連宣言!』(作品社)など。現在も「だめ連交流会」や「だめ連ラジオ」などの活動を行なっている。

2022/7/4 8:53

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